ブラタモリ「#131 熊野〜なぜ熊野は日本の聖地になった?〜」★1
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世界遺産・熊野古道を歩いて「熊野詣で」の魅力を解き明かす▽落差日本一・那智の滝はどうしてできた?▽山伏が熊野発展の陰のプロデューサー?▽命がけの究極の信仰に感動 >>398
うげー
こんなに人いて登頂後休めるのかな 熊野と聞くと筆の町の方に思い付くよな…市内住みだけど >>539
みゆきがダメならタッチはどうだろう(´・ω・`) 那智へ行く道すっごい狭かった記憶しかないけど
なんかストビューみたら違う気がするのは新しい道作ったのかな?? 東京都内ってもう完全にネタ切れなの?
惰性で見てるけど他県の知らん所やられても興味ないんやけど そろそろアシスタント交代でも良いと思うが(´・ω・`) 鳥栖のゴールを彩る クエンカは 小林製薬の 糸ようじぃ またフランソワーズか、加工しやすいからだろそもそもは >>600
リンダ「木暮課長キャリア組なんやで!」 おいらも通行料払うから
リンダちゃんの関通過したい 熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖域であり、「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言われているほどである。
本宮の地に神が祀られたのは、およそ2000年前、第10代崇神天皇の世といわれている。
熊野詣が盛んであっ たのが、平安時代の中期から鎌倉にかけてと伝えられており、延喜7年(907)の宇多法皇以来、法皇上皇の熊野御幸がはじまり、
白河上皇の9度、鳥羽上皇21度、後白河上皇34度、後鳥羽上皇の28度と多くを数え、弘安4年(1281)3月、亀山上皇の御幸をもって終結をつげている。
江戸時代に入り、元和5年 (1619)、紀州藩主徳川頼宣が熊野三山の復興に力を入れ、再び「蟻の熊野詣」の最盛期を迎えることができたといわれている。
身分や階級を問わず、多くの人々が熊野に憧れをいだき、救いを求め、蘇りを願って異郷の地とも思える山深いこの地を目指しました。 熊野は自転車の大会で2回ほど行ったわ
富士山再遠望の山のあたりを走ったわ ブラタモリって最初はここ!次はここ!次はここ!
って行く場所が全部決まってて、ブラブラしてる感がないよね
鶴瓶の家族に乾杯のほうがよほどブラブラしてるわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています