>476ほれ
東京の原宿が「こんな原っぱしかない所に宿場を作れるの」

という冷やかしから生まれた地名であることでもわかるように、江戸はかつてさびれ切った過疎地でした。

小田原平定後、豊臣秀吉が徳川家康をその江戸に赴任させたのは、実質左遷のようなものでした。

秀吉は、家康に謀反を起こされるのを、殊の外警戒していたのです。

従って、表向き「関東のお目付け役」という名目で、過疎地に追いやったのです。ただし家康は功労のあった人物なので、250万石という所領も与えています。つまり、はっきり左遷とわかるようなことはせず、多大なフォローもしました。

それでも、家康の家臣たちは、ほとんどが不満をぶちまけていたようです。どうしてこんな辺鄙な土地を任されなければいけないのかと。ただし大将の家康だけは、「辺鄙だからこそ、根本から手をつけ、色に染められる。やりがいがあるではないか」と、前向きに考えていました。