こんばんは、松平です。
歴史を大きく動かした「その時」には、
その瞬間の人々の決断や苦悩のドラマがあります。
今日の「その時歴史が動いた」は、私がタクシー運転手を蹴り殺そうとした「その時」をご紹介します。時は、西暦1991年、平成3年。日本は第二次大戦後、空前の経済繁栄に酔いしれていました。
事実上の国営放送である特殊法人のNHKこと日本放送協会。衛星放送を始めるなど順調だったこの局の看板アナウンサーが、徳川御三家の流れを汲む松平定知でした。松平がタクシー運転手を蹴るまで、あと3日。
さあ、今日の「その時」がやって参ります。彼は泥酔したまま車に揺られながら、吐き気を覚えていました。とそのとき、運転席からタクシー運転手の舌打ちが聞こえました。
彼が何故、タクシー近代化センターに通報するより、その場で、自らの足を使って成敗することを決断したのか 、これは現在に至っても、未だなお日本の歴史上最大の謎とされています。
今日は、後日発見された彼の日記をご紹介して、お別れしたいと思います。
「徳川幕府の支配層であった私がなぜ雲助ごときに舌打ちされるのか。国営放送局のアナウンサーとタクシー運転手では、比べものにならぬ。私の先祖は、民衆の生殺与奪を思いのままにしてきた。その子孫である私が、いま人を一人蹴り殺すことで、なんの非難を浴びようか。」
その後、彼は当時のニュース番組を降板し、謹慎処分になりましたが、再びアナウンサーに返り咲き、今度はスタッフにペンを投げつけるなど、相変わらずの態度に辟易した視聴者からの抗議は耐えませんでした・・・