連続テレビ小説 花子とアン(再)★25
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>>262
フジテレビ系列関西テレビの報道ランナー 秦みたいな田舎モンが中国統一とか
春新くんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! >>276
当時太鳳ちゃんが主役決定したときのネットの反応は? >>291
よく分からんけど、わしは嬉しかった(´・ω・`) 総集するなら二期まで分やらんと初見はさっぱりわからんだろう >>160
地元の博物館みたいなところに持っていってみたらいかが
けっこう歓迎されるかも 横山光輝の史記で古代中国を覚えた俺
キングダムがイマイチなじめない >>43
嘉納伝助のモデル伊藤伝右衛門
生家の暮らしは貧しく、日々の食事に木の芽や草の芽を探し、
蚊帳すら質に出す生活の中、幼い伝右衛門は寺子屋に通う事もなかった。
母・ヨシは伝右衛門が7歳の時に死去。さらに父・伝六の病のため、
8歳の時に妹とそれぞれ親類宅へ預けられる。
伝右衛門はその家の納屋で寝起きして、田畑を耕し使い走りなどして暮らした。
伝右衛門は10歳で呉服屋「丸屋」に丁稚奉公に出る。忙しさから寺子屋に通うこともなく、無筆となる
父は「魚の問屋」と露天掘りを始める。当時石炭掘りは軽蔑の対象で、結婚も禁忌されるほど蔑視されていた。
13歳の伝右衛門も丸屋を辞め、父の仕事の働き手となる。水揚げされた魚を馬や天秤棒で八里(32キロ)の距離を運んでセリに出し、農家で買い付けた卵売りもした。また遠賀川から芦屋海岸まで石炭を運ぶ船頭にもなった。 >>43
1877年(明治10年)7月、18歳の時に西南戦争が起こり、
日当の高さから父の反対を振り切って軍夫に志願し、官軍方として熊本の激戦地で危険な弾丸運びをした。
西南戦争が終わると船頭に戻り、船頭暮らしは2年半ほど続いた。
1880年(明治21年)、狸掘りなどで小規模な炭坑業を行っていた父が、
相田炭坑を経営する松本潜に資金援助を得て伊岐須炭坑を開く。
25歳の伝右衛門は肉体的に苛酷な採掘に従事し、父と共に最初の炭坑経営を軌道に乗せた。
ようやく生活も安定し始めた1888年(明治21年)10月、旧士族辻徳八の長女・ハルと結婚。
父が病没し、伝右衛門は40歳で家督を継いで独り立ちとなり、譲渡資金を元手に事業を拡大していった。
1896年(明治29年)、炭坑諸機械を製造する合資会社・幸袋工作所を創立し、社長に就任する。 >>63
サイダーすきなのとかはなちゃん呼びとか可愛い >>227
ダメ親父のダメダメっぷりの極みが太鳳を強引に北海道に嫁がせたことだからね
悪気のない分、クズ親父よりか腹たつんだよな、こいつに >>308
コピックじゃないのか。。。(´・ω・`) 石橋レンジはカウボーイビバップにレンジ役で出てた。。。(´・ω・`) ふじさんがシゲお婆ちゃんになってスマホでリモートやってたな 裏でなでしこジャパンやっているけど
それより花子とアン 土屋太鳳が姉妹揃って叩かれるタレントになるなんてこの頃は これ歌ってるのなんとかかんとか&何とかって人だとかいうらしいよ >>328
芳根京子
永野芽郁
杉咲花
『私たちも.....』 あぐりよりもつまんない
おちよやんより面白いの始まった 絢香も初期は名曲が多かったんだが
みんな空の下までだな >>344
そうかなあ。蓮子駆け落ち編はそこだけ見たら朝ドラの中でもかなりの面白さと思うけど >>341
芳根ちゃん、芽郁ちゃん、杉咲さん
みんな好きだ! >>344
あぐりあれ面白いか?
正直最近のBS朝再放送枠にしては..... >>341
おちょ以外は未見だけど、脚本だけのせいなの? このおとうの思考回路は意味不明。朝ドラ不快親爺ランキングのベスト5に入る。 >>352
覚えているのは非国民扱いされて石投げられて
泣きながら帰って来るセーラー服姿の芳根京子 >>358
おちよやんつまんな過ぎて、澪つくしからの流れの方が遥かにおもろくて >>341
葵わかなと芳根京子は被害者かもしれないが
永野芽郁と杉咲花は主犯 >>356
芳根ちゃん最近胃腸薬や損害保険のCMにも出ていて良かった。 このお母さん役の人
美人枠に主役枠では絶対使われ無いな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています