『フロイス日本史』によると、島津氏の豊後侵攻により捕虜にされた領民の一部が肥後に売られ、そこでさらに海外に転売されたという。
豊臣秀吉は自国の民が九州において大規模に奴隷として売買されていることを大変不快に感じ、1587年7月24日にイエズス会の副管区長の
ガスパール・コエリョに手紙を書き、ポルトガル人、タイ人、カンボジア人に日本人を買い付けて奴隷にすることを中止するよう命じた。
また、インドにまで流れ着いた日本人を連れ戻すよう言い渡した。秀吉はポルトガル人とイエズス会をこの奴隷交易について非難し、
結果としてキリスト教への強制改宗が禁止された。