幼少時から数々のちびっこのど自慢大会に出場し、「のど自慢荒らし」と呼ばれていた。当時のライバルは天童よしみで、毎回天童が優勝するため、自身は準優勝であったという。

「海原千里・万里」時代の1976年に発売した「大阪ラプソディー」は40万枚の大ヒットを記録している。また、同時期に北島三郎のコンサートの前座を務めた際、北島に歌唱力を認められ、北島の下で歌手への転向を勧められたが断ったというエピソードがある。