幕政の混乱の責任を直弼に押し付けられる形で10万石を削減されたことから、大政奉還後、最後の藩主直憲は譜代筆頭でありながらも藩論を転向し、鳥羽・伏見の戦い以降戊辰戦争では徳川討滅の急先鋒として新政府側に属して戦った。