ブラタモリ「#131 熊野〜なぜ熊野は日本の聖地になった?〜」★4
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世界遺産・熊野古道を歩いて「熊野詣で」の魅力を解き明かす▽落差日本一・那智の滝はどうしてできた?▽山伏が熊野発展の陰のプロデューサー?▽命がけの究極の信仰に感動
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ブラタモリ「#131 熊野〜なぜ熊野は日本の聖地になった?〜」★3
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1555756990/ >>2
和歌山の大部分と三重の一部にまたがってる
三重県に熊野市という地名があるのも紛らわしい要因 >>1乙
タヌキ合戦で死出の旅連呼してたやつか(´・ω・`) これ、山伏に騙されてるだろ?
理由つけて粛清してんだろ 波で押し返されて、帰って来ちゃった・・・テヘペロな山伏住職もおったんだろうな 故内田康夫の浅見光彦シリーズにあったのう、このふだらくの話 釘でうちつけたはずなのに
1 2 3 で別のところから出てくるんだろ? あんがい別の地にたどり着いてそこで暮らしてたりしてな >>6
They say it was in India 憐れタヌキは死出の旅
それどんじゃんどんじゃん死出の旅 http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1555756990/851
> >>800
> 某第六天魔王さんが
> 既存宗教勢力焼き払ったからやで
叡山は焼き払われて当然だと当時の都の公家にも言われてたそうだな
あれって僧侶って言うより完全にISみたいな存在だもん https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD%E6%B8%A1%E6%B5%B7
『琉球国由来記巻十』の「琉球国諸寺旧記序」によれば、咸淳年間(1265年〜1274年)に禅鑑なる禅師が小那覇港に流れ着いた。
禅鑑は補陀落僧であるとだけ言って詳しいことは分からなかったが、時の英祖王は禅鑑の徳を重んじ浦添城の西に補陀落山極楽寺を建立した。
「琉球国諸寺旧記序」は、これが琉球における仏教のはじめとしている。
また琉球に漂着した日秀上人は、現地で熊野信仰及び真言宗の布教活動を行ったり、金武町に金武観音寺を建立した。
沖縄に流れ着いてそこで仏教広めた坊さんもいる 初期は自ら行くものだったけど、いつの間にか「行くのが当然」みたいな扱いになったのかな? これ、みんな統治のためにバチが当たる、真面目に生きないと極楽浄土に行けないに繋がる気がする。
信仰が悪くはないが、統治に利用しすぎ おまいらが今後ブラタモリに行ってもらいたい場所ってどこかある?(´・ω・`) タモリ、腹出て来たな…
サンマと所ジョージはスリムなのに
たけしとタモリは 何で南無阿弥陀仏やねん?
南無観世音大菩薩やないの? リンダ全く知らなかったのかな
ちょっともの知らずだな ほとんどは死んでる
でもごく稀に四国や琉球あたりに流れ着いて助かった人もいたらしい どっかで生きて回収された話はないのか?もしくはタイムストリップとか 海の果てあの世なんだから本望じゃね?
〆 ⌒ヽ
(ヽ´ω`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています