歴史秘話ヒストリア「走れ!たま 知られざる電気自動車の時代」★1
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近年、ガソリン車に迫る勢いで普及しつつある電気自動車(EV)。
ところが70年あまり前の敗戦直後、日本に「電気自動車」が活躍した時代があったことは、あまり知られていない。主役は電気自動車「たま」。つくったのは元飛行機メーカーの技術者たちだ。GHQに飛行機の製造を禁じられた彼らは、電気自動車の製造に生き残りを懸ける。元「ヒコーキ屋」たちが、みずからの技術を頼りに、戦後の混乱を勝ち抜く姿を描く。 特定の ベンチマークソフト用にチューンナップしましたみたいなもんだろ 自慢するな キューブにたまってグレードがあってもよかったのにね >>821
高出力小型化のお陰やねぇ
この時代やったらタイヤが車体高くらいになるんちゃうw 感動の技術裏話風に仕上げてるけど、これ不正検査だろ これ、買った人から数値と全く違うと苦情や返品来るレベルだろ >>802
車体はマーチの流用だけどね
でもビートル生産終わった今Be-1みたいなの売れるんじゃないかと思う 中島飛行機の後継と言えばスバルが有名だが実は日産もその系統を継いでいる。中島飛行機が戦後富士産業になり、さらに財閥解体で工場ごとに分社化された。
分社化された東京工場が富士精密工業になった。
東京工場には航空機用2000馬力星型18気筒の誉エンジンを設計した中川良一(東京帝国大学工学部卒)がいた。中川良一は後にスカイラインGT-Rのエンジンなどを開発する。
立川飛行機の社員がたま電気自動車を立ち上げる。
たま電気自動車がガソリン自動車事業に移行。そのガソリン自動車のエンジンを設計開発したのが富士精密工業。たま電気自動車はプリンス自動車に社名を変更。たま電気自動車を富士精密工業が買収。ブランドではプリンス自動車を名乗るが社名は富士精密工業。
1966年に富士精密工業は日産と合併。日産が昔ロケット事業をやってたのも中島飛行機由来。
エンジンに強かった中島飛行機東京工場が母体の富士精密工業は富士重工(現スバル)に合流せず、日産に奪われる形になった。
よってスバルは元々航空機エンジン・機体メーカーだったにも関わらず独自開発航空機用エンジン及び部品を製造する三菱重工、川崎重工と違い航空機用エンジン事業は行っていない。 70年前のイーロン・マスクだなwwwwwwwwwwwww これ机上のフルスペックみたいなものだろ
実際の運用だとこんな性能出ない インチキのおかげやろw
今の燃費の表示と同じだな。実燃費とえらい違い。 ドーピングしてこれなら、普通に使っても問題ないだろw >>908
説明書の最後にちっちゃく押しがけ時って書けばええやんけ ttp://livedoor.blogimg.jp/n4p-nnn/imgs/1/d/1d01a45a.jpg
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なんで「たま」って名前になったの? これがインチキと言うなら燃費レースなんて全部そうやん 当時の電気自動車の平均性能!?
他にもあったのか? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。