唯一禍根となったのはニコライの日本人への心象であった。

日本では津田と他の日本人全般を区別する発言をしていたニコライだったが、この事件に遭遇して以降、彼は日本人に嫌悪感を持つようになり、ことあるごとに日本人を「猿」と呼ぶようになる。

ロシア首相セルゲイ・ウィッテはニコライ皇太子の日本人蔑視が後の日露戦争(とその敗北)を招いたと分析している。