土曜ドラマスペシャル「1942年のプレイボール」★2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>46
第一次大戦の時はクリスマスの時は現場レベルで休戦して敵味方分かれてサッカーしてたことがあったとか。 >>74
玉音放送を聴いた後
川上哲治は素振りを再開した 爺さんや婆さんに聞いた話では
戦時中は生きて帰って来いなんて言える空気じゃなかったと 明治憲法の時代が美しいとか、インチキだって良く分かるドラマだ。 >>205
でも今も決してよくはないよね、行き過ぎてるから是正しただけなんだわ >>205
まあ教育勅語がどうのとか言ってる連中は
下々の国民をいいように使いたいってだけだからな 名古屋の投手は初代ミスタードラゴンズの西沢道夫
戦後に野手に転向してホームラン王をとった
伝説の選手です これがネトウヨの大好きな日帝さまの時代よwww
1925年、あの天下の悪法治安維持法と同年に生まれた私は、満州事変を前にして、次第に台頭し、仕込杖を持って横行闊歩する右翼に怯える大人達の下で育ったからであります。
それは、隣村まで三つの神社の床下を調べた上でウンコするなら天皇陛下は神様でない、人間だ。と言った事を学級日誌に書かれ、教師になぐり倒された上、非国民は見せしめの為、放課後駐在所に連れて行き、仙台警察署のブタバコに入れてもらうと脅かされたからでした。
14歳、高等小学校卒業のとき、女子挺身隊の名に騙されて幼い同級生達が危うく戦地に連れて行かれ、従軍慰安婦にされる所を戦地帰りの兄貴の忠告で無事阻止した事さえあるからです。
15歳、勤務先の夜の停車場で南京大虐殺後に除隊帰国して来た先輩の涙ながらに語る日本軍の対中国人残虐非道を聞いた記憶がどうしても消えないからであります。
19歳の春、一銭五厘で兵隊にとられ三カ月間教育で爆薬を背負わされ、米軍戦車への体当たり(自爆テロ)を命じられた身だからであります。
20歳のときは、営倉(軍隊の牢獄)に入れられた知恵遅れの憐れな脱走兵に飯を与えた為、不忠者と憲兵に蹴飛ばされ一生直らぬ腰の障害者になるなど、数え切れない経験から、軍隊は国民にとってモロハの剣であると知りつくしているからでもあります。
そして、仙台空襲では、第二師団の兵として決死隊を第一号で志願したものの、どの隊も軍の命令は市民の負傷者救護や避難等は一切なく、市民による暴動発生警戒任務であることから、国を守る為という軍隊が決して国民を守る事はしない事を学んだからであります。 昔の投手って本当に連投・完投平気でやっててすごいよな
現代の完投すらできずすぐリリーフに頼る投手たちの貧弱さときたら >>210
当時のプロ野球は、今以上にカレッジ文化の延長線上にあるからしゃーない >>218
そう 未だにいろんな台湾の映画祭で永瀬正敏が呼ばれるぐらいの人気映画 昭和18年3月には日本野球連盟によって英語が禁止。
審判用語ではワンストライクが「よし一本」、スリーボールは「三つ」、
ファウルは「だめ」、タイムは「停止」など・・。
野球規則用語だと、ストライクは「正球」、ボールは「悪球」、セーフは「安全」 中京も延長25回を試合前に生卵2個とかでやったんだぞ 日本を否定しまくってる奴ってなんで日本に住んでるんだろうな >>226
ほんと下痢自民は戦前の侵略国家を目指してるよな
http://hunter-investigate.jp/news/2015/09/-14-20-1.html
>元軍人が戦争法案を賛美する茶番
>戦前の内閣では陸軍、海軍からそれぞれ陸相、海相が閣僚に就任していたため、軍服姿が国会に登場するのが常。さらに、現役の軍人が国会の壇上に立ち、政党政治家を威圧していたのが当時の実情。武断主義で国を動かした結果が、昭和20年の敗戦である。
>こうした状況を二度と再現させてはいけなかったはずだが、戦後70年の節目にテレビの国会中継で映し出されているのは、軍人政治家が戦争法案を賛美する光景だ。 「投げれます」とか、ら抜き言葉はこの頃からあったんか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています