わかったような、わからないような言葉だな
わからない事をわからないまま受け入れる、
それは無関心とどう違うんだろう
一見理解不能な事物でも、わかろうとするからこそ
自己主体との関わりが生まれるんじゃないか
少なくとも俺は、その言葉に都合よく使われる
危惧を感じた