100分de名著 part 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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100分 de 名著
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毎週月曜日/午後10時25分〜10時50分
<再>水曜日/午前5時30分〜5時55分、午後0時00分〜0時25分
(Eテレ)
前スレ
100分de名著
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1383790562/ 伊集院はオルテガが選挙に出たことで
「心の底では大衆を信頼してる」と解釈してたが
実際は、大衆へのアプローチの仕方って無いんだよな
結局オルテガが危惧した通りだった
中島さんは上品に紹介してるが
「大衆は馬鹿」「馬鹿は死ななきゃ治らない」
ってのがオルテガ主張だろ ベネズエラのハイパーインフレは愚かな大衆が権力を握った事による悲劇で、
教育を疎かにしてはいけないという事をおしえてくれるし、
トランプの言動は、自由主義が強いと教育格差も拡大し、
現代にまで築かれた各種知見に対する無知が、リスクになる事をおしえてくれる。
オルテガのような懐古主義では、集票力がなく、非現実的で、課題に対しては無用に見える。 権威主義という悪疫に蝕まれて形骸化が進み
民主主義が死んでしまいそうな時
その処方箋のひとつとして
立憲主義は必ず役に立つはず
それをどうしてもやらなくちゃダメって状況の
今って
かなりのピンチでもあるし
けっこうなチャンスでもある 古典の価値を今すぐ役立つかどうかで判断してしまうのはそれこそ近視眼的
番組は過去や伝統にフォーカスを当ててたけど
当然
未来の世代のことも考慮しなくちゃならない
そっちの切羽詰まり具合も大変なものなのだから レキシ上、少数の賢明な人間性豊かな人達が、横暴で流されやすい大衆を
説き伏せて政治を行った、なんて例は浅学にして知らないんだよなあ その
逆ならあるけど とまあ悲観的になってもしゃあない 自分の、自分達の言動
なんて完全にコントロールできるもんじゃあない 数か月後には伊集院が
新党立ち上げて極右勢力になるかもしれない(適当) でもまあ死者の民主主義
ってご先祖様に顔向けとか歴史に名を刻むとか東洋的なメンタリティとも
合致する面はあると思う 門閥制度は親の仇と言ったのは福沢諭吉だったか
「死者」が伝統への反逆を命じる場合もあり得る 伊集院以外の新鮮な見方も聞いてみたいから作品ごとに他の人にMCやらせてほしいわ
いい番組なのに伊集院がこの番組にへばりついてるのが正直うっとうしい ぶっちゃけて言えば、番組の思想的な傾向そのものは台本でしょ もちろん伊集院も大まかな
点では同意なんだろうし 時々伊集院オリジナルのコメントもあったり、内容も結構編集してるのが
伺える 伊集院は引き出しが多いというか、シャベリが仕事だけあってよく整理されてる 例え
mCが変わったからと言って何が変わる訳でも無く、むしろmCの責任では無いのがはっきりする
だけだと思う 堀尾時代を知らないので、ヘウレーカの又吉とかブラタモリのタモリみたいに伊集院ありきの番組だと思って見てるわ 少年少女向けの名著の回ではmcが代わっていたので、別に伊集院も安泰って訳では
ないと思うが、公共放送って、既出の田森とか又吉みたいな使い方をするからねえ むしろ伊集院側が公共放送にしがみついてるみたいに見えるからねえ
タモリ・又吉ありきの番組と違ってこの番組は伊集院ありきの番組ではないんだよなあ
ブラタモリは出てくる解説者がコミュ障気味の専門家が多いから
専門的知識をある程度持ってないと掛け合いができないからタモリありきは仕方がない部分はあるし
又吉の番組は(見たことないけど)日常の中の意外な疑問を追っていく番組みたいだから
又吉の意外性のある視点は番組との相性がいいからまあ又吉ありきになるけど
この番組の解説者は専門家というより作品のファンでコミュ能力が高い人が多いから
伊集院のポジションは誰と変わっても番組として成立してしまうからね まとめると
台本で解説の流れを知ってるからこそできるコメントをドヤ顔でする伊集院が嫌いw >>780
同じく アナがやっている知恵イズみたいなものか
仮にヒカルが降りたらアナに戻るかもね そんなに伊集院のこと嫌いなのに番組は観てるんだからお前はずーっとこのスレで伊集院嫌いって書き込み続けることで精神のバランスを保ってくれていいよwこっちはもう気にしないから 精神にバランスなんて無いよ あると思っているから病んでいく あるとすればそれは
自律的にあるのであって、人為的なものでは決してない 来月阿部ちゃん出るんだ
英語との絡みで夏目漱石っていうのも興味深い
若い世代は必見だな 今の日本においてはネットの俺らが大衆に当たるんだろうか
周りに合わせず孤独な個の群衆に過ぎないのだから貴族ってやつなのか うおお夏目漱石スペシャルきたー!
思えばこの番組を初めて見たのが「こころ」だったなあ >>790
個人主義と大衆化はイコールの関係。
日本も個人主義が謳われて久しいが、
結局、一人で生きてい行けないし、
1人の人間が1〜10まで学ぶことは大変だから
おのずと自分が好きでもないものを好きと言ったり、
周りが良いと言ってるものを支持してしまう。
結果、極端な世の中になってしまう。
(民主に約300議席与えた次の選挙で、自民にも約300議席与えるなど)
風潮として、貴族の精神的な個人主義でなく、
好きな事をすればよいという、オルテガのいう所の
「甘やかされた坊ちゃん」的な個人だから
今の社会やネットはオタクみたいなのばっかだろう
一つの趣味や一つの職業をやってるだけなのに
他のもの(政治家など)に上から目線でいるから間違う。
オルテガの言う、「専門家こそが大衆化になりやすい」
ゲーテなんて5個くらいの職業を手にかけてたから
現代の知識人とは勉強範囲が比べ物にならない。 「憎しみに抗って」って本が
今に必要なスピノザ的分析って感じがして
なかなか面白い オルテガの最終回、なかなか面白かった
「自分は自分が選択しなかったモノによって形づくられている」だったか?
しかし中間領域の再生とは、具体的にはどう進められるべきなんだろうな
いくつものコミュニティに属している方が「逃げ場」ができるのは理解できる
しかし、いくつもに属するって事自体がすんごくエネルギー使いそうに思う 最終回に保守とは何かで帰結したのは面白かった
ポピュリズム、ファシズム、共産主義全てに対する懐疑や批判だったんだな 単純化
AなのかBなのか
イエスなのかノーなのか
って沖縄県民投票じゃん 沖縄の県民投票こそポピュリズムじゃないかな
日本のリベラルはダブスタだらけで信用できないわ つまり、良い民意と悪い民意があって、悪い民意は聞かなくてもいいってわけね
まさにダブルスタンダードだねえ >>761
中島お得意の自分の言いたいことや自分の主張したいことに都合の良く捻じ曲げる例のやり方でしょ 正しい事でもみんながやっちゃうと間違いになるってのが面白い
議論でもみんなが発言しちゃうと収集がつかなくなる
かといって誰も発言しないと議論にならない
常にバランスをみないといけない 大多数が賛成するから正しいのだという事も、共産主義のように少数のエリートが多数を指導するという事も
どちらも傲慢ではないか?ということなんだろうな 自分と異なる意見に耳を傾けない
なるほどパヨと野党の事か まるで自分は自分と異なる意見に耳を傾けられてるような物言いですな 結局どいつもこいつも永遠に>>803>>804を繰り返して互いに譲ることなんてないんだと思う 極端な奴ら程声が大きいというか、お互いを叩く為に、極右極左をやり玉に挙げている感はあるよね
存外まともな奴らはそんなに立場を変えたりはしない 国家と個人の間にある文化ミーム的な何かって日本はどんなものなんだろうな
デモクラシーようわからんけど そりゃ農村の氏子、今の子供会、青年部とか、都会の町会とかでしょ でも民主主義の土壌
というより、大政翼賛会(古)的な役割かもね そもそも西欧とは成り立ちが違うというか 今月のテーマがきっかけで、ネットに落ちてたので、読んでみたが、中々面白い内容だった。
解説者は加工成形して、保守思想に流してたが、単なる深堀でも面白い内容だっただろうなと思う。
(死者の・・・、あの一文ぐらいしか、見当たらなかったような!?)
最終回の中間領域だが、厚ければ、より良いとは思わないな。
それだけ、中ボスがいるってことだし、一種の大企業病にも嵌まるし。
(自民党も優秀な新人や問題に対する正解を持っている下っ端の意見が通らず、それを改善するトレンドにあるんだろうし。) 現代人は「絶対的に正しいものは無い」と「答えが無い」をごっちゃにしてる思う。
「答えが無い」の方はそれが最大の答えになってしまって、なんでもありの世界になってしまう。
戦争もアリ。渋谷で軽トラ倒すのもアリ。
正しいものはあって、直感的に今の自分の考えじゃ、そこにたどり着いてないから勉強するんだろう。
「答えが無い」なら、人に質問することも考える事もやめてしまう。 文化・伝統・習慣的に中間領域がない、あっても薄い共同体に、
厚い中間領域を作ろうというのは死者の声を無視することにならんのか?
自分たちの共同体だけで完結するなら、文化的に許容できる範囲で指さし確認しながら変化させていくことも可能だろうが、
他の共同体との衝突で変化を余儀なくされる場合はそういう猶予無い場合が多い。
「そういう形が望ましいのは言われでも分かっているから、そういう形にする筋道を教えろ」
って感じであんまり意味があるとは思えない。 他の共同体との衝突以外なしの自発的な変化なんてないよ。 普段から垂直方向や水平方向の関係が断絶していて、いざ団体行動取ると
過激、命がけってのがこの国の伝統的な中間領域だと思う 絶対に○○ない
戦い 的な 普段から小出しにエネルギーを出せる公的、政治的な集まりが
無いんだよね あるとすれば趣味のサークル的な 政治や公の事となると
悲壮感漂うんだよな そもそも、中間層的なサークルって、別に民主主義を
成熟させるためにある(必要とされる)もんじゃないと
思うんだよね それが目的では無いけど、それを経験する事によって民主主義の訓練にもなるというだけのことだと思うが 個人の集まりが中間領域になるんだろうけど、あるサークルに属した時点で、
個人の個性が、サークルの性格に規定されてしまう この国の国民性なのかねえ
個人の政治的意見や行動を訓練する必要があるんだろうね 個人の力の差が
他の歴史のある民主主義国家とは違う気がするわ 東日本大震災の時も地域の結びつきが強いと助け合いが起こって生存率が高かったらしい
都会は「コミュニティってのは個人を束縛するネガティブなもの」となって
しかも、地方でしか生きられない人を軽蔑してたからな
これから南海とか首都直下あるから大変そう
小泉以降、中間組織を規制改革で解体していったが、あれも大衆化に拍車をかけたな
利権と批判されてたがまとまった意見というのは国家の安定にも繋がる
それを壊したから投票率とかも下がったんだと思う 昔は浮動票と言ってたが、今は無党派となり、
付和雷同する大衆を肯定するように、浮動票は死語になったからな。
団塊(この団塊という言葉が、いかにもオルテガ的な大衆とニュアンスが近いように思ったから使ったが)
の世代が好んだアマチュアリズムが転換するには、
少子高齢化が一段落しないと難しいかもな。 今月は漱石かるめにゆく感じか
世界と出会う瞬間の鮮烈さ
知って分かっているつもりには簡単になれるが
それ自体は浅くて足りないことばかり
出くわしに行こう始めよう
ってなコトを思った 三四郎それから門の三部作だっけか?
昔読んだけどもう内容も殆ど覚えてないやん 漱石の描く女って曲者揃いで到底太刀打ちできない感がエグいんだよね
美禰子やお那美さん、藤尾なんかは言うに及ばずだし
どちらかと言うと類型的な糸子や小夜子にもハッとさせられる
きっと漱石自身が女をそういう風に見てたんだろうな
男側の理屈じゃどうにもならん存在として
にしても25分じゃ足りない 夏目作品って映像化されてない気がする 猫なんか映像にしたら面白いと思うんだが 作者より
作品ならぬ
ビジュアル化
(作者は既に紙幣になってる) >>825
> 夏目作品って映像化されてない気がする
気がするだけで実際は色々されてるよ。
私は、夏目漱石の映像化作品を大して見てないけど、それでも『坊っちゃん』の映画版、アニメ版、テレビドラマ版を見たことがあるし、『虞美人草』のテレビドラマも見たことがある。 なんて言ったらいいのかわからんが前の台に乗ってるオレンジ色のでっかい本はこの間ゴミ捨て場に捨ててあったからもらってきたが、
旧字体であきらめた。 番組内の藤井美菜は色っぽくて綺麗だったけど
検索したら顔長くてそうでもなかった >>830は よっぽど度胸のない方ですね
しかし三四郎モテモテやな 不勉強にして
夏目作品は猫ぐらいしか読んだ記憶がない
猫は最初の一節を暗唱できるぐらい読んだ
若かりし頃の思い出 村上春樹の主人公なら迷わず女と性交するだろうね。
「やれやれ、相部屋か」なんて思いながら。 こないだ多崎つくる読んだな〜
ほんとうのことを知るのはたいへんだ 今でも地上波でこの国滅びるねとか言ったら三四郎の地元並にボコボコに叩かれるんだろうな。 改元が迫ってこの国のあり方や象徴天皇の役割意味が問い直されるべきなんだろうな
中韓などにはあまり伝わって無い模様 謝罪要求然り 価値観の違いは認識の違い
決して変えられないものでも、形の無いモノでも無く、明文化された日本の国のあり方の
問題 俺はどんな国とも分かりあえると思うが楽観的かな? 楽観的すぎるだろ
親兄弟や親戚同士でも諍いは絶えないし町内会やPTAレベルだって揉め事だらけだというのに
自分が2人いたってわかりあえるか怪しい 対立や競争というのは構造的な問題に起因するものが多い
土台から作り直しが必要なところに気付いて取り組まないとな 近世、近代は中韓との現在のような関係は無かったそうだし までもアジアで
中国の政治的、文化的地位が復活したとしても今のような形では対立は激化
するだけだろう 政治<文化経済という構図は一面真理ではあるが、時にそれを
無視して争いが始まり破壊が尽くされる時がある 災害への教訓と共にレキシにも
学ばないと行けないが、そういう空気じゃあ無い時に戦争が始まるから仕方ない
明治や昭和初期の空気ならもう始まっているよ 日本発でありながら世界の美術史を学ぶ上で欠かせない名著、
北斎漫画をやってほしい。 作者がまだ生きてるのはダメなんかね?
今話題の「奇想の系譜」やってほしい。 伊集院が最後の方で言ってたこと大事かも
あれこれ解釈してしまわないで
まるごとうけいれてみたり
とっておいてみたりするのも良いと
カミュが言うところのrévoltéを
活用するということと通じるかな 文字化けした…"revolte"ってのでほぼOKかな わからないものをわからないまま受け止める
ネガティヴ・ケイパビリティだっけ
結構耳が痛い言葉だ
手短で手頃な解釈に飛びつきたくなるんだよなあ
それにしても漱石の文体、朗読で聞くと一層素敵だね痺れるね わかったような、わからないような言葉だな
わからない事をわからないまま受け入れる、
それは無関心とどう違うんだろう
一見理解不能な事物でも、わかろうとするからこそ
自己主体との関わりが生まれるんじゃないか
少なくとも俺は、その言葉に都合よく使われる
危惧を感じた AI時代では、
AIが導出したわからない結論ををわからないまま受け止める事と、
AIが導出したわからない結論をわかろうとする事の両方が求められそうだ。 >>848
本当に分からない では確かに無関心と同じだな
ただ、その言葉文節あるいは画の形でも、触れた
感じが何か心地いいとかそんなじゃあないか
判った振りして自分でも半信半疑の解釈つけて
安心しようとするのもまた都合だし、危険な行為だと思う 分かろうとするなとか、分からないことが良いとかじゃなくて短絡的に唯一の正解を求めるなって感じだろ。
多様な解釈に寛容になりその複雑さを楽しめってことでしょ、まあ学問の基本ちゃ基本。
4つの手順という形で、丁寧にバックボーンというか羅針盤も提供してくれてる。 そういう意味では不安小説というのは良い表現だね
完全に理解や納得が出来ない不安さも味なんだろう
美しい文体だから成り立つんだろうけど いい切り口っていうか
面白いね漱石
片付かないことばかりで
不定形で
それをちゃんと表現することで
むしろそういうことと共存していく
若干の前向きさも得られそうな そういう意味では今回の漱石SPって
小説の楽しみ方を改めて教えてもらってる感じがする
象徴解釈的に物語の寓意するものに目を向ける
それでいて解釈からこぼれ落ちる部分を楽しむ
わからないものをわからないまま受け入れる
形のないものがいかに表現されるかを読む
たまに小説なんか虚構の世界だろう、嘘八百だろうと言う人がいるけど
フィクションの持つ重層性、現実世界との関係性
言葉にも形にもならないもやもやしたものへのアプローチ
このへんがわかると小説が楽しくなるのじゃないか 道草、触発されて読み始めてみたけど、今のところ、単なるドラマにしか見えない。
そんな先生が高尚に説明しているような物語に見えない。
(そりゃ、お前が素人だからだ、といわれればそれまでなんだけど。)
胃弱小説っていってたけど、会わなきゃいいだけに思える。
断れない距離感っていうより、ただ主人公が格好つけて会ってるだけに見え、
そんな旦那に、奥さんが困ってるように見える。
尤も、会わなきゃドラマは始まらず、描きたい事はその先にあるんだろうから、
物語の評価をする気はないけど。
でも、最後まで読めないかも。ダラダラとした日常描写でもう飽きている。
これ、この先、興味深くなるんだろうか。そんなの期待しちゃいけないのかもしれないが。 面白くないと思ったら、ムリに読み続ける必要ないと思う
絶対の評価なんてないし、自分の人生、時間が限られてるもんね 流石に心理学的なアプローチで自省録やっちゃうのはどうなの
やるなら普通にローマの専門家で歴史的背景中心に聞きたいよ
ファウストとか紅楼夢とかドンキとかデカルトとか鴎外とかクーンとかまだまだやってない大物あるだろうしさ 100分DE名著の本には、「テキスト」と「ブックス(単行本とも言う。)」の2種があるけど、
「ブックス」は、「テキスト」より値段が高いけど「テキスト」には載ってない記事が載っている、ということでしょうか?
同じ名著についてブックスとテキストの2冊を見比べたことのある賢者の皆様、どうか違いの有無を教えて下さい。お願いします。 『自省録』おもしろそう
漱石はエンタメ寄りな構成にしてた感じだし
振り戻して来るんだろうな >そんなの期待しちゃいけないのかもしれないが。
そもそもドラマしか、テレビしか観た事ない人の感想みたいだなw なんて言って良いのかわからんわ
只流れてくるものを受け身で観て楽しむ分には限界がある ってネットや5chを観る度に思うが、
そんな事を言われても分らんわなw だって本人にとって自分の体験はそれ以上でも以下でも無いもの
ま、せっかく入手したなら最後まで鑑賞しても損にはなるまいよw マルクス・アウレリウス・アントニヌスw
世界史が嫌いになった原因
名前が長すぎて、覚える気失せる
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とかw >>861
それで五賢帝の内の3人と言われても違和感無いもんなw
1人前がアントニウスピウスだからややこしい
しかし歴史好きはそういうのを覚えることに快感を覚えるんだろう 自作なプリントをベースに
そこから拡げて話していくようなやり方の
濃い授業をする先生のおかげで
高校の世界史は好きだったな
それからローマ人の物語を読み通したりした
ハンニバル戦記やユリウス・カエサルの巻が
めちゃくちゃ面白かった しかし、漱石の作品中、なんで未完の作品を取り上げたのだろうな
完成作は他にいくらもあったろうに
なんか消化不良感が募るわ 痔の話を「ほじくってツッコむ」とか言うなw
自省録は読んだけど、自分にたいして「お前は」って呼びかける文体がイラついたことしか覚えてない。 これまでの流れ的に胃と腸のほうの話に聞こえて
やばい感じへミスリードされていたぜ
謝る気ゼロ謝罪術
ああいうヒロインが使うのだけなら
ありかもな >>864
シューベルトだって完成作品がたくさんあるのに
未完成が好んで演奏されるからいいんじゃないの? >>863
本村の英語世界史読むと
もっと拡げられる。
原書も読めるようになる >>861
この時代は親父祖父の名前を引っ付けるスタイルなんだよなw
長いのもアレだけど、何か同じような名前のも覚えにくい>世界史
歴代教皇とか、王家名家なんか〇世とかつけて
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