【時専で】 徳川家康 【再放送】
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徳川家康と軍師某と比べると、時専に視聴料を払うのは納得いくが、NHKに受信料取られるのは納得いかない。 徳川家康マイベスト
1:森繁久彌(関ヶ原)
2:津川雅彦(葵徳川三代、戦国自衛隊)
3:滝田栄(徳川家康)
4:中村梅之助(真田太平記)
5:丹波哲郎(春日局) 語り:館野直光アナウンサー「今川義元のMay」
姪はMayと発音するのか。 家康の父母の話と家康の幼少時代が見ることができる貴重なドラマ >>11
どうせなら、お祖父さんの頃から初めて欲しかった。 >>12
11です。
そうだね。清康の守山崩れとか見たかった。
でも、そうなると余計1年では尺が足りない。
そうでなくても足りないと思っていたので。 >>13
今年の大河を3月一杯で終わらせ、来年と合わせ21ヶ月の大河としてやれば良いと思う。
どうせなら、松平一族が岩津城を落としたり、伊勢新九郎に攻められながら撃退するところとかから描くと良い。 >>15
武田勝頼は敵役で登場だけど
そんなに酷くは描かれていないよ 勝頼ファンなんて居るんだ。
甲斐からは信濃人と見られ嫌われ、信濃人からも侵略者の息子として嫌われ、ある意味可哀想な奴だけど。 長年の戦国板住人だけど戦国板では勝頼は根強い人気があるよ 今川軍は岡崎で(竹千代は尾張に人質)民衆に略奪・暴行をしたとしてsageられる
勝頼はおふう(架空の人物)を処刑したことでsageられる
石田三成は木の実(架空の人物)を殺したことでsageられる >>23
おふうは、設定が少し不正確だが、架空の人物はなく実在の人物です。 語り:館野直光アナウンサー「氏真がもて遊んで捨てた女(瀬名)」
氏真がもて遊んで捨てたwww >>24
奥平の家臣の娘という設定だから実質オリキャラ おふうのお墓は、実在のものに似ている。
しかも、鳳来寺・広祥院の二つのお墓の両方の特徴をとったような。
当時のNHKは、キチンと現地調査したのかな。 さんざん既出だろうけど役所広司の信長がすばらしいな。
どうも大河の織田信長って冷酷非情で何を考えてるのか分からない感じの役が
多かったんだけど、これだけ人間味のある魅力的な信長は初めて見たわ。 藤岡弘信長(おんな太閤記、春日局)が忘れられているな あのお方は陰謀御家人三浦義村の印象が強すぎてなにやっても
三浦ライダーキタ━(゚∀゚)━!だから >>29
信康詰問の際にに酒井忠次らを前にして
笑顔から一辺して怒りに変わる場面の役所信長は見事だった 伊賀越え
家康に随行していた供廻は、以下の34名であった。
酒井忠次、石川数正、本多忠勝、井伊直政、榊原康政、本多正盛、石川康通、服部正成、
高木広正、大久保忠隣、菅沼定政、久野宗朝、本多信俊、阿部正勝、牧野康成、三宅正次、
高力清長、大久保忠佐、渡辺守綱、森川氏俊、酒井重勝、多田三吉、花井吉高、鳥居おます、
内藤新五郎、都筑亀蔵、松平玄成、菅沼定利、永井直勝、永田瀬兵衛、松下光綱、都筑長三郎、三浦おかめ、青木長三郎
これらは徳川四天王をはじめとする徳川家の重鎮が揃っており、光秀の配下や一揆等に襲われていたら徳川家への大打撃は必至であった。 一目すればわかる通りあっちが本スレ
ここはあっちでしゃべり足りない人が来るところらしい >>39
あっちは既に4スレ目で、何年も前からレスがあったと思う ↑訂正 ×レスがあったと思う⇒○スレがあったと思う >>9
言葉の定義からすれば、正式な天下は、周王朝の領域。
信長公は、周武王に倣って、自分の領地を天下とした。 武田に攻められて、恐怖のあまり、馬上でウンコをもらしたことまで
再現した、貴重なドラマ。
「糞でない。味噌じゃ!」
の言い訳も、なかなか味わい深いものがある。 しかもそれを家臣が息子にまで語り継いでるとかw
人間味があって面白いやりとりだな。 女の脚本家なのに、馬上でのウンコもらしをしっかり描いた点は、
評価できるよな。今の軟弱スイート大河の女性脚本家の連中なら、
決して台本に載せないだろうから。 >>47
まあ金八先生でも「スコーンと一本、バナナ状」とウンコの話を書いた脚本家さんだしねえ >>48
徳川家康の脚本家は、金八の脚本家だったのか。
だから、違和感有りまくりながら、豊臣秀吉に武田を使ったのか? >>49
それもあるが、「徳川家康」の2年前の「おんな太閤記」の秀吉役で
武田鉄矢にオファーがきたが、なんらかの事情(金八が忙しかったか?)で
出られなかったので、「徳川家康」の秀吉役となったのもある。
(おんな太閤記のほうは、西田敏行に変更) 108 :名乗る程の者ではござらん:2014/03/05(水) 17:06:08.18 ID:???
そういや姉川の戦いってほとんどウソって本当?
「信長や秀吉が天下取ったのは全て家康様のおかげなんだよ!幕府最高!」
って人々を騙すために江戸期に捏造されたって聞いたんだけど。
115 :名乗る程の者ではござらん:2014/03/05(水) 23:13:47.77 ID:???
>>108
嘘、とまでは言わないけど、主役が徳川家になるように脚色はされてるだろうね。
よく言われることだけど、姉川の合戦という呼び方自体がそれを表してる。
姉川の合戦の戦場は広いエリアにまたがったけど、家康が戦った戦域が「姉川」で、
信長が戦ったところは姉川ではないのよ。
だから「姉川の合戦」と呼ぶ時点で主役は家康になる。 噂のピンクの足袋 確認 W
大竹しのぶ 顔がゆがんでるっていうか 反ってる
それでもかわいらしく見えるのは 演技力というより 若さだな
若いって素晴らしいw
なんかアニメ少年徳川家康がみたくなった >>52
懐かしいな。少年徳川家康
♪東に時の声あがり 西に轡の音高し
♪今戦国と人のいう おわれて生きて十四年
♪ああ世も末の乱世に
♪はばたけ竹千代 時来る
だっけ?主題歌
これも山岡荘八原作なんだよね >>53
時の声→鬨の声
おわれて生きて十四年→こらえて生きて十余年
世も末の→世の末の
◆時専のスレでこれの原作について質問してたの私です
原作は山岡の別作品ではなく、まさにこの「徳川家康」そのものだそうです
義元の描かれ方がこのアニメの方が悪人ぽいのですが
アレンジの仕方の違いということでしょうね >>54
修正ありがとう
>時専のスレでこれの原作について質問してたの私です
すみません。それは、どのことでしょうか? >>56
ごめんなさい。それは自分ではないです。
そのスレはいったこともないですよ^^
このスレの本スレ?の
【滝田栄】「徳川家康」(四天王)【山岡荘八】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1385471459/
で、「井伊直政の大坂の陣登場」と「あやしい感動」などについて
原作を確認したことはあります。 官兵衛で戦国熱急上昇。
ちょうど最近始まったみたいだけどこれも名作なのかな?
観ようかなあ >>58
もう半分以上終わってると思う
ただ、深夜?にやってるリピートは最近始まったみたい
山岡荘八の原作が書かれた終戦後の世相というか、平和への作者の想いが結集しているので
家康が聖人君子すぎるという批判もあるが、それはそれとして
重厚で大河ドラマの王道、最高傑作だと自分は思う >>58
こっちを先に見ると、軍師官兵衛は、レベルが低すぎて見ていられなくなる。
だいたい、オープニングからレベルの違いを思い知る。 姉川の合戦で、徳川軍のお蔭で勝てたというのは、
この時期、家康が信長の家来同然だったことを美化したい徳川の歴史家の捏造だす。 スレチ、書くのなら戦国版などに
小説をドラマ化したのに捏造とか関係ないと思う 最終回録画失敗してた
最後の最後に何やってんだ俺は… >>63
深夜1時のリピート放送の最終回を録画するしかないね?
ちなみに最終回は90分 この頃の大河はいいね
しっかりした原作があって演者も達者 これ、原作読んだ後、初めて見たけど
原作に結構忠実でとてもいいね
同じ年にやっていた「おしん」とものすごくキャストがかぶるのが気になる 原作を何十年ぶりかの読み返し
やっと長久手まできた。まだ半分も行っていない
ドラマのほうは信康の切腹を前半のクライマックスに持ってきてたが
原作では全体の4分の1が信康の切腹なんだよね
だからドラマではそれ以降ペースが早くなってる
ところで>>57の本スレ?のほうがずっと書き込めないんだが? >>67
岡崎から長久手は、本当は近いけどね。
隣(豊田市)の隣の市どうし。 >>68
原作に載っている「小牧・長久手の戦い参考図」を見てるが
長久手の北に白山林、北西に小幡城、南西に岩崎城、西に猪子石
更にその西に現名古屋市街、そのずっと北に小牧山。そのまた北に犬山城
・・・岡崎は、というと、長久手より東が載っていない・・・w >>69
羽柴軍は、長久手で殲滅されちゃったけど、そのままだったら、挙母(現豊田市)から南下して岡崎に向かう予定だったのではないかな?
挙母は広域に考えて松平郷(徳川家=安祥松平家の本家の本家)も含み、そのちょっと南に岩津(安祥松平家の本家)があって、岩津は既に岡崎市だから、まさに徳川家(松平家)の本拠地まですぐそこだったのに。 >>70
原作だと池田勝入が岩崎城を落し、その近くの山で首実検をしていて進撃しないうちに
後陣の秀次隊が白山林で徳川軍に襲われてしまった
首実検なんてしないで岡崎に突入していれば・・・
池田勝入が足首を骨折したというのもあるけど(史実かどうか知らんが) >>71
秀次が野営した篠木柏井三郷は、そもそも織田弾正忠家の御台地(信雄の祖父の祖父の時代からの領地)だったから、
信雄に密告が行って、家康に連絡が行き、白山林で秀次軍はやられた。
秀次も池田も尾張出身だったから、それくらい気がついてもよさそうなんだけど。
犬山や楽田と小牧の地理関係からすれば、篠木や岩崎なんか通らずに今で考えると愛環鉄道ルートで岡崎を目指せば良かったのに。 池田輝政は親の敵の徳川の娘と結婚する
乱世はすごいな >>73
督姫って「とくひめ」だと思ったら原作には「すけひめ」って仮名がふってある
どっち? 滝田栄って滑舌悪いな
今見るとつまんね 『徳川家康』
先祖は放浪乞食坊主だろ
長生きしたおかげで天下人w と司馬も言っとる 本能寺の変が起きたときの所領は22年前の今川領と同等
全国的にも東北の乱立する大名よりちょっと上って言うレベルの大名だった 家康のラック
田舎人質世継ぎが一級の教育を受けれた
義元が討ち取られた
三河衆が松平家を変わらず当主として迎え入れてくれた
氏真が三河を纏めきるまで攻めてこなかった
信玄がギリギリのタイミングで死んでくれた
本能寺の変が起こった
しかも、自国の隣に突然空白地帯が生まれた
女好き秀吉に年相応の実子がいなかった >>76
家康大嫌いな司馬
その司馬を敬愛し司馬作品を心のバイブルとする武田
その武田がこれでもか、と言わんばかりに原作イメージぴったりに演じる山岡版秀吉 >>79
武田 鉄矢
2006年(平成18年)、大河ドラマ『功名が辻』で主人公・山内一豊の古参の家来・五藤吉兵衛役のオファーがあったが、
『竜馬がゆく』の敵役(土佐藩上士)の先祖を演じることに抵抗があり、当初は拒否したという。
後にNHK側から「土佐に入る前に死んでしまう役ですから」と説得され、出演することとなった。 >>80
そういえばその話もあったっけ…
武田に限らず団塊世代って司馬大好きな人が多いから
この世代の役者使って山岡作品制作するのは大変そう ・若くして織田家の人質に出され、その織田と松平が対立する
・今川の尾張攻めで先鋒を無理矢理勤めさせられる
・桶狭間合戦で主君義元が殺される
・貧国で一向一揆が根強い三河の数郡の小領主として独立する
・三河一向一揆で、家臣が二分するような危機に追い込まれる
・自国より遥かに強大な国力の今川や武田の侵攻を次々に受ける。
・自国より遥かに強大な武田の侵攻を受けながら、信長の畿内平定戦に次々刈りだされる(金ヶ崎の侵攻戦、上洛戦、滋賀の陣、姉川の戦い、長島侵攻戦、岩村攻囲戦など)
・自国より遥かに強大な武田の侵攻を受けながら、信長からはろくな援軍が来ない
・自国より遥かに強大な武田に苦戦している間、信長が内訌や内紛、有力者の病死に付け込んで火事場ドロして版図を拡張したため
従属に近いような関係を強いられる。
・自国より遥かに強大な武田に苦戦している間、信長が内訌や内紛、有力者の病死に付け込んで火事場ドロして版図を拡張したため
従属に近いような関係を強いられ、信康を命令で殺される
・ろくな援軍もなく、長年武田相手に敢闘し、単独で抑えてきたにもかかわらず、武田攻めでは駿河しかもらえない。
・堺で穴山と遊行中、信長が本能寺で殺され、同行してた穴山が殺され、家康も襲われて危うく死にかける
・命からがら戻ってきたものの、元の国力がしょぼ過ぎ、同盟者家康には大義名分に欠けるため、ろくな兵が集まらず、光秀討伐に行けない。
・信長が死んだ後の信濃・甲斐に上杉景勝と北条氏直が進出してくる
・北条との同盟後も、天正11年・12年と上杉景勝が揚北や越中戦線を放り出してまで川中島侵攻を続けてくる
・秀吉が馬鹿みたいな大軍を率いて、しつこく侵攻してくる。
・圧倒的に秀吉軍を蹴散らしまくってたにも関わらず、織田信雄がマンマと和議に応じ、家康も応じざるをえなくなる
・天正11年に領内で大洪水が起きて、その対応に追われ、徳政令を連発するハメになる
・天正12年に木曽義昌、天正13年に小笠原貞慶・真田昌幸・石川数正・水野忠重が離反し、領内の軍事機密が露見する
・秀吉死後、自分を敵視した奉行衆らが、自分を暗殺する計画を企てる
・秀吉死後、自分を敵視した前田が、天下の差配を牛耳ろうと威張り散らす。
・秀吉死後、自分を敵視した上杉が、自分の命に背いて、領内に立てこもり、戦線布告する。
・秀吉死後、自分を敵視した輝元や三成らが、規格外の大軍を率いて馬鹿みたいに戦をけしかけてくる。
・藤堂隊や黒田隊、細川隊などが弱過ぎて、寡兵でろくな戦闘経験もない雑魚三成相手に苦戦し、あやうく負けかける。
・関ヶ原後も、秀頼や真田信繁らが巨大な富と、戦国一の堅城大坂城に大軍で立てこもり、自分に歯向かう。
・ヨボヨボのジジイになっても、息子が無能すぎて頼りにならないため、仕方なく自分が采配を振るって前線まで一々出かける。 なるほど、家康はナイフ殿と呼ばれてたこともあるんだな。
さぞかしよく切れるんだろなww 秀吉は最初からかなり高い身分だっただけでしょ。
安国寺は天正12年1/11にも秀吉の評判を書き残していて
乞食の経験?というとフロイスの記述にも秀吉が若いころ、一度、信長の元を出奔してることを書いているから
出奔後に乞食になってたのだろう。
天正11年4/12付秀吉→輝元宛では前々せがれの時でさえ、信長家中においては、秀吉が真似ごと仕るべき者、これなく候つる
などと書いていて昔、子供の時ですら信長家中で自分ほどのことができた人間はいなかったと書いていて
秀吉がせがれ時代からすでに信長に仕えていたことがわかる
秀吉は一次史料初見ですで信長の領地安堵状に添え状を出してる身分で登場
(のちの堀秀政などと同様な立場。信長公記では一軍を率いる将として初登場)
どこにも百姓や底辺からの抜擢を示す証拠なない)
津田や木下は織田家の親類衆でしょ。 秀吉は親類だから公記での初登場でも すでに佐久間信盛や丹羽長秀に並ぶ一軍の指揮官だし。
六条本圀寺に三好勢が攻めてきた時に光秀も初登場したが その時に将軍義昭の警護役として登場してる。
どこにも秀吉や光秀が 氏素性のわからん人間や流浪の人物などと言うことは書いてない。 完全に江戸期の講談の影響。
秀吉は『太閤記』の捏造話は信憑性ゼロであり美濃攻略戦の11年間の間に信長に仕え始めていたと思われ
濃尾国境を流れる木曽川の水運業者の川並衆の土豪と秀吉は個人的な強い繋がりがあったのを買われ
木下姓も妻方から貰ったのではなく、元々秀吉の名字。
秀吉は最低でも1565年時点で織田家でもかなりのレベルの地位の領主だった事は間違いない
領土安堵状出してるのは丹羽佐久間柴田など大身とされる連中だけだし
そもそも他家の場合大名しか出してない例も多々あるほど。
秀吉の丹羽と島田との連署で兼松正吉・佐々平太に領土安堵状が出されたのは1568年6/10。
また秀吉はこれ以前永禄8年11/3に坪内利定一族に尾張下野村などの所領安堵状を出してる
木下秀吉判物写
三百貫文 下野
七拾貫文 十町名
二拾貫文 宮田
…(以下略)
あと丹羽と名を連ねている事に見られるように
領土安堵状は一定階級以上の人間しか基本出さない(丹羽は永禄7年12/27に尾張笠覆寺の修理田を安堵状出してるし
永禄8年7/15に佐々柴田と連署で尾張寂光院の寺領を安堵状出してる)
清洲建設・墨俣一夜城は太閤記の糞講談 取り立てらたのではなく最初から丹羽と並ぶような大身だっただけ
太閤記は年次レベルで間違いあるような糞講談なのは常識
墨俣一夜城とか農民出身とか長久手の戦いが池田の献策とかデタラメばかりデッチ上げて秀吉マンセーしてる糞史料
1565年時点で既に領土安堵状だし1568年でも大身丹羽と並ぶような立場で領土安堵状出してるし
信長公記でも初登場が一軍の指揮官だしそもそも木下は織田の親類衆だし
秀吉譜代は前野蜂須賀川並衆堀尾加藤福島と尾張出身者やその近辺の美濃のものが多いから
秀吉が尾張時代から基盤持ってたのが自然とわかる >>田舎人質世継ぎが一級の教育を受けれた
ソースなし。
>>義元が討ち取られた
主君が死んだのだから普通に不運。
>>三河衆が松平家を変わらず当主として迎え入れてくれた
三河衆の中で当時家康に早々に従属したのは西三河の一部の領主のみで三河中郡・東部・山間部などほぼ今川方。
家康が今川氏真
>>氏真が三河を纏めきるまで攻めてこなかった
氏真と家康は三河の梅坪や牛久保、宇利、富永口、笥山、島田などで戦いまくってるんだが。
東三河で家康の禁制や制札がでだすのは永禄7年になってから。
>>本能寺の変が起こった
当時家康は堺にわずかな共をつれていただけで、危うく殺されかける窮地だったんだから
不運でしかない。出陣の準備が全くなかったから、10日たっても十分な兵力が集まらず
秀吉に先をマンマと越されて棚の上のボタ餅をドロボウされたのが家康。
>>自国の隣に突然空白地帯が生まれた
家康以外に上杉と北条が大軍で遠征してきてる時点で空白地帯などとは言わん。
そもそも木曽も松尾小笠原も諏訪も香坂も塩田も、在地領主達はそのままいたわけだから全然空白じゃないし。
>>女好き秀吉に年相応の実子がいなかった
実子は秀頼しかいなくても、秀家、秀秋など養子が一杯いたし
他にも福島加藤など、身内も一杯いたから全く言い訳にならない。
そもそも秀次を殺して後継者を幼君にしたのは他ならない秀吉だし。 >>87
最後の一行は紛れもないラック
ただ>>78は最後の項目以外、貴殿の指摘通りに論破出来そう 最初の3話だけ録画し忘れた。
徳川家康って、どの位の間隔で再放送やってる? 滝田さんが旅人のBSフジ「日本遺産物語」
6/18(水) 日光
世界遺産巡りのようだから東照宮にも >>92
滝田さんには、そんな暇があったのなら、かんべえに出て欲しかったな。 この作品は良かったけど、秀康や忠吉が全く存在すらしてないのが不思議だった。 >>94
秀康も忠吉も出てたよ。
秀康は関ヶ原のとき会津攻めの留守を命じられてたし、
忠吉は関ヶ原のあと家康に薬を塗ってもらってた。
井伊直政「鷹の子は鷹にございました」(忠吉のこと) >>95
ありがとう。知りませんでした。
今度DVDで確認してみます。 >>94
秀康さんは、16回無常の風にも声だけでていたね。 >>97
ごめん。それは憶えてない。DVD確認してみます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています