【マターリ】西郷どん「別れの唄」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
吉之助(鈴木亮平)と愛加那(二階堂ふみ)の間に男子が生まれる。
同じ頃、大久保一蔵(瑛太)の尽力により、国父・島津久光(青木崇高)から
吉之助への召還命令が下る。 >>329
>>330
沖に大きな船が待ってるだよ ttp://perspective.wp-x.jp/wp-content/uploads/2018/05/5203.jpg
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/67/%E6%84%9B%E5%8A%A0%E9%82%A3.jpg
そっくり? 西郷の京でのえげつない政治工作活動はカットされるのか。 >>327
はぁ?
もしかしたら江戸城無血開城→自決シーン? >>327
ナレーションで終わったりしてな
「もう、この辺でよか・・・」 ずば! みたいな >>322
兄貴と違って江戸や京都にいた経験が殆ど無く、そのへんコンプレックスだったんだろなうな>久光
たしなめるにしても、もう少し言い方あったろうよ、西郷。 >>344
ガンダムでいえばククルス・ドアン回だな >>330
屋久島、西表島経由で鹿児島へ行くんじゃない? なーもあーみだーんぶー なーあもあーみだーんぶー なー >>352>>354
そういやククルス・ドアンの島は五島列島にあるんだっけか(´・ω・`) >>306
西郷どん、二度目の島流し
久光、ジゴロ発言も怒りを示さずに重用
下関待機命令に対して三回の違反
君命に三回逆らってたら普通殺されるぞ
一回目の命令違反の久光の書状「事情はわからんから報告しろ」
二回目の命令違反「行き違いがあったのかわからんが一回報告に戻ってこい」
三回目の命令違反「わかった、俊斎送るからとりあえず俊斎に話せ、あともう動くな」
俊斎「西郷さんのおかげで倒幕じゃああああ!!!薩摩の天下じゃあああ!!!」
久光「・・・・流せ」 >>316
まあそんな事してようが日本海軍は海上戦で命使い捨ての特攻で戦うような馬鹿だったんだけどね >>351
自分も田舎もんでコンプレックスあっもんだから相手をバカにする時に使ったんだな 森鴎外のエリスはのこのこ日本まで押し掛けたというのにに >>298
日本兵って、特亜の戦後政策で「鬼畜」のレッテル貼りされてるけど
実際に現地の人々に対して優しい人多かったらしいね・・・ ビルマの竪琴とかも 錦戸って瑛太にボコボコにされたのに競演って大丈夫なんか!?w
>>338
> 翔ぶが如くで奄美大島はどのくらいやったの?
今回のよりも かなり短かった記憶 大河ってなんでよく叫ぶんかね
家族に付き合って見てるが見てて疲れるわ ドラマはクソつまんねーんだけど
紀行は去年の1000倍良い
あのオカマ声ナレーションは苦痛だった 井戸の周りきれいだな
大河はじまって急遽整備したか 翔ぶが如くって、維新後からじゃなかったっけ?
ドラマは違うのか。 >>375
テレビで旧日本兵が一緒に遊んでくれた、薬もって現地の人が思い出語るんだけどそれ見て爺ちゃんがそれは俺だ!あれはクスリじゃなくて歯磨き粉だ、あいつはバカだなぁwと笑うコピペがあった >>325
♪「ある晴れた日」は、奄美の方が似合いそう >>375
パラオは今でもヒロシのような日本風な名前が多い。
戦時中、占領していた日本兵の真面目な姿に感動して戦後も子供に日本人の名前をつける
親が多かったのだそうな。 なんかネトウヨがいるから書いておくが
水木しげるは日本軍がやってた戦争犯罪も描き残してるから日本に都合の良いところだけ切り抜いて語るなよ >>392
ドラマは二人が世に出る前の若い頃から始まってる >>395
だって避妊具ないんだもん
外に出したけど
漏れた愛加那 >>327
> >>314
> 西南戦争までやるかどうか解らんらしいで
最後の2、3回で簡単に西南戦争まで行けるます。 >>392
原作ではそうなんだけど大河ドラマは幕末を描いた別の司馬作品も足して幕末から描いている >>397
戦後、そうやって事実を捻じ曲げてまで「日本兵=悪」ってイメージを付けたがる輩が多すぎる >>411
糞チョンの捏造歴史とか頭悪すぎて語る価値もないね 目が小さい西郷隆盛と中国人のような顔の大久保利通が気になっていたけど
どうして顔が北朝鮮人のような顔をした人達だったのだろう。
北朝鮮の女の人は目が大きいが男の人が小さい細い目をしているのに比べあんなに
大きいのだろうか。 >>402
それは又聞きしたあれかな(´・ω・`) 西郷って無責任だったんだな。
勝手に中出しして。
見損なったわ。 須賀(すが) 演:橋本愛 隆盛の最初の妻。
嘉永5年(1852年)、縁あって西郷家嫡男だった吉之助(隆盛)と結婚する。その際は吉之助の父母・祖父母ともに健在であったが、同年に吉之助の祖父・竜右衛門、父・吉兵衛、母・政佐子と相次いで亡くなり、
翌々年の安政元年(1854年)には吉之助自身も藩主・島津斉彬に従って江戸へ出府してしまったため、家計は大いに苦しくなった。
その影響もあってか、江戸在府の吉之助に親族から相談を持ちかけて離縁した。その後の吉之助と弟兼寛の関係が悪くなった様子もないので、円満な離縁だったといわれる。しかし吉之助は終生これを後悔していたという。
愛加那(あいかな) 演:二階堂ふみ 2人目の妻 ttp://img01.amamin.jp/usr/h/o/r/horizon/20180307.jpg ttps://pbs.twimg.com/media/DeGHrLEUQAAicdG.jpg
2度目は奄美大島の龍郷村で6石扶持一軒家で自炊していた際、島の名家であった龍家の佐栄志の娘・愛加那(あいがな、意味は愛子)と結婚。35歳の安政7年(1860年)1月2日に菊次郎(後の京都市市長)・
文久2年(1862年)にお菊(のち菊子、大山巌の弟と結婚)の二人の子供をもうけた。この子供たちは庶子として扱われた。文久元年(1861年)末に、鹿児島に帰る際、島妻は鹿児島へ連れ出せない規則があったので別れた。
愛加那は明治35年死去。陶芸家の西郷隆文は、菊次郎の四男・隆泰の子。
岩山糸(いわやま いと)(岩山糸 → 西郷糸) 演:黒木華(幼少期:渡邉このみ) 下加治屋町郷中・岩山家の娘。後に西郷隆盛の3人目の妻。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています