道頓堀と千日前は、大坂冬の陣、夏の陣の後からその歴史が始まります。
そして大坂最大の墓所と処刑場を持った大坂城の裏鬼門として250年以上の歴史を持つわけです。
おそらくその間、数万人規模の人がここで斬首されたと思われます。
また、大坂最大の墓所であり、墓所の入り口にあった竹林寺、法善寺からは回向が行われ、千日間途切れることが無かったので、
両寺は千日寺と呼ばれ、その寺の前の筋、ということで、千日前となったのでありました。
道頓堀に角座という劇場がありまして、その楽屋の窓から獄門台にさらされた首が見えたとか。

明治になって、刑場は廃止、墓所は移転しても、なかなか噂は消えず、明治の大火や大阪空襲により壊滅しながらも、
大阪ミナミ最大の繁華街となりましたが、昭和47年には118人の犠牲者を出した千日デパート火災事件も起き、
墓所の怪談が千日デパートの怪談にシフトしていきます……。

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