伊奈一族

伊奈忠次
利根川東遷事業の初代責任者。当時実石高100万石言われた武蔵下総下野を190万石にまで伸ばしたおっさん 。過労死

伊奈忠刻
3代目関東郡代。金を出さない幕府を恨みつつ身銭を切って治水に勤しむ。玉川上水を作った玉川兄弟を見出したりして 江戸の水事情を劇的に改善する

伊奈忠順
7代目関東郡代。富士山大噴火で壊滅した相模西部を復興させた英雄。全国から集った復興資金60万両のうち58万両を
幕府が流用したために、復興が進まず。美貌と言われた自分の娘3人を豪商に売って1万両を捻出するなど涙ぐましい努力で 復興事業を存続させる。大飢饉の時に幕府に無断で関東郡代の蔵から3万石を持ち出し民を救う。なおその責任をとって切腹。

伊奈忠篤
8代目関東郡代。元来氾濫した農地の年貢は減免だったのに8代将軍吉宗がそこまでも年貢を取り立てるように制度改正したのに激怒。
氾濫農地の減免を続けて不足分は自分の領地や用水路代で工面する。そしたら吉宗が用水路代まで取り立てるようになり
吉宗に直訴、大激論の末、隠居を条件に用水路代と氾濫農地の年貢減免を勝ち取るが27歳の若さで1年後に急死。切腹の噂が立つ

最後の当主はボロボロの陣羽織で徒歩で改易蟄居先へ