日本代表LS北見の成立経緯
・2度の五輪を経験する本橋麻里はカーリングの聖地常呂町から選手が流出し続ける現状を嘆きチーム青森を脱退、LS北見を結成
・日本代表経験があるものの卒業を控え引退を考えていた鈴木夕湖・吉田夕梨花に声をかけメンバーに
・本橋は個人でスポンサー探しに奔走し続け「五輪で終わらず長く続くチームを」との要望を承諾しスポンサーを獲得
・ソチ五輪直後に北銀から戦力外通告を受け絶望の底にいた吉田知那美に本橋が声をかけメンバーに
・藤澤五月は能力の高いスキップだったが背負い過ぎた重圧に耐えきれずソチ五輪を逃し、選手の引退もあり五輪から遠ざかっていた 五輪に近づくため中部電力を退社し新たなチームを探しているところへ本橋が声をかけメンバーに
・知那美の影響もありLSに入っての藤澤はコミュニケーションを積極的に取れるように 藤澤は個人で背負うスタイルを脱却
・平昌五輪代表選考で本橋は控えに回る 前日にストーンを1つ1つ投げストーンの具合を確かめるなど様々な形でチームに貢献することに
・平昌五輪出場決定
・平昌銅メダル