当日は三田村を見てたので今ビデオで見たが
ちょっと違和感を感じたのは現在のNGKシアターが千日前(正確には道具屋筋の入口)にあるので
千日前の見世物小屋が吉本興業のルーツのようなイメージの描き方をしてたところだが
吉本興業はラジオや後のテレビ等のメディアミックスで地位を築いた会社であるが
興行師としては後発なので道頓堀の劇場をすべて押さえていた松竹には太刀打ちできなかった
なので梅田花月や難波花月は当時新興のターミナルの繁華街に進出せざるを得なかった
難波花月は南海通り入ってすぐの現在スイングよしもとというビルの場所にあったが
80年代には寄席も新喜劇も衰退して梅田花月も難波花月も京都花月も閉鎖に向かっていた
ところがなぜかその後人気を持ち直して3つの花月を集約して大劇場を作るのに難波花月の近くに大きな土地があったのでそこに移転したのであって
明治初期の見世物小屋からの流れとはあまり関係ないと思われる
ちなみに大火の後にモダンなエンターテイメント街になった当時の千日前は
大劇(東京でいう日劇)やダンスホールや巨大なキャバレーが立ち並んでいて
特にお笑いが盛んな街だったという印象はない