歴史秘話ヒストリア「三十三間堂 国宝大移動 よみがえる平安の祈り」★2
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千体もの千手観音像が金色に輝く京都・三十三間堂。去年行われた国宝仏像群の歴史的大移動に密着。850年の時を超え、乱世を生きた後白河上皇の祈りがよみがえる!
歴史秘話ヒストリア「三十三間堂 国宝大移動 よみがえる平安の祈り」★1
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1559737029/ >>76
真ん中にターンA置いて後は適当に並べれば… 不満そうな顔のシンバルたん
もっとデカイサイズがよかったのかな
昔 観 音 経 暗 記 し た け ど す っ か り 忘 れ た わ
>>76
ガンプラで作るのが無理なら食玩具でやれよ これできた当時はさぞ一面眩い金ピカだったんだろうなあ 今週末は向かいの京博の特別展「一遍聖絵」も最終日だから
相乗効果で混むかもねえ これ全部フィギュアで有名なあのなんとかって会社に作らせて売ったら? >>71
でもまあ、神社の頂点は間違ってないのかな?
よくわからん 祈るのは天皇の仕事の気がするけど
こういう造りにしたならそうなのかなあ 川本 重雄(かわもとしげお、1953年 - )は建築史家で日本建築史専攻。寝殿造を主要な研究領域とする。 1982年と翌年に日本建築学会に発表した論文で、それまでは主流であった太田静六の「正規寝殿造」を否定し、以後数年間論争を行った。
岐阜県に生まれる。1975年、東京大学工学部建築学科を卒業。1982年、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程を修了し、工学博士号を取得する。
1984年、北海道工業大学の講師となり、1991年に教授に就任した。1999年、京都女子大学に移り、2009年に学長に就任[1]。
2017年現在、近畿大学教授[2]。 三十三間堂って裏に一体だけぼっちになってる像があるじゃん
あの仏像、不憫で・・・ >>84
京都人はだいたい帝さんとか上さんとか呼ぶイメージだわ >>71
それは聖徳太子のクソ野郎がやらかして順逆おかしくしたってのが
江戸時代の国学者たちの解釈やで、国家神道は彼らの思想を汲んでるから
中近世思い切り否定してる 東博に3体、京博と奈良博に1体の計5体が常時貸し出されてるのですが、
去年末に国宝昇格記念で里帰りで1000体揃った状態で見れていました。 まあ時代をひっかきまわしたのも半分こいつのせいなのにな 後白河法皇なら大仏様再建のときのロックな話取り上げてほしい >>87
明王は、如来の怒りの姿を表してるだよ
不動明王は大日如来の化身 >>115
なるほど
でもそれだと笛要らない気もする >>119
顔が違うって言ってた部分はネックだな立体物の場合 >>147
タフマンがタフすぎたからダメだったんだよ >>18
・初めて見たNHKの歴史番組
歴史誕生:おっさん
歴史ドキュメント:もっとおっさん
歴史への招待:すごくおっさん
日本史探訪:どうしようなくおっさん
にぃ〜じぃ〜むぅじんにぃぼさ〜そくじゅうざぁき〜へんだんう〜けん〜
五味 文彦(ごみ ふみひこ、1946年(昭和21年)1月30日 - )は、日本の歴史学者、東京大学・放送大学名誉教授。山梨県甲府市出身。
1964年3月 山梨県立甲府第一高等学校卒業
1968年3月 東京大学文学部国史学科卒業
1971年3月 東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退
1971年4月 東京大学文学部助手
1973年5月 神戸大学文学部講師
1976年4月 お茶の水女子大学文教育学部助教授
1984年10月 東京大学文学部助教授
1992年3月 博士(文学)(東京大学)
1992年7月 東京大学文学部教授
1995年4月 東京大学大学院人文社会系研究科教授2006年3月 東京大学を定年退職、東京大学名誉教授
2006年4月 放送大学教養学部教授2016年3月 放送大学を定年退職 この時代のよくわからない部分って
漫画とか映画でファンタジーに昇華されてるよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています