アンガ田中によると、明智光秀は頭髪が薄いのがコンプレックスだったという。

さらにアンガ田中は、光秀と仲の良かった徳川家康が後に天下を取った際「頭髪令」を出したことについて「髷が結えなくなった武士は隠居」「付け鬢をする場合は藩主の許可が必要」
と規制したのは、光秀が本能寺の変を起こした真相が「カツラ」にあることを知っていたから、争いを防ごうとしたのではないかという。

また「禿」の文字が「光秀」の二文字の下と上を合わせたように思えるのは、後世に戒めとして伝わるよう漢字にした可能性を説いたのである。