道隆の遺児である藤原伊周は、故太政大臣藤原為光の娘三の君に通っていた。長徳2年(996年)頃、花山法皇が三の君と同じ屋敷に住む四の君(かつて寵愛した女御藤原忯子の妹)に通いだした。伊周はそれを自分の相手の三の君に通っているのだと誤解し、弟の隆家に相談する。隆家は長徳2年1月16日(996年2月7日)、従者の武士を連れて法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で射抜く(更に『百錬抄』では、花山法皇の従者の童子二人を殺して首を持ち去ったという話も伝わっている)。