春日局
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戦国時代において主殺しや裏切りといった汚名を受けた明智氏、小早川氏を視点にした
大河ドラマです。NHKオンデマンドでも配信中(1話200円) >>259 >>261 >>262
豊臣秀頼
従来の諸作品では坊ちゃん育ちで何かにつけて母の言いなりになる無能な人物とされ、「おんな太閤記」でももっぱら弱々しい人物としてしか描かれなかった。
しかし実際の秀頼は巨漢で頑丈、武将としての威厳も備えた人物であったと伝えられていることから、本作では大柄の渡辺を起用した。
また利発で人柄も良い人物として位置づけられ、過去作品には見られない秀頼が淀殿を導く描写も取り入れるなど、頼りない後継ぎという世間一般の秀頼のイメージを大きく覆した。 主人公と公家の関係
「春日局」
おふくの祖母は三条西家
「武田信玄」
信玄の正室は三条の方(転法輪三条公頼の次女)
「真田太平記」
信幸の母は山手殿(菊亭晴季の娘@諸説あり) 名シーンの一つ
秀吉「そなたの娘は確かお安と言うたな。孫娘はおふく。また利宗、出来丸、二人の
孫も無事に暮らしておるそうではないか。そろそろ引き取ってやったらどうじゃ。
皆、苦労しておることであろう」(後略) 総集編
第1部:乳母の条件 第2部:母ふたり 第3部:献身の生涯
自分ならこうする↓
第1部:愛の鞭(第1回〜第7回)
第2部:乳母の条件(第8回〜第16回)
第3部:献身の生涯(第17回〜最終回)
もっとも総集編での視聴はお勧めしない。 @今夜も暇な某CCM
細かい点だけど、関ヶ原本戦のシーンで「おやっ」と思ったことがある。
それは炎に包まれる関ヶ原の民家。
関ヶ原本戦で民家がこうむった被害を描いている作品は他では
「戦国自衛隊・関ヶ原の戦い」くらい。
(探せば他にもあるかも?しれない) 秀吉「即刻そやつの首はねい」
どのドラマでも光秀から毛利への密使はすぐ斬られちゃうのなw 明智視点の本能寺の変・山崎の戦い
小早川視点の関ヶ原の戦い
中立?視点の大坂の陣 茶々が病気だと秀吉が嘘をついて
お江与を大坂に呼び戻すシーンがあるけど
某大河・江(ryはこれをパクったなw おふくのチカラをもってしても救えなかった稲葉通重
慶長12年(1607年)12月、天野雄光や津田信成ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、酒乱のために茶屋、後藤などの富商の婦女を強引に茶店に引き入れ、
酒を飲ます等の乱行を起こしたため、幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。ここに清水藩は廃藩となった。
元和4年(1618年)6月、配所の筑波にて死去した。嫡男の通勝は稲葉正勝の家臣となっている。 稲葉通重の処分について、「改易にすべき」VS「謹慎でいい」と幕閣で対立してるあたりは、まさに政治劇 >>235
加藤清正「利宗殿、わしのところへ来てくださるか」
斎藤利宗「かたじけのう御座います。斎藤利宗、弟・出来丸と共に
お仕えさせて頂きとう御座います」
稲葉一鉄「めでたい」
こういうシーンも総集編ではカット 「此時備前中納言殿・小西摂津守・石田治部少輔、大柿を出て関原へまいられ候由。子細は筑前中納言殿むほんと風聞候。仕置いたすべきとて出られ候由」(『慶長記』) 小早川秀秋 (筑前一国 32万石)に対する、西軍と東軍の勧誘条件
(西軍)
1) 秀頼卿が成人するまで関白の位に就いて頂く
2) 筑前の領地に加え、播磨一国を進上する
3) 秀秋の重臣である平岡頼勝、稲葉正成の両名に、それぞれ10万石ずつの所領を別途与え、当座の褒美として黄金300枚ずつを差し上げる。 (平岡・稲葉の懐柔)
(東軍)
筑前の領地に替えて、「上方で二カ国」を進上する >>247
異説
毛利の力を弱めるために
(小早川家は毛利一門です。)
さらには豊臣家一門の力を弱めるために
(秀秋はおねの妹の子供です。)
家康に暗殺されたのではないでしょうか?
そして実行犯が筆頭家老の稲葉正成(春日局の夫)
ではないでしょうか?
(命令を下したのは家康です。)
その後の稲葉家の栄華を見れば
十分にありえる話と思いますが。
実際には酒の飲みすぎかそのあたりでしょう。
裏切りに対して良心の呵責があったのでしょう。 てか、矢島健一では品が良すぎる。もう少し迫力があって人相の悪いのを持ってきてほしかった。 忠長勝手に自害→それを嘆き悲しむ家光。
今のところこれ以上の歴史歪曲を見たことがないな。 >>286
それは本放送当時雑誌に投稿された内容とそっくりだ 忠長の場合は改易に至る過程として、江戸と駿府の両方に将軍がいるといわれるほどであった幕府・将軍家に対する不遜とも取れる言動もその一因としてあげられ、
同様に改易された松平忠輝や忠直のようになるという風聞もあった(『細川家史料』)。 >>286
>今のところこれ以上の歴史歪曲を見たことがないな。
大河ドラマ徳川家康
秀頼と淀の方を死なせたのは井伊直孝⇒家康は一切関与していない
秀頼の遺児・国松を死なせたのは将軍家(秀忠)⇒家康は一切関与していない 乳母を2年で辞めたいと言うおふく
↓
家康困った。家康思案…
↓
家康は稲葉正成(浪人中…無位無官…)を駿府に呼び寄せ、正成に一万石を与えると伝える(十七条藩)
↓
一万石の大名になれば江戸の屋敷でで正成とおふくなどの家族が会うことが出来る
↓
正成「夫婦親子そろうて徳川のお役に立てれば言うことはない」
↓
おふくは乳母を続ける
このあたりのホームドラマは退屈だw 小早川藩宿老
稲葉佐渡、平岡石見、杉原紀伊、村山越中、松野主馬 >>292
小早川家内部の騒動では村山越中がsageられ
主役サイドの稲葉佐渡守(正成)がageられていますな 日本の母、佐久間良子(おんな太閤記、春日局、功名が辻など)
第21回「母去りぬ」
おふく「母上、必ず美濃で・・・(お会いしましょう)」
お安「さらばじゃ・・・」
語り(奈良岡朋子)「母(お安)と娘(おふく)の最後の別れとなった。
おふくは江戸を離れることが許されず、お安は二度と江戸の土を踏むことがなかったからである。
お安が去って稲葉の家もひとつの時代が終わり、新しいときが始まろうとしていた」 >>277-278
おふくの想い出の城、清水城は徳川に召し上げられた 静(のちの浄光院)が秀忠の身分(将軍)を知らずに会い続けた、という設定には無理があるなー
静「どちらのお殿様かは存じませぬが、優しいお方」 二条城での会見
こんな立派な豊臣秀頼は、「春日局」が最初で最後だろうな 家康「そのうえな。あの秀頼殿の器量じゃ。わしの目の黒いうちに始末をつけぬと徳川の先が危ぶまれる」 「次男よりは召使いの者同様に心得候様に常々申し聞かせ、育て候時より主人と心得候様に、くれぐれも申し聞かさるべく候。惣領より次男の威勢強きは、家の乱れの元に候事」(家康の書状) 徳田章アナウンサー(アバンタイトル)「幸村(信繁)が大坂城に入城する際に支払われた一時金は、なんと2000両余り」 第30回「ああ大坂城」
主役(おふく)は、ほとんど登場しない。
↓
歴史上の重要事件に主人公を無理矢理絡ませない。
この時代の大河ドラマの制作者たちは流石だ。 ありがちなパターンで家康の一言で世継ぎが竹千代に決定するが、
お江与の方が愚痴の一言も言わずアッサリそれを受け入れたのが意外。 語り(奈良岡朋子)「翌日、秋の深まる江戸城を家康は去っていった。それが家康とおふくとの最後の別れとなった。
半年後の元和二年四月十七日、家康は駿府で重くて遠い道を歩き続けた七十五歳の生涯を閉じた(後略)」
このときの丹波さんの顔がいい。 秀忠の愛人・お静絡みで信松尼(武田信玄の娘)を見る度に
「この人に子がいれば・・・、子は武田の女系として云々」と思うこともあるが、
信玄の子孫は信玄の次男・竜芳(海野信親)系で現代に至るまで
子孫は現存(武田家旧御会会長)しているから、ま、いいか。
系図をもっていないから分からないけど確か真田信之の女系の血も武田家の子孫に流れているはず。 鴨を討つために西ノ丸に鉄砲を撃った忠長に対してカンカンに怒る父・秀忠。
この辺りから忠長(&高丸→稲葉正利)の不幸な人生が始まってゆく。 竹千代→徳川家光:井手麻衣人→比嘉武尊→伊藤淳史→舘坂優→大沢健→江口洋介
江口洋介が家光になってから吉原通いが始まった。 「忠長が甲州・蟄居の身でありながら度々江戸に使いを出し、さらに善行寺を建立しようとしたりして反省の色もなく、加藤親子と結託して謀反をくわだてた事が処分をきつくした」(『徳川実記』)
「加藤光広が、イタズラとして、土井利勝なる人物が謀反をくわだてて諸大名に呼びかけるニセ書状を造り、皆に回したが、その書状の中に、忠広や忠長の花押があったので処分された」(『駿河大納言御事蹟』)
加藤忠広はドラマでは家光重体の間は駿河大納言(忠長)のもとを頻繁に訪れ、忠長が
将軍職につくことを願っていたが、
家光が快癒した途端に忠長とは距離を置く→結局、加藤氏改易 宇喜多秀家家臣(討死)の娘・遊女・紫の自害…(フィクションとは言え、ドラマでは重大事件)
おふく「かつては謀反人(斎藤利三)の娘と言われ、肩身の狭い思いで生きてきた私が、
いまは人を人とも思わぬ仕打ちをするようになってしまった。。。紫殿のこと…
悔やんでも悔やみきれぬ。。。」
この辺りからおふくに権勢があると思われる描写が増えてくるのであった。 三代将軍家光、稲葉正勝邸に遊女を呼び
真昼間から「わしも一緒におどろうぞ」
これじゃあバカ殿だよw 鷹司孝子は家光に相手にされず別居のような正室だが、そのことを
割り切って暮らしているためか、江戸城での侍女たちとの暮らしを楽しんでいるように見えた 大きく四つに分けてみた
第一部
明智視点の本能寺〜山崎の戦い
稲葉一鉄視点の本能寺の変〜小牧・長久手の戦い
おふく、三条西家や稲葉家で修業
第二部
おふく、小早川秀秋の家老・稲葉正成に嫁ぐ
小早川視点の朝鮮出兵
小早川視点の関ヶ原
小早川家内の騒動〜〜無嗣断絶
おふく、徳川家の乳母に抜擢
第三部
乳母の試練
お江与との対立
豊臣秀頼視点の大坂の陣※
三代将軍は家光に決定
おふくとお江与との対立が、なぜか消えた
家光の初恋の相手、遊女・紫が自害
第四部
家光、早く子供を作れよ
(この一言につきるw)
※何度も見た結果、大坂の陣は徳川視点でもなく豊臣視点でもなく豊臣秀頼視点と解釈してみた 珍しく怒鳴りまくる秀忠。
秀忠「忠長!そなた駿河五十万石の領主では不足とでも言うのか!」
忠長「そのようなことを申し上げているのでは御座いませぬ」
秀忠「大坂城を寄越せとは何事ぞ!おのれのぶんをわきまえぬも甚だしいわ!」
忠長「私とて父上の子。将軍の弟に御座います。兄上と私とは車の両輪となって徳川を守るが徳川の男子として生まれた者の務めと心得まする」
秀忠「それが心得違いというものよ!忠長…、家光とそなたはたとえ兄弟に生まれようと家光は将軍、そなたは一大名。主従じゃ。そのこと今になってもわからぬのか」
忠長「私は、ただ未だ大坂城修築のならぬを憂えて、父上や兄上のお役に立てれば、と。
その一念に御座います」
秀忠「もうええっ!そなたがおのれのぶんをわきまえぬ限り、大坂城を任せることは出来ん!わしは、そなたが可愛いい。それゆえ徳川にとって大事な亡き大御所様のゆかりの地・駿府城を与えた。じゃが、そなたには駿河五十万石とて過分じゃ!」 既視感
大坂城が欲しいと言って家康に怒られた松平忠輝(大河ドラマ「徳川家康」) しかし名作は何度見ても面白いなー。
【10回以上視聴した戦国ドラマ】
大河「おんな太閤記」、「関ヶ原(TBS)」、大河「徳川家康」、
「真田太平記」、大河「国盗り物語・総集編」、大河「武田信玄」、大河「春日局」etc…
近年の作品では「国盗り物語(テレ東)」、大河「功名が辻」
他方、1回しか見ていないのは…「江〜姫たちの戦国」 サブタイトル:「春日局」賜わる
初めて見たときはサブタイトルを見て「とてもめでたい話なんだろう」と思いながら見ていたので、ずっこけたw 徳田章アナウンサー(アバンタイトル)
「(略)会津の初代藩主が保科正之です。正之は二代将軍秀忠と側室お静の間に生まれました。秀忠は正室・お江与の方を憚り、正之を信州高遠城主・保科家の養子にします。
秀忠の死後、会津藩主に取り立てた兄・家光の恩に報いる為、正之は
家臣全員に教育を義務付け、子供のうちから将軍家への忠誠心を身につけさせました。
正之が作った家訓、その内容は将軍家に対する忠誠心に貫かれ、これが会津魂の源になりました。忠長とは対象的に兄・家光を敬い、慕った正之は家光亡き後も四代将軍家綱の後見として重きをなし、会津と将軍家は明治維新まで深い絆で結ばれることになるのです。」 土井利勝「しかし謀反の確かな証拠とてないものを」
秀忠@病床「それを見つけるがそちの仕事であろう」
土井利勝と秀忠@病床(いいひと中村雅俊)が忠長改易の泥をかぶることになってしまった。 ホームドラマだったが歴史をきちんとやっている 他の女脚本家とは全然違う 島原の乱を大河でちゃんとやったのはこれくらいじゃないか スウィーツ感がない 島原の乱:知恵伊豆の活躍
スイーツ感は確かにないです 松平信綱
幼少の頃より才知に富んでおり、官職の伊豆守から「知恵伊豆」(知恵出づとかけた)と称された。 島原の乱
幕府側
戦死者:1151人
負傷者:6743人 @ねねの屋敷
北政所(ねね)「まだご存じないのか。秀秋は亡くなりました。宇喜多の浪人に襲われ不慮の死を遂げたと」 ふく、乳母辞める辞める詐欺1回目
ふく、乳母辞める辞める詐欺2回目 歴史的には江は長男を跡取りにする慣習に逆らった非常識な鬼母とされているようです。
それは竹千代が三代将軍家光となり功績を残したし、春日局も大奥の制度を整えたので自分達の都合の良い記録を残したからだろうと思いますが。
また、江の評価が悪いのは江戸時代では一番の悪女扱いだった淀君の妹だったからかもしれません。 通説には、事実誤認があります。
「お江与は次男が誕生すると乳母をつけずに、自分で育てた」というのは、嘘です。
当時の高貴の女性が乳母をつけずに自分の乳で育てるなんてことは有り得ません。忠長(国千代)にはちゃんと乳母がいました。朝倉局、土井利勝の妹です。 「織田信長の姪であるお江与は、明智光秀の重臣の娘である春日局を憎んでいた」という話には、コジツケの感があります。
だって、お江与たち三姉妹は、織田信長の姪である以前に、浅井長政の娘なんですよ。その浅井を滅ばしたのは当の信長です。信長こそ父の仇、でしょう?
さらに、実行部隊として浅井一族の男子を皆殺しにしたのは羽柴秀吉です。長政の息子・万福丸(三姉妹の兄弟)は秀吉の手で磔にされて殺されているんですよ。
さらに、母の再婚相手(三姉妹もついていった)の柴田勝家を攻め滅ぼし、実の母親もろとも自害させたのも秀吉です。三姉妹の祖父、父、兄弟、義父、そして母まで殺したのが、秀吉です。
それなのに、長女の茶々は秀吉の側室になり、その産んだ息子(秀頼)に、お江与は娘(千姫)を嫁がせているんですよ。
目の前で血を分けた親兄弟を皆殺しにした本人はあっさり許せても、父親の仇である伯父さんを殺した(仇を討ってくれた?)男の親戚の娘を、執念深く憎み続けている、
なんてことがありますか? 常識で考えれば分かることです。ようするに戦国乱世、誰が誰を戦争で殺したかなんて、いつまでもこだわっていたらキリがないのです。 江は一昨年の大河でヒール役を脱したんじゃないのか。あの作品にそんな影響なかったってか? 家光と不仲だったことで知られる弟の忠長だが、家光にも忠長にも、土井利勝の身内が乳母についていた。忠長の乳母・朝倉局は、土井利勝の妹だ
土井利勝の弟昌勝の妻・初台局⇒秀忠の乳母
土井利勝の姪で初台局の娘の梅園局⇒家光の乳母
土井利勝の妹の朝倉局⇒忠長の乳母 春日も三男正利を忠長の小姓にしていたように、土井利勝も二股かけたのか お楽の演技がしつこくて、どんどんウザい存在になっていく。
ま、脚本のせいなのだが。 お楽(宝樹院)の縁故で出世した人たち
・お楽の弟・増山正利は姉宝樹院(お楽)の縁で召し出され、一万石を与えられた
・同じくお楽の弟・那須資弥は二万石(後に改易)
・お楽の妹は今川氏真の孫の妻となった お糸(のちの矢島局):夏樹陽子(竹千代(家綱)の乳母)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E5%B1%80
矢島局が登場する作品[編集]
テレビドラマ[編集]
• 『大奥〜誕生[有功・家光篇]』(TBS、2012年、演:阪田瑞穂)
漫画[編集]
• 『大奥』 よしながふみ(白泉社)
『春日局』が抜けている 最終回(第50回)
江戸城に集まった諸大名の前に竹千代を抱いて出たのはおふくであった。
宿願の世継ぎを胸に抱きしめたおふくにとって、それは一世一代の晴れの舞台であった。 享年65歳。
ついに薬を口にせず、家光が飲ませようとした薬湯も
ひそかに懐へ流し込んだと伝えられている。
それがおふくの家光への最後の献身であった。
完 本能寺の変、異説
信長が土佐の戦国大名で斎藤利三の妹婿である長宗我部元親攻撃のために織田信孝と丹羽長秀を四国に出撃させようとしていたことから、
斎藤利三が変の主導的な役割を担ったとの説も存在している。この説は現代、八切止夫と井沢元彦が支持している。 春日局の功績
徳川家光を三代将軍の地位に就かせた功績。二代将軍秀忠夫婦は嫡男家光より、弟の国松(後・忠長)を溺愛し、
吃音で見栄えも決して良くなかった家光よりも、将軍の跡目は忠長の思いが強く、又その動きがあった。
このとき意を決して、本当は御法度なのだったのに関わらず、家光の乳母だった春日局は駿河の駿府(静岡県)大御所家康に時下談判を決行し、
家康の鶴の一声、次期将軍は家光!の決断を下させ跡目争いは決着がついた。
あわや家光を差し置いて弟・忠長の三代将軍誕生寸前まで行きかけていたのを大逆転させた春日局の大胆な行動は、
家光には春日局は大恩人であり、その後春日局の幕府内での権限は絶大なものになっていったのです。 >>340
そういうのは、春日局が抜けてる、とは言わん 小早川家は一度断絶をしたが、明治維新後毛利家から分家する形で再興された お江与のウザい台詞が連発する展開中の秀忠とお静の江戸城内での密会の恋愛は一服の清涼剤。
しかし、二人がいつ頃男女の関係になったのか?は全く描かれていないのであった。 台徳院殿と土井大炊が廊下を歩いていた時に逃げた子猫を追いかけてきたお静が庭に迷い込んだのがそもそもで有った まるで真田幸村、後藤又兵衛ら浪人衆が居たために豊臣が滅びたような描写があります。
徳川から「大坂退去」と「浪人放逐」のどちらかを要求された
淀の方は浪人たちに金銀を与えて浪人たちに去って貰おうとしたのですが、
真田や後藤が「名誉ある死に場所」を求めて徹底抗戦を主張し去るのを拒んだために
戦う羽目に陥り、その結果滅亡したような描写されてます。 >>222
堀田正吉の妻のまんは、稲葉正成の妻の春日局の義娘にあたり、子の正盛は早くより将軍徳川家光に近侍し寵愛を受け、幕府の要職に抜擢、大名となり子孫は繁栄した。
稲葉正勝の子孫は山城淀藩主として、堀田正盛の子孫は下総佐倉藩主として明治維新まで続いた。 >>116
>子供おふく「兄上に負けずに精進?(ちょっと忘れた)しております。」
「兄上に負けずにごぜを頂きます」 井伊と本多から小早川秀秋の家臣の稲葉と平岡が
小早川の本領安堵の書状を貰ったとする9/14付け書状の出典が
関原軍記大成2巻 巻の二十であり著者は宮川忍斎(1655−1716) 視聴者の多くは
忠長には乳母がいなかった、と思ってしまっただろうな >>355
某中華サイトで視聴して台詞を確認した
「ご膳」を「ごぜ」と言ってしまったんだな(多分) 第23回のアバンタイトルより
おふく(春日局)の息子・稲葉千熊(稲葉正勝)
小姓(8歳):500石
↓
小姓組番頭
↓
書院番頭(25歳):2000石
↓
丹後守(27歳):5000石
↓
老職、小田原城主(36歳)8万5千石 海北友松の墓所は京都府左京区浄土寺真如町の真正極楽寺(真如堂)。友松夫妻の墓の横に斎藤利三の墓がある。 海北友松
交流のあった斎藤利三(明智光秀の重臣)を謀反人でありながら手厚く葬り(磔にされていた利三の遺体を友松が槍を振って侵入して奪い取ったともいわれる)、後に息子の友雪は、利三の娘である春日局から褒賞を受けている。 ・杉原紀伊守重政 秀詮(1601年、秀秋から改名)の命を受けた村山越中に上意討される
・松野主馬(重元) 関ヶ原の戦い後、秀秋のもとを去って田中吉政に仕官
・稲葉正成 杉原の上意討ちをみて岡山を退出。牢人のち家康に召し出され徳川の家臣となる
(妻はお福、後の春日局)
・村山越中 杉原殺害後に逃亡。のちに池田氏に仕えるも、口論にて相手を刺し殺す。その後、前田家に仕官
・平岡頼勝 小早川氏断絶後、牢人。家康に忠義を賞されて美濃国九郡のうち1万石を給される
・堀田正吉 小早川氏断絶後、家康に召されて500石を与えられ書院番士となる
・河田八助 小早川氏断絶後、池田氏に仕える
・上田土佐 鉄砲頭。最後まで秀詮に忠義を貫こうとするも、その後の消息は不明
・蟹江彦右衛門 杉原殺害後、家中は大騒動となり、岡山を退出
・滝川出雲 杉原殺害後、秀詮は彼の逃走を防ごうとするも、女駕籠に乗って逃走
・長崎元家 小早川氏断絶後、家康に仕え600石余を給される
小早川氏断絶後、岡山には池田氏が入部するも、宇喜多・小早川の遺臣之召し抱えには消極的であり、小早川秀詮の遺臣は一部のみが下級家臣として召し抱えられたのみで、殆どは四散してしまったといいます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています