※後藤 庄三郎(ごとう しょうざぶろう)
近世日本の金座の当主、すなわち御金改役に与えられた名称である。初代の後藤庄三郎光次に始まり、以後世襲制の家職となった。
庄三郎は後藤徳乗と徳川家康に後藤庄三郎光次の名、五三桐紋の使用を許された。
京都の後藤家は室町幕府以来の御用金匠であり、茶屋四郎次郎家、角倉了以家と共に京都の三長者と呼ばれた。

後藤庄三郎光次は文禄4年に江戸本町一丁目を拝領し、後藤屋敷を建て、屋敷内に小判の験極印を打つ後藤役所を設けた。
この地は現在、日本橋本石町の日本銀行本店所在地にあたる。
さらに天領の金山、銀山を支配し、家康の財政、貿易などの顧問として権力を誇った。

また、庄三郎光次は文禄5年3月2日(1596年3月30日)付の後藤徳乗、後藤四郎兵衛、後藤長乗に提出した証文において、
後藤の姓を名乗るのは光次自身一代限りと宣誓していたが、結果的に反故にされ、
徳川家の権威を背景に京都の後藤宗家も黙認したとされる。