NHKスペシャル 戦国〜激動の世界と日本〜(2)▽ジャパン・シルバーを獲得せよ ★6
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地球規模の歴史から、新たな日本の戦国時代を描くシリーズ。第2集は徳川家康の天下取りの時代。新発見の文書に記されていたのは、オランダ商人と家康の深い繋がり。オランダは、当時最重要の国際通貨だった「銀」を求めていた。世界の産出量の3分の1を占めた日本銀をめぐり、オランダと超大国スペインの間に激しい攻防が始まる。覇権をかけた両国の争いの最前線となった戦国日本、その実像に迫る。ナビゲーターは西島秀俊さん。
【司会】西島秀俊,【出演】金田明夫,【語り】礒野佑子
NHKスペシャル 戦国〜激動の世界と日本〜(2)▽ジャパン・シルバーを獲得せよ ★5
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1593952754/ >>904
安価ミスったごめん
大量に他のスレ等を見ながら書いてるせいかよくミスるわ >>894
キンジパはもっと評価されていいと思うわ
来年の再放送枠に入らないかな >>874
お前ら日本に併合されてなかったら、そのままロシアに侵略されてただけや
そうなってたら今のささやかな繁栄さえ無かったんやで
日本から教育の概念を持ち込んでもらって感謝せなあかんわな
歴史と言うのは自分に都合のいいファンタジーとしてではなく、素直に学ぶもんや >>894
あれ当時は緒形直人の信長がらしくないってめっちゃ叩かれてたね
確かに世界史に詳しくなった今もう一度みたいな
オンデマンドでやってるかしらん >>908
民族同化は中国もトルコもイランもイラクも悩んでいる
どの国にとっても頭の痛い問題
特に戦争で国境が引かれたような国にとっては ヨーロッパの動きを放置して鎖国でかたをつけた江戸幕府の政策は大失敗だわ 侵略者スペインと侵略者オランダの似た者同士バトル
ちなみに日本を侵略した白人の植民地国も脅威
まず日本に謝罪すべきだよね植民地国は
日本を悪役扱いしないならいいが
詐欺師オランダ・スペインといい日本人を騙すのは得意な白人列強キリスト教ww ○「梁職貢図:りょうしょくこうず:539年完成」〜北宋模本
「清張庚諸番職貢図巻:しんちょうこうしょばんしょっこうずかん」〜模本(清の張庚1685〜1760年)
翻刻「倭國使 倭國在帯方東南、大海中依、山鳥居。自帯方循海水、乍南乍東、對
其岸。?三十餘國、可万餘里。倭王所止、大抵在木曾東。氣暖地温。
出眞珠・青玉、無牛馬虎豹羊鵲。[男子皆黥]面文身。以木綿一帖首。衣
横幅無縫、但結[束相連。好沈水捕魚蛤。婦人只被髪、衣]如單被。穿其[中
貫頭衣之。男女徒跣、好以丹塗身。種稻禾・麻苧・蚕桑、出袖布・?錦。兵用矛盾・木弓、箭用骨爲鏃。
其食以手、器用?豆。死有棺無槨。齊建元中、奉表貢獻。] >>912
そう
当時は叩かれてたな
でもいざ放送され始めたら肖像画の信長に結構似てるって感じになり終わってみたら面白かったとなる大河になった。 読み下し
「梁職貢図:りょうしょくこうず:539年完成」
倭国使
倭国は帯方の東南、大海中に在り、山鳥に至りて居る。帯方より海水に循(したが)い、乍(たちま)ち南し乍ち東し、其(そ)の北側に対(いた)る。三十余国を歴(へ)ること、万余里なるべし。
倭王の止まる所、大抵会稽(会稽郡・かいけいぐん=現紹興市)の東に在り。気は暖かく地は温(ぬく)し。
真珠・青玉を出し、牛・馬・虎・豹・羊・鵲(からさぎ)無し。[男女は皆]面(かお)に[黥いれずみし]身に文(いれずみ)す。
木綿(綿で織った布)を以て首に貼る(かぶる)。衣は横幅(おうふく・横はば広の布)にして縫うこは無く、但(た)だ結[束(布を縛る)]して相連ぬ。
好んで水に沈み魚・蛤(魚類・貝類)を捕う。婦人は只(た)だ被髪(ひはつ・髪を伸ばす)し、衣は]単被(ひとえ)の如(ごと)し。其(そ)の[[中を] 穿(うが)ち 頭を貫(とお)し之を衣(き)る。
男女は徒跣(とせん・履き物を履かず裸足)し、好んで丹(朱・赤い絵の具)を以て身に塗る。稲禾(とうか・いね)・麻苧(まちょう=あさ)・蚕桑(てんそう=くわ)を種(う)え、
袖布(しゅうふ=麻布)・?錦(けいきん=絹布)を出だす。兵(武器)は矛・盾・木弓を用い、箭(矢)は骨を用て鏃と為す。
其(そ)の食は手を以てし、器は?豆(たかつき)用いる。死して棺(かん=ひつぎ)有るも槨(かく=棺や埋葬品を納める外側の柩ひつぎ)無し 。斉の建元中、表(国書)を奉じ貢献(朝貢)す。 >>915
開国こそ大失敗
・ 開国させられる
↓↓
・ 原爆・GHQ占拠
↓↓
・ コロナや外国人だらけの売国社会に(´・ω・`)
まさに大失敗
外国人だらけで滅亡しそう >>910再放送で見たいね。今やってる太平記も面白いけど。 当時のインドネシア等は何をしていたのか
どんな悪逆をしていたのか
そういう番組も必要だな
列強ばかり取り上げすぎ
売国NHKは消えていいが セルビア女子バレー選手が日本人差別か 「つり目」ポーズで記念写真、連盟が削除
http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/02/fivb_n_16918622.html
集合写真は、セルビア女性代表チームが世界選手権の予選を通過し、2018年に
日本で開催される本選への出場を決めたことを伝える記事とともにツイートされた。
写真では、試合後の14人の選手たちのうち12人が、こめかみに人差し指をあて「つり目」を作っている。
「日本行き」をアピールしたとみられる。
当初は公式サイト上にも掲載されていたが、連盟によってその後差し替えられた。 一方、写真は世界選手権の公式Twitterにも5月29日に掲載され、連盟公式Twitterもリツイートで紹介している。
連盟のTwitterには「70年代じゃないんだぞ」「チームに謝罪を求めるべきだ」などの返信が寄せられているが、
6月2日(日本時間)午後4時時点では削除されていない。
「つり目」ポーズは、東アジア人を揶揄する差別的なポーズとして受け止められている。
5月には、中国のサッカークラブに移籍したアルゼンチン代表選手エセキエル・ラベッシが、
クラブのプロフィールにこのポーズの写真を使用して炎上、謝罪する事態が発生したばかり。
http://content.khou.com/photo/2017/06/01/636319275843433101-serbianvolleyball_1496373163332_9620113_ver1.0.jpg >>860
そういう意図なのねw
それがあてはまるのは弥生時代までだな
鉄を加工できない日本人は稲を朝鮮にあげる代わりに鉄製品を朝鮮から輸入していた
朝鮮は鉄製品を作れた
だが、日本人は輸入した鉄製品を加工してさまざまな農具を作り農業技術を進歩させた
そして弥生時代終わりには農業用の鉄製品を朝鮮に輸出するようになった
弥生時代には日本の方が朝鮮より文明l国になっていたんだよな
だから日本がえらいってわけでもないが、これは事実なのでねw >>926
世界史の先生が言ってたけど、世界史もルイ王朝やらルネッサンスやら人気のある時代じゃないと本が売れないから、
ぜんぜん他の時代のは出版されないそうだ
戦国幕末に偏る大河と同じ 奈良の春日大社を始め、茨城の鹿島神宮等、日本には
野生の鹿を聖獣と位置付けているところは多いが、同じく
この鹿を神聖視して崇めていたのが扶余族なわけだよ
そしてこの扶余族は百済人のルーツであるわけだ
もうお分かりですね
扶余族系
https://i.imgur.com/pju5ZE8.jpg 日本人のルーツが朝鮮人なら今頃日本も朝鮮語が使われているだろうし朝鮮語と共通する語彙の一つや二つ残っていただろうな 前 天皇陛下 ゆかり発言
日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。
韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。
宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。
日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,
続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。
また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。 King of Zipangの斉藤道三の方が魅力的だった。信長と道三の会見の脚本は素晴らしい。 安倍晋三(日本国首相)『美しい国へ』(文春新書 P157)
「韓国とは兄弟の様になりたい」
「日韓両国はいまや一日一万人以上が往来しているという重要な関係にある。
日本は長いあいだ、韓国から文化を吸収してきた歴史を持つ。その意味では、韓流ブームはけっして一時的な現象ではない。
わたしは日韓関係については楽観的である。韓国と日本は、自由と民主主義、基本的人権と法の支配という価値を共有しているからだ。
これはまさに日韓関係の基盤ではないだろうか。」
「日本人が大切にしている寛容の精神、謙虚さを見つめ直す中で招致を目指していきたい」
「一部の国、民族を排除する言動があるのは極めて残念なことだ。日本人は和を重んじ、排他的な国民ではなかったはず。
どんなときも礼儀正しく、寛容で謙虚でなければならないと考えるのが日本人だ」 >>919
そういう評価の移り変わりがあったんだ
最後本能寺で叫びながら切腹するシーンだけやたら覚えてるわ
>>924
おーやってるのねありがとん
月額意外と安いし1ヶ月かけて一気に見ちゃおうかな 長崎の方言で ちんぐ(親友・友達)という言葉がある
壱岐麦焼酎ちんぐという酒もあり、長崎ちんぐ音楽祭というものもある
これは朝鮮語のチングと全く同じ意味
山口県でも ちんぐ という同一の意味を持った方言を話す地域がある
出雲弁は朝鮮語と発音意味ともほぼ同じ >>929
日本が鉄製品を輸出って、日本刀輸出してた室町まで下るんじゃね
少なくとも古墳時代までは、鋳造品はほぼ朝鮮輸入だろ
中大兄皇子まで、日本の政治と半島の政治が不可分なのは、銅や鉄がそこからしか輸入できなかったからかもしれない 卑弥呼は古代朝鮮のシャーマン
「邪馬台国」
100年以上の論争が続いても「邪馬台国」はどこにあったか未だ決着がついていない。
この論争の元になる「魏志倭人伝 (AD280〜297年)」は漢字で書かれているので、
漢字独特の非合理性(原始性)による不確定要素が、錯綜しやすい筋書きを生みやすくしている。
従って、日本の研究者が漢字による表記を勝手な判断によって解釈するため、様々な筋書きが公開され
読者を困惑させている。倭人伝に関する不確定な研究公開が続くため、史料価値がないという研究者もいる。
「魏志倭人伝」が書かれたのは3世紀後半であるから、日本では弥生時代末期になる。
「魏志倭人伝」と言えばすごい歴史書だと思うかもしれないが、中国の歴史書「三国史」の中にある一部の記事に過ぎない。
わずか「2000文字」の短い記事であるために資料が欠落し、総合的な判断(結論)を下す資料としては不完備なものである。
おまけに、全て漢字で表記されているので、漢字の非合理性・多面性などにより読解を困難にしている。 3世紀ごろ、倭人によるまとまった文献はなく、当時のものとされる文言(漢字・数語)が見つけられると、
当時から日本は漢字を使っていたと言う人がいる。
朝鮮では、紀元前後頃の上層階級の人たちは、漢字を使って手紙の交換をしていたけれど、倭国においては
文字文化(漢字使用による記録・文献)はなかった。にもかかわらず、日本は「邪馬台国」に始まると述べる者がいる。
この推測は、縄文時代の子孫によって形成された弥生時代のエリートが、「邪馬台国」を維持経営し、諸々の衆人は
その傘下にあって生活していたということになる。 朝鮮人が倭国へ渡来する場合、倭国が森林と雑草に覆われた不毛の土地であろうとも、生活手段の基盤となる稲作が、
倭国渡来の明白な目的・理由であった。広大な土地に恵まれた中国人の場合、生活維持のため殊更に倭国へ渡来する理由は希薄である。
渡来した者があるとすれば、好奇心の強い数えるほどの人々であっただろう。まして、中国の上層階級の人が渡来したなどとは想像すらできない。
朝鮮からでさえ、王朝などの上層階級が渡来したのは七世紀になってからである。
三世紀ごろの「卑弥呼の時代」に文字を書ける者はいず、同時代に書かれた中国の歴史書「三国史」と倭国で初めて文字で書かれた文献「記紀」
までの間にはあまりにも遠い時が流れている。 弥生末期 朝鮮からの渡来人が増えたので、日本の原住民(縄文人の子孫)は10人の内1人もいなかったという。
『消えた縄文人』なる書籍まで目にするが、そのような裏付けに基づいて書かれたものだろう。
縄文晩期の人口が十万人にもならなかったということは、日本全土の各集落にはスズメの涙ほどしか人が住んでいなかったことになる。
弥生時代における縄文人の子孫は10人に1人もいなかったという埴原・小原氏らの説に従えば、当時の九州や近畿地方に、日本原住民からなる
「○○国(日本国の元祖・邪馬台国)」があったという考えは、当時の倭国の住民のほとんどは朝鮮渡来人によって占められていたということと矛盾する。
すなはち、奈良時代の朝鮮渡来人の上層階級によって形成された「大和朝廷」の傘下の基に日本人しての生活が始まるのである。 >>939
NHKが1月前にやっていたよ
朝鮮から輸入した鉄製品を磨き磨きして大事に使っていた
で、小さくなると加工して数十種類の鉄製品を作った。
それを輸出するようになったって。
国内で鉄の精錬はたたら鉄の工法を編み出すまではできなかったから
一次製品を朝鮮からの輸入に頼っていたのはその通り
それは純度の低い鉄しか国内になかったからだってさ。
日本の加工貿易のルーツがここだってさ。 >>935
>>vMYXI8BN
なんで汚らしい朝鮮人が、スレ違いなレスして、無意味な知識自慢してるの?
朝鮮人は、今も昔も世界史に関わり合いのないチンケな民族なんだから、
場違いなレスして恥をかかないほうがいいよ。 >>930
悲しいのう
個人的にはポーランドのフサリアについて詳しい本が読みたいぜ
テルシオも三兵戦術もオスマンも関係なく蹴散らす世界最強の騎馬軍団だと思う 一地方の方言の単語一つに共通点があっただけでここまで言い切れるって面白いな
ちな交易だけでその他の交わりのない中華の方が言葉の繫がりは多い模様 邪馬台国と卑弥呼<ヒミコ/ヒメコ>
「邪馬台国」は「呪術国家」であったと言われている。酋長(王)なる人は、部下をたずさえて渡来した高名な「シャーマン(巫女)」であった可能性がある。
「邪馬台国」は日本国の出発点というような大それたものではなく、当時としては他地域に見られない大集落で、朝鮮半島(母国)からの継続性もあって、
中国と交友を計ろうとする人(朝鮮王朝の一関係者)が含まれていたかもしれない。
倭国に当時の文献が一つもないということは、「邪馬台国」が国家などと言われる様相をなしていたとは思われない。
「日本」という国号が作られたのは、奈良時代に渡来した百済の上層階級によるものであり、「魏志倭人伝<3世紀末>」が書かれてから
「記紀<8世紀>」「万葉<7〜8世紀>」が書かれるまでの約400年の間に、九州・近畿いずれにもまとまった記録文献がない。このことは、
「邪馬台国」は現在の日本人が想像しているような国ではなく、文字を書けない者からなる大集落のようなものではなかったと思われる。
アメリカのアパッチ族を高度化したたぐいのものであったかもしれない。 「卑弥呼<ヒミコ/ヒメコ>」は「邪馬台国」の女王であったということになっている。
しかし、このことについては不明なところが多く、諸説紛々、正確な史料に欠けていると言われている。
従って、彼女については、AD3世紀の史料として扱えないという研究者もいる。
「卑弥呼」は「シャーマン(巫女)」として祭祀を司り、政治は男子がとっていたと言われている。
これは、古代朝鮮の各国の王の筆頭ブレインの中に女性のシャーマンがいたことと似ている。
シャーマンは預言者(祈祷師)として、古代朝鮮の各国の政治の中心人物に含まれ極めて重要なポストにあった。
古代朝鮮の各国は、シャーマニズムをもつ「北方民族(騎馬民族)」の覇権争いによって形成されているので、シャーマンが政治の場に重く位置していた。
朱蒙王の高句麗建国の際にも、女性シャーマンが王によりそい、政治の予言(占い)を行って王へのアドバイスをしていた。
わからぬことがあると、王はシャーマンを呼び相談していたのである。従って、古代朝鮮のシャーマンは相当な勢力をもち、
配下にはかなりの数の人材がいたと推察される。 ID:vMYXI8BN
ベタベタ訳のわからんコピペしてる統合失調症の半頭人がいるな
民族病なのか? 話を別にして、朝鮮では現代に至っても祈祷が盛んで、その影響があってか、日本でも戦後しばらく祈祷が盛んであった。
小さな田舎の村には決まったように祈祷をする老婆がいた。40〜50年前ごろまで、日本でも霊媒師なる者がおり、困ったことがあると霊媒師を尋ねる者がいた。
また、現在でも、神社、お寺での祈祷によって合格祈願、結婚祈願をし、災難、病などを逃れようとする人の数は恐るべき量に達する。
このような祈祷による暮らしが生活に密着している国(先進国)は、恐らく韓国・日本において最も顕著だろう。※山口県田布施 天照皇大神宮教北村サヨ(病身舞教)等
シャーマニズムをもつ北方種族(騎馬民族)によって形成された朝鮮文化を、渡来人が倭国へ持ち込んだのは自然な流れだろう。
「卑弥呼」は邪馬台国に居住し、鬼道で民衆をまどわしていたという話もあるが、彼女を見た者は少なく、一人の男が飲食を給仕、彼女のもとに出入りしていたという話もある。
医者がいず、薬もなかった時代、病を恐れて祈祷にたよる生活が続けられていた時代、祈祷師は医者の役割を担っていたに違いない。
特に、上層階級の人は高名な祈祷師を重く崇め、丁重に処遇したと思われる。そのような社会風潮の中で「祈祷師<占い師>」の地位は高く、
「卑弥呼」のような女性(祈祷師は常に女性)が「国の預言者」として政治にかかわり、表に出ずとも聡明なる知的存在者として囲われ、
名目を王と称しながら有力な男性政治家と共にあったと推測される。残念ながら、「卑弥呼」が記した文献はなく、「邪馬台国」で「卑弥呼」の傘下にいた高位政治家の文献もない。 要するに、弥生時代 「邪馬台国」なる「国?」を作り、「卑弥呼」なる女王をもうけたのは、朝鮮からの渡来人たちであったと推測される。
縄文時代以前から存在した倭人は、弥生時代でもって消滅に等しくなり、奈良時代に、新天地として倭国へ渡来した人々は、倭国を「日本」として独立・建国させたのである。
好むと好まずとにかかわらず、現日本人の祖先のほとんどが朝鮮半島からの渡来人である。
「魏志倭人伝」に記録されている「邪馬台国」「卑弥呼」なるものの軌跡は、日本の歴史の流れが朝鮮半島を泉源としていることを明らかにする証明書のようなものであろう。
倭国の「原住民」から「卑弥呼」なる「預言者(祈祷師)」が生まれたとすれば説明がつかない。
「彼女を取り巻き支える倭人は全て「渡来人(朝鮮人)」であった」ということを信じられない人は、縄文がなぜ弥生にかわったのか、
「須恵器」がなぜ弥生時代に生産され始めたのか、水稲がなぜ弥生時代に盛んになったのか、古墳時代の古墳はなぜ朝鮮の古墳と「うり二つ」であるかを知るべきである。 >>942>>943
というサヨク妄想をするのは自由だが
そもそも同時に「弥生人」という民族意識の集団なんか基本いない
当の中国地域等から「 倭人 」と区別されてきたのよ(´・ω・`) また、「高松塚古墳」の彩色壁画の婦人像の着衣が古代朝鮮の服装そのままであり、高句麗に「高松塚古墳」とそっくりな古墳があるのはなぜか、
「荒神谷の銅剣」はなぜ出雲で発掘されたのか、出雲弁はなぜ韓国語に似ているのか・・あげれば数え切れないほどの古代朝鮮の文化の流れを見ることができる。
縷々申しあげた歴史を認識しなければ、「邪馬台国」があったのは「九州」だ「近畿」だといつまでも論争し、「邪馬台国」がどのような国であったかの解明をおろそかにするだろう。
まして、「卑弥呼」なる女王について、古代のわけのわからぬ人物として朦朧たる想像の世界に追いやり、結局、日本の古代史はわけのわからぬ神々の斟酌にとらわれることで終わる。
そして、「卑弥呼とは何者?」などと問う人が多いのである。 日本にはないものがあって
それを工夫で補っているうち
民族の特性を獲得したってかっこいい話だよw
その特性がiPhoneやスペースシャトルに生かされるとか
ぶっ飛ぶことだよw >>953
というサヨク妄想
まず当時が朝鮮じゃなかったのだが
「 好む云々 」以前にそこをやり直せよサヨクは
そもそも同時に「弥生人」という民族意識の集団なんか基本いない
当の中国地域等から「 倭人 」と区別されてきたのよ(´・ω・`) まあ卑弥呼がどうの邪馬台国がどうのなんて、まともな学者はどうでもいいと思ってるんだけどな
根拠も書き飛ばした半ペラで、どうせ適当だしww >>934
今川に折れろって道三に言われた信長が
犬畜生に成り下がることできませぬって話て
道三がわしは犬以下のマムシの生まれじゃ
信長がそれがしうつけの生まれ
道三が似たもの同士じゃあの場面すき >>955
ようはいつものサヨクコピペくんは
「 朝鮮と同化させたい 」
のだろうけど別物だからね(´・ω・`)
古代なんか特に
まあ先住民クローン政策でもいいがなwww
朝鮮と同化したいサヨクは発狂しそうだが(´・ω・`) >>955
> 出雲弁は韓国語
サヨクは韓国の年代を知らないのか
なぜ漢字を捨てたと言われるのか
それとも日本軍がまたハングル教育をしてやらねばならないのか?(´・ω・`) 福井県の新羅神社(1)若狭地方の森羅神社
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。
湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。
当地方も新羅・加耶系氏族に係る伝承や伝説が多く、神社の祭祀氏族としては、
秦(はた)氏(朝鮮語のパタは海の意で、渡来海人であろう)が圧倒的に多い。
秦氏については古代中国の秦氏の移民説や加羅氏族説など、異説が多い。
当地の神社で新羅神社と標記される神社は現存しないが、 標記の方法を変えて新羅(しらぎ)信仰を
今に伝えている神社がいくつか残っている。 敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、 「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、
小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。
これらに 加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども 新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。
当地方は応神天皇や継体天皇とのつながりが強い地方であり、 いわゆる古代三王朝の内、二王朝、
即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、 越前・若狭地方と関係している。両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かったであろう。
継体天皇は近江で生まれたが、越前で育っており、越前・若狭・近江などを含んだ地域は一つの文化圏といえる。
この時代、敦賀と大和の間を結ぶ重要な交通路である琵琶湖西岸には三尾氏、東岸には息長氏が勢力をもっていた。
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm
http://miidera1200.jp/ 好太王碑文や任那日本府を調べれば古来より日本は朝鮮半島を侵略していたのが分かるからな
日本式の古墳が朝鮮にあるのもそういう流れからだろう >>953
日本の左巻きのかなり数が日本人のふりをしたただの在日や
だから正確には「在日の根拠のない願望的妄想」 三井寺 新羅神社考「新羅神社」への旅
福井県の新羅神社(2)若狭地方の新羅神社
社伝によれば、朝鮮新羅城の新良貴氏の祖神「稲飯命」或いは「白城宿禰」を祭るといわれているが、
『神社誌』及び『遠敷郡誌』は「天日矛命の後裔が此国に留まり、其の遠祖である鵜茅葺不合尊、又は稲飯命を祀りしもの。
地名のシラキは日倉族の新羅人の住みしことあるにより起り、その祖神を祀りしとの説がありこれに従う」としている。
『新撰姓氏録』は新良貴氏を瀲武鵜葺草葺不合尊の男稲飯命の子孫とし、稲飯命を新羅国王の祖と伝えている。
『記紀』によれば、鵜茅葺不合尊(うがやふきあえず)は神武天皇の父とされており、 稲飯命は神武天皇の兄に当る。
従って、神武も新羅(加耶)国と係わりがあることになる。
『福井県神社誌』には、「創立年代不詳。境内より縄文式土器の破片が発見されているから、 弥生後期(一、二世期頃)には祭祀が行われていたであろう」とある。
当社は式内社に比定され、 『越前国内神名帳』には「従五位白城神」と記載されている。
更に、橋本昭三『白木の星』によれば「白城神社は延喜式にその名を記しており、 昔、朝鮮半島に栄えた新羅の人達が、
はるばる日本海を渡ってこの白木の浜に上陸して住んだといわれる」と述べている。 この伝説は、一種の天孫降臨を示すものであろう。 『南条郡誌』によれば「古名考」に「或云白木浦の社乎、案南条郡今庄町に新羅明神あり是なるべし。 今庄も古く今城と書けり。
此白城の誤転する乎。此町の東に川あり日野川と云。 此即古の叔羅(しらき)川なり。叔羅は即ちしらきなるべし」。
また『神明帳考証』には「吉従按白城宿禰を祭るなるべし。武内宿禰の孫也」と記載されている。
白城神社前の白城神社橋を渡ると大きな石の稲荷鳥居があり、白城神社の額が掲げてある。 鳥居の柱には「文政十三年庚寅歳四月上旬」と刻んである。
その左手には樹高33mの黒松の巨木がある。 境内の広さはおよそ一千坪。鳥居の下を過ぎ、二十段程石段を登った台地状の場所の西側に拝殿があり、
たくさんの扁額が掲げられている。台地状の場所の右手奥に二の鳥居(石の稲荷鳥居)があり、 鳥居の下から十段程石段を登ると本殿がある。
本殿は大社造のりっぱな建物。南向きである。 本殿の西側に末社等が祭られている。境内は白砂が敷かれ、清潔な感じがする。 神紋は菊。境内社は岩清水神社・春日神社・稲荷神社・蛭子神社・龍神社・日吉神社・伏見神社。
例祭は七月十五日。白木祭(新羅祭であろう)という。
新年祭・新嘗祭。
特殊神事として陰暦十一月上ノ卯日の前宵から餅を搗き、 これを薄い楕円形の小判形のものにして(古代神餅牛舌餅か)祭の当日暁方に神社へ参拝して撒く。
現今の新嘗祭に相当する。更には、能楽は白木祭の御能と称し有名である。能師は小浜方面より来る。
「当区において祭礼情景を観る時、往昔の自己の氏神祭礼に 官人・傭人等が賜暇を得て郷土に気休する時の事を想像される」(『敦賀郡神社誌』) >>964
× 侵略
○ 朝鮮は新参 もとの持ち主は古代中国系箕子www
+ >>883等参照 三井寺 新羅神社考「新羅神社」への旅
福井県の新羅神社 (3) 信露貴彦(しろきひこ)神社(敦賀市沓見(くつみ)に鎮座)
沓見には久豆弥(くつみ)神社がある。地名の沓見は古くは久豆弥であったのであろう。
沓見は敦賀半島の付根の中心部にある集落である。円塚古墳・横穴式墳墓が数個所発見されている。
敦賀駅からは車で二十分位の場所にある。沓見のバス停の前を左折し100m程進む。
道路の突き当たりが信露貴彦神社である。神社のある場所は山裾で標高が高くなっている。
東北部には農耕地が続き、そのはるか遠くに山並が連なっているのが見える。
神社の左隣(南側)には前宮司の龍頭(りゅうとう)家の屋敷があり、 「龍頭一夫」なる標札が掲げてあった。
夫人に話を聞いたが、大変親切に説明をいただき、帰る時には柿などを土産に頂戴した。
龍頭家の座敷には信露貴彦大神・久豆禰大神・八幡大神の三神の掛軸と供物や狛犬などが飾られていた。
今の宮司は前宮司の弟さんとのことであった。宮司の龍頭家は新羅系の家系であることから、 信露貴彦神社は新羅系の神社である証拠とされている。
「宮司の龍頭家は系譜に新羅国王族の末裔ということになっておる」(『今庄町誌』) ID:vMYXI8BN
大量にコピペしとる半頭人、お前完全に発達障害やろ? >>965>>970
ID:vMYXI8BN
↑↑ツッコミスルーしまくりで妄想コピペだらけのキチガイだからなコイツ(´・ω・`)
会話をする気がない病気の人かあるいは五毛党シナチョン的なやつか >>959
そうそう。道三と信長が周りから認められない者同士としての親近感を抱くんだけど、道三が信長の若さに少し嫉妬する感じを演じられる役者さんがすごいなと感じたよ。 >>972
いつものマイノリティネタなんだよなバカサヨの
なら
新羅王の祖は稲飯命(日本人)
とか日本人瓠公が古代朝鮮を見付けまくったとかもやらないとなwww 神社は三百坪位の境内であるが、境内地の境を区切る玉垣などはないので、 林の中に鳥居や神殿が立っているような印象を受ける。
神社の入口には信露貴彦神社と刻まれた背丈の高い石柱や二基の石灯籠・石の台輪のある大きな明神鳥居が立っている。
祭神は瓊瓊杵(ににぎ)尊と日本武尊。 社伝によれば推古天皇十年(602)の創建とされる。古代の新羅系渡来人とのつながりが深く、
敦賀半島の北端にある白城神社とも同系の氏族が祭ったものである。
「当神社は、同村の久豆弥(くつみ)神社の姫宮に対し男の宮と呼ばれ、 共に『白木大明神』といわれた」(『敦賀神社考』)
『敦賀神社誌』によれば、「按ずるに当社は往昔より白木大明神と尊称し、 推古天皇十年に創立し延喜式神名帳には越前国敦賀郡信露貴彦神社とあり。
元は当区南方字神所(かんどころ)・下の森地籍に鎮座したというが、 現地に奉遷の年代は不詳」という。 『福井県神社誌・遠敷郡誌・南条郡誌』には、「或いは今庄堺村荒井の新羅神社ならん乎」。
『古名考』「一説日野川の源である夜叉ケ池に古へ新露貴神社あり。
故に此河の渡所を白鬼女村と云は信露貴彦の訛なりと云へ共然らじ」。
『古名考書入』「合波堺村山上の社なり按に合波のは白鬚神社なるに 荒井は地名も古文書に見え社名も同じなれば寧ろ之を採る可き乎」としている。
『今庄町誌』では「敦賀郡松原村沓見にある信露貴彦(しろきひこ)神社は、 南条郡今庄町今庄の新羅神社・白鬚神社、堺村荒井に鎮座する新羅神社と同じである」と記載している。
従って、祭神も新羅明神(素盞鳴尊)であったであろう。神社は拝殿と本殿からなる。 拝殿及び弊殿は妻入り神殿、木造瓦葺、白壁造りで庇がつけられているが、建物は相当古い。
拝殿の奥に七.八段の石段があり、その上の台地状の場所に本殿がある。 本殿のある台地は、石垣が積まれている。
石段を登った所に四脚門(これも妻入り、左右に木造の透塀がある)があり、 その数メートル奥に本殿がある。
簡素ではあるが千鳥破風造の屋根をもつ木造建築である。 瓦屋根。境内社に神明社・猿田彦神社・金比羅神社・山神社がある。 例祭は五月四日。祈年祭三月二十一日。新嘗祭十一月二十三日。 五月六日の例祭日に行われる「王の舞」は天孫降臨の様子を表現したものともいわれている。
沓見祭といわれ、古代そのままの神事が行われるという。
金達寿は『日本の中の朝鮮文化』の中で「信露貴とはもちろん新羅(しらぎ)ということで、 彦とはその男ということであろう。
新羅を白木(しらき) ・白城(しらぎ)としたのはいゝほうで、 信露貴とはずいぶんめんどうな字をあてたものである」と記述している。
当神社も、明らかに渡来系の新羅神社であるにもかかわらず、祭神が天孫邇々芸命(高天原に天降った神)である。
邇々芸命は大山津見神の娘・木花開耶姫(神吾田津姫)と出会い、 海幸彦・山幸彦(天津日高日子穂手見命)など三柱の子神を産むのであるが、山幸彦の子が鵜茅葺不合尊であり、
孫が稲飯命である。天日槍の後裔が新羅国王の祖として祭ったということを示したものであろうか。 日本の八百万の神々の大部分は、朝鮮半島から渡来した人々の氏族的な先祖信仰の象徴であり、石器時代から日本列島に存在したものではない。
例えば、スサノオ(素戔鳴尊)、オオクニヌシ(大国主命)、ハチマン(八幡)なども大陸からの渡来神である。
朝鮮半島からの渡来者が増加した4世紀以後(日本の古墳時代)に、朝鮮半島から来た人々は、
家と個人の信仰である仏教と、先祖・氏族の信仰である神と、二つを抱いて日本列島に渡ってきたのであった。
そして日本の居住地域に、寺と神社を建てたのである。 新羅人は、太陽神を祭った。太陽神と同時に祖先神を祭った。そこから神社が発生することになるという。
例えば伊勢神宮、これは皇祖神になっている。
伊勢神宮に行くと韓神山という山がある。その中に韓神社があります。伊勢には韓鋏という地名があります。
韓の発祥の地は丹後で、そこには天の橋立、一宮の籠神社があります。籠神社は元伊勢と知られています。
この籠神社を祭ったのが、天日槍の人たち。
「天日槍」については、新羅の王子という個人ではなく、新羅、加耶系渡来集団の象徴、新羅から渡来した矛や剣で神を祭る集団の象徴のようなもの、
新羅人は太陽神あるいは祖先神を祭り、いわば天日槍(矛)とはその為の道具だといいます。
日本書紀や風土記で記されてある「赤留比売」は天日槍の嫡妻ではなく、神を祭る巫女だといいます。
この巫女が後に大阪市東成区にある比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)に祭られる。
祭っていたものが後に神様として祭られる例は、天照大神があり、天照大神は大日?貴(おおひるめのむち)というシャーマンだったものという。 >>930
売れないからじゃなくてちゃんとやらないとあまりにも不公平だわな
日本ガーやりまくりだしNHKは
当時のインドネシア等はまさに世界的な列強奴隷の排出国だし(´・ω・`) 神社の起源と古代朝鮮〜岡谷公二によると
神社信仰の成り立ちについて、近江の渡来人が祀った神社、渡来人とかかわりのある神社について、新羅=伽耶系が圧倒的に多い。
近江では、式内社142社 その約2割が渡来系で、そのうちの8割が新羅系だという。
では、琵琶湖に住んだ渡来人は、新羅人だったのか?
むしろ反対の見方が多く先日訪れた湖東三山の百済寺をはじめ石塔寺など百済系のものの方が多い。
近江のみならず日本のほぼ全土についても、弥生時代から古墳時代にかけて朝鮮半島から渡来してきた人々の多くは、
後に百済が立国する半島の西部より、新羅・伽耶の国々が立国した東南部、現在の慶尚南・北道の人々であった事は間違いないため、
百済より新羅・伽耶と倭の関係がより古いという。 >>979-981
現実
史料「 新羅王の祖は稲飯命(日本人) 」
瓠公(日本人)「朝鮮王はワシが見付けた」
逆に日本人が朝鮮に行きまくってたという
そもそも朝鮮は後から誕生したしなwww >>983
現実「 ガチの昔々の朝鮮に神社なんかありません 」
www 現実
古代中国「朝鮮半島最古の国は古代中国系の箕子国」 >>2
植民地国や列強が日本に争いを持ち込んだんだよ
ふっかけたのも列強
日本に要求してきたのも騙したのもオランダ等 近江系の神社は、どこの例外もなく古く。年代は多くは不明で確認する方法もないが、
ほとんどの神社の社域に一基以上の古墳がある事が証拠立てる理由だと言う。
この古さは、神社の成り立ちに朝鮮半島、特に新羅・伽耶が戒る役割を果たしていることを暗示する。
弥生時代から古墳時代にかけて朝鮮半島から渡来してきた人々が、稲作をはじめとする様々な文化技術を現地の人に教える一方で、
祭祀だけを現地のものに倣うとは考えられない。
日本で最も数の多い神社である八幡神社、稲荷神社が元来は新羅系の秦氏が祀った神社である。
このように新羅は、日本の神社信仰に大きな影響を与えているのである。
また、「天日槍」について、神社と古代朝鮮との関係を考える場合極めて重要だと述べている。 秦氏に混じって穢族(わいぞく)が伝えた
前田速夫は「狛犬の狛(高麗=高句麗)は貊族の「貊」が起源で、鳥居も「鳥竿」「ソッテ」の変形である。
新羅神社 百済神社 高麗神社など国名がそのまま名称に移行した神社は言うまでもない。
神社や社殿に付属する鳥居、狛犬が備わる以前は、対馬の卒土のような、あるいは沖縄の御嶽(うたき)のような、
聖なる森だったに違いない。」と、穢族(わいぞく)が秦氏と混ざり、南下して日本に伝わったと述べている。
魔除けの役割を担う狛犬は、平安時代末期、それまでは天皇の御座の左右におかれていた獅子、狛犬が神社の境内に進出したものであるという。
仁和寺の仁王門裏には、立派な角のある一角獣がいる
鳥居の原型
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/500/17/01/91/500_17019166.jpg
http://stat.ameba.jp/user_images/20100207/09/2626150/d0/00/j/t02200293_0240032010404207233.jpg 「ソシモリというのは、地名ではない「ソシ」は「高い柱」、
「モリ」は「頂上・てっぺん」の意味 したがって、「ソシモリ」は「高い柱の頂上」という意味だ」
「牛頭天王の「牛」は「ソ(シ)」という音にあたる漢字の牛を当てはめただけ」という
韓国慶尚北道高霊にはその昔「ソシモリ山」と呼ばれていた山が実在していたという
その山は高霊の現加耶山である
加耶山とは、仏教が伝わって以降の呼び名で、古代には「牛の頭の山」と呼んでいたそうだ
「牛の頭」は韓国語のよみで「ソシモリ」
その山が「牛の頭の山」と呼ばれたのは、加耶山麓の白雲里という村の方から見た時、
山全体が大きな牛が座っているように見えるからだという さらに白雲里には「高天原」という地名まである
鳥トーテム(ソッテ)
http://inoues.net/korea/zenra0031.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/201108/20/75/c0139575_1516539.jpg 韓神
『古事記』や『延喜式』神名帳などにみえる神。「韓」は朝鮮の意。よって,神名は朝鮮国の神の意。
朝鮮半島からの渡来人およびその系統の人々によって祭られた神。
『古事記』には,須佐之男の子である大年神と伊怒比売との間に生まれた第2子としてその名が挙げられており,
新羅国の都である徐伐(現在のソウル)をそのまま名とした第3子の曾富理神と共に,古代朝鮮との密接な関係を反映する。
『延喜式』神名帳には,宮内省にいます神として園神社,韓神社の名が挙げられているが,韓神が宮内省に祭られるように
なった由来は大江匡房の『江家次第』にみえる。それによれば,この神は延喜(901〜923)以前から宮内省に鎮座していたが,
遷都の際に他所へ遷そうとしたところ,自分はずっとここで帝王を護りたいというこの神の託宣があったので,宮内省に祭ることになったという。
朝日日本歴史人物事典 韓神
「古事記」にみえる神。
大歳神(おおとしのかみ)と伊怒比売(いのひめ)との間に生まれた5神のうち,第2神とされる。
朝鮮から渡来した人々にまつられた。「延喜(えんぎ)式」神名帳には,韓神社が,宮内省にまつられる神としてあげられている。
講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus >>990-994
という妄想で裏付けスカスカなネタだらけ
いわゆるウリナラ起源説だね(´・ω・`)
現実
史料「 新羅王の祖は稲飯命(日本人) 」
瓠公(日本人)「朝鮮王はワシが見付けた」
逆に日本人が朝鮮に行きまくってたという
そもそも朝鮮は後から誕生した新参なw >>990-994
という妄想で裏付けスカスカなネタだらけ
いわゆるウリナラ起源説だね(´・ω・`)
現実
史料「 新羅王の祖は稲飯命(日本人) 」
瓠公(日本人)「朝鮮王はワシが見付けた」
逆に日本人が朝鮮に行きまくってたという
そもそも朝鮮は後から誕生した新参なw >>990-994
という妄想で裏付けスカスカなネタだらけ
いわゆるウリナラ起源説だねwww(´・ω・`)
現実
史料「 新羅王の祖は稲飯命(日本人) 」
瓠公(日本人)「朝鮮王はワシが見付けた」
逆に日本人が朝鮮に行きまくってたという
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