つぶやきから 2

生まれたときは父親の手のひらに体が収まる未熟児。掛け布団はハンカチだった。
ぜんそくで 幼少期は入退院を繰り返した。
体を強くしようと 両親はサッカーやテニス バレエなどいろいろなスポーツをやらせてみた。
サッカーでは競り合いが怖くて ずっとゴールの裏に隠れていた。
2018年2月15日

スケートだけは、なぜだか「もう一度滑りたい」と両親にねだった。
五歳で名古屋・大須でスケート教室に入ると、一日五〜六時間の猛練習を続けた。
小学生時代に全国優勝を重ね、「天才少年」と騒がれた。
2018年2月15日

だが早々に壁にぶち当たった。
中学一年から練習を始めた3Aがどうしても跳べない。
一日百回以上、練習の一コマ一時間をすべて3Aにささげても、転んでばかり。
「周りの人がどんどん跳んでいき、つらかった」。気づけば高校生。
樋口美穂子コーチが「自暴自棄になってしまうのでは」と心配するほどだった。
2018年2月15日

高校二年の秋、先輩の助言で先に4回転トーループの練習を始めると、何と数週間で成功。
回転の感覚を体が覚え、どうしても跳べなかったトリプルアクセルもその冬に試合で決めた。
挫折から得たのは「意味のない努力、考えのない努力は身にならない」という教訓。
その後は一つのジャンプに固執せず、次々と新しいジャンプに挑戦した。
二〇一六年春には4回転では二番目に難易度の高いフリップを世界で初めて成功。
当初は成功率が低かったが、次第に安定感が増した。
2018年2月16日

十六日、直前練習では時折、ほほ笑みすらたたえ、4回転トーループなどを跳んだ。
「つらい経験をしたから、ほかのことはやわく(容易に)感じる」と話す宇野選手。
五輪といえど恐れることはない。転んだ数だけ階段を上り、一番上を目指す。
2018年2月16日