八芳園の歴史 https://www.happo-en.com/history/
東京白金台の自然の丘陵と小川跡を利用してつくられた八芳園は、樹齢数百年の樹木や渡り鳥の姿等を見ることのできる由緒ある日本庭園です。
いま八芳園のある白金台は、江戸時代初期には、徳川家康の側臣の一人、大久保彦左衛門の屋敷であったと言われています
そして明治の末にはいまの八芳園の地を実業家渋沢喜作(1838〜1912年)が所有し、老居の地と考え居を構えました。
その後、白金台がにぎわいをみせる様になり、騒がしくなったと、1915(大正4年)、喜作はここを売りに出します。 そこに目をつけたのが当時、実業界に世人瞠目の手腕を振るっていた久原房之助です。

日立製作所などの基礎を築いた久原房之助は、第一次大戦後、一躍新興財閥に仲間入りし、後に政界に進出すると政友会の中枢にあって表裏に活躍しました。
庭内に足を運んだ久原は一目でそこを気に入り、購入を即決しました。久原は後にこの地を踏んだ理由について、「あの松一本に惹かれたのだよ」と語っています。

久原の言う松とは、かつて大久保彦左衛門が将軍家康から見舞いとして授かり、後に地におろしたと伝わる、あの樹齢400年を超える老松です。
久原はことのほかこの松を愛し、写真を撮る時などしばしばこの松を背にしたと言います