酒井敏雄は矢田部は兼職が多く
「植物学科では唯一の教授が学生に充分な授業を行えず、講義は外国で出版された教科書を英語で伝える
という形式だった…(中略)…実習や実験を満足に行えない教育者はもはや許されなくなった。
これが矢田部を非職にせざるを得なくした主な要因であろう」としている。