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2代目 服部半蔵正成
徳川家康に仕えた武将。松平家の譜代家臣として家康の午廻、御先手、鉄砲奉行などを務め、のちに家康より伊賀同心の指揮権を預けられる。
いわゆる「服部半蔵」として世間でよく知られるのは彼の事であるが、正成自身は槍を持ち甲冑を着て足軽を率いた武士であり、一番槍・一番乗りなどを重視し数多くの戦功を上げた。
槍の使い手として名高く、敵味方より「鬼半蔵」と呼ばれた(しばしば混同される「槍半蔵」は同じく徳川家臣である渡辺守綱の別名である)。
なお、伊賀越え後に配下となった伊賀同心は徳川家臣団の一部門であり、服部家の家臣ではない。正成はあくまで指揮官の一人であり「伊賀国の忍者の頭領」ではなかった。
合戦において正成は伊賀者のほか甲賀者や根来者など指揮していた形跡もみられる。
晩年は出家して江戸麹町の清水谷に庵を建て、家康の長男松平信康の菩提を弔ったという。
名は弥太郎、官位は石見守。慶長元年11月14日没。法号は専称院殿安誉西念大居士。