>>751
1939年5月 
モンゴル軍の騎兵部隊がハルハ河を越えて来る
関東軍第二三師団がそれを駆逐したことからノモンハン事件は始まった。
ソ連軍は戦車と装甲車で微弱な反撃、関東軍により撃退。

1939年6月
関東軍 西岸に陽動進行、東岸陣地に戻る。

1939年8月
ソ連軍三個戦車師団と三個狙撃兵師団による猛攻をかける。
関東軍包囲されながら救援の三個師団が到着、ソ連軍を逆包囲する形成
になったとき、モスクワで休戦協定が成立。

ノモンハンでのソ連軍の死傷者は25565名でモンゴル兵は含まれない。
日本軍の死傷者は17405名。

ソ連軍の戦車は800台破壊され、日本軍の戦車損害は29台。

ソ連軍の撃墜された飛行機1673機に対して日本軍の撃墜された飛行機は179機。

関東軍の第23師団に対してソ連軍は10倍の20万の兵力を投入していた。
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日本では辻政信らがノモンハン戦で日本は負けていなかったと主張していた。
本当は勝てたはずだったのだが、東京から制止されたために負けたことにされ
てしまったとするものである。

他方、ソ連でもピョートル・グリゴレンコの回想によれば、ソ連軍作戦参謀が
「もし日本がドイツ側について参戦したならば、われわれは終わりだった」と
語っている。