【道糞】荒木村重ファンクラブ【道薫】
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信長から特段の信を置かれる豪快なナイスガイかと思えば、裏切り後は茶人として復帰するしたたかさと繊細さを兼ね備え自らウンコマンを名乗る大器、荒木村重を愛でるスレです >>479
一種のお笑い芸人のファンクラブと理解してもらおう 考えてみると、家康は妻と息子を、信長に命じられて殺害しているんだが・・・・・・
それ以外にも、家康は、息子の結城秀康を毒殺した疑惑もある。
道糞の評価が低いのは、大きな代償の割には、何も得ていないからかな? 家康が確実に殺害した実子の存在
小笠原権之丞
家康の手がついた母が懐妊したまま、家康家臣の小笠原広重[1]次男の小笠原越中守広朝[2]の妻となったため、
広朝の子として成長し、長じて小笠原家を継ぎ、6000石を領した、とされる。
キリシタンに傾斜したため、1612年に家康により改易・放逐された。
大坂の陣に際し、豊臣方として参戦し、徳川家に敵対し、夏の陣の天王寺の戦いで戦死したとされる。
一説には大坂の陣の際、同じキリシタンである明石全登の養子になったともいわれる。 家康の育児放棄記録
松平 民部(まつだいら みんぶ、1582年(天正10年) - 1616年(元和2年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
徳川家康の落胤とされる。母は法光院()。永見民部とも。
父家康が厄年の時に誕生したため、忌み子とされ、次兄の結城秀康の養子となったという。
秀康の長男で甥の忠直のもとで大坂の陣にも参戦した。その後、35歳で病死したとされる。元和9年8月、秀康次男の忠昌の当時の領地、越後国高田において死去したとも伝わる。 家康の育児放棄記録
永見 貞愛(ながみ さだちか、天正2年2月8日(1574年3月1日) - 慶長9年11月16日(1605年1月5日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の人物。
徳川家康の次男・結城秀康の双子の兄弟といわれる。
当時は「犬畜生と同じ双子腹」が忌み嫌われていたため家康から実子として認められず、彼は夭折したことにして、母(長勝院)の実家である永見家に預けられ、そこでそのまま育った。
永見氏の一人として育った貞愛は、知立神社の神職を伯父の永見貞親から譲り受けたが、慶長9年11月16日に死去。享年31。子女はいなかったといい、妻の姓名も不詳だが、晩年に足が不自由になっていたと伝わる。 荒木村重や滝川一益は、
最初から武芸よりも茶道に傾倒して芸を磨き、
天下人の御伽衆ねらいで出世したほうが幸せだったんじゃないか?
織田有楽の要領良さを見習おう。 刑事役も悪くないけどやっぱり村重役のほうがはまってるな 道薫と名前を変えても身に危険が及べば再び周囲を欺いても生き延びる糞 織田家臣にいじめられてる頃の村重さんの追い詰められっぷりに胸がキュンとなりました(男性、29歳) マイナーだった村重とか右近とか光りが当たったのは目出度い
逆に山中鹿之助とか小学生時分に偉人伝視た記憶在るんだが
瞬殺されたらしいな
視てなかったけどね >>490
なんで見てないんだよw
歴代大河の中で、多分いちばん長く出たんちゃうか 摂津という本当においしい領地を支配出来たのにな、
本願寺がなければ生涯は違ってたでしょう >>491
梅ちゃんとはエライ差があるなあw
あ、梅ちゃんといっても堀北のことじゃないよ
「秀吉」の時の山中鹿介 >>490
鹿介良かったよ。月を見ながら「我に七難八苦を与えよ。」も言ったし。
俳優さんがハムの人で結構有名で、かっこよかった 山中鹿之助がいなかったら、鴻池財閥が誕生しなかった。
山中鹿之助の息子が、鴻池財閥を創った 山中鹿介ファンクラブだねw
それでいいよ。道糞嫌いだし >>498
一応 始祖となっているので
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%BB%E6%B1%A0%E7%9B%B4%E6%96%87
鴻池直文 別名は山中 幸元(やまなか ゆきもと)ともいう。
山中幸盛の長男として生まれる。
慶長19年(1614年)、最初の家訓である「幸元子孫制詞条目」を定めた。
元和年間に次男以下と共に大坂に進出して酒造業を大規模に拡大し、
寛永年間には九条島が開発されるやここに拠って海運業を起こし商品運送を始めたが、
まもなく参勤交代の制度が出来たことにより、西国大名の運送を請け負って成長した。
幸元の生涯を見ると、事業が非常にタイミングよく展開してゆくのがわかる。
幸元は山中幸盛の実子である事、山中家の本家黒田家の跡を継ぐべき立場にいた事等自分の出自を秘匿し、
「禁戒之一書」「遺訓」にも書き記して子供達にも秘密を命じたとされ、未だその累が及ぶ恐れがあったことと、武士を捨てて事業に生きる時にはその経緯が害にこそなれ益にならずと考えたからである。 >>498
孫が行ったのは、酒事業での江戸進出なので 現代の日本に 鹿之助は167人もいる
現代の 日本に 村重が4人存在している
http://namaeranking.com/?search=%E5%90%8C%E5%A7%93%E5%90%8C%E5%90%8D&surname=&firstname=%E6%9D%91%E9%87%8D&tdfk=%E5%85%A8%E5%9B%BD
現代の日本に、家康が101人もいる (子供につけているんだよな) 今の日本に秀頼が38人もいる (歴史ファンだな)
同名検索で調べてみた
さすがに、千姫は0人だった
しかし、元就が42人もいる
しかし、蘭丸が、2人もいる
しかし、松姫が、2人いる
しかし、日本に熊子さんが、1人いる 同名検索で調べてみた
現代の日本に、中川清秀が15人もいる
現代の日本に、信玄さんが26人いる
現代の日本に、如水さんが22人いる
現代の日本に、石田三成さんが5人いる
現代の日本に、武田信玄さんが2人いる 現代の日本に、淀が19人いる
現代の日本に、サザエが3人いる
現代の日本に、カツオが6人いる >>501
>>502
なるほど
鴻池といえば善右衛門だと思っていたもので、失礼した >>507
鴻池は、武士出身なので、始祖も大事にしてわけです。
まあ、わかりやすく書きますと
鹿之助は、祖であり
鴻池直文 別名は山中 幸元(やまなか ゆきもと)は、始祖ですね。
善右衛門正成は、初代となります >>507
書きにくいことなんだけど、昭和になってから
山中家の直系を争う、裁判が起きている。
鹿之助の子孫が、昭和20年に原爆で被爆している
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E4%B8%89%E9%83%8E
鴻池財閥と山中三郎さんが、本家争いをしている。
山中 三郎(やまなか さぶろう、1876年(明治9年)9月26日 - 1969年(昭和44年)4月10日)は、
日本の戦国武将山中鹿介の研究者。広島市出身。美容師のアーデン山中豊子の父。
山中鹿介の娘である八重姫と吉和義兼の子孫であり吉和屋山中総本家第73代目の当主と伝えられる。
広島市西区草津で生まれる。安芸広島藩旧士族の家柄であった山中順助(通称を吉和屋弥右衛門幸正)とカメの長男として生まれた。
幼き頃より両親や祖父母から「七難八苦を克服せよ、先祖山中鹿介や八重姫のように強く生き、
そして先祖に恥じぬように」と教えられて育てられた。
昭和12年には大阪の豪商であった鴻池男爵家に対して「どちらが正統な山中鹿介の直系の子孫であるか」と争う事となり、
当時の新聞紙面にて「山中鹿之助、東西合戦 西方黙れ本家は手前で在る」と両家による総本家争いが報道され、裁判にまで発展した
1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原爆投下により、これまでに収集した山中鹿介関係の古文書・資料等のすべてを失う事となり、妻のワカと3女の照子と共に被爆した。 昭和12年の裁判で、横槍の嫌がらせをしてきたのが毛利家であり
幕末に、毛利家に金を貸さなかった鴻池財閥をうらみ、
裁判で、鹿之助の息子の山中幸元の存在を否定する証言を行っているみたいなんだな。
毛利家の嫌がらせにより、直系を争う裁判で、鴻池財閥は負けてしまった >>466
荒木村重の嫡男の村次も生き残っている。
本願寺よりも、小寺政職よりも、前回名前だけ出てきた山崎の宇野氏よりも後まで
信長に抵抗したのが荒木村重。
荒木村重の家臣は、村重が逃亡した後も紀州に移ってゲリラ戦を展開している。 山中鹿之助って単に普通の武将
何の実績もない
子孫が繁栄したから過大評価損されてるだけ 鹿介は実績よりも忠義がいいんだ。
あの下剋上の時代に尼子再興に命をささげた。
信長を裏切り家臣まで裏切った道糞とはえらい違い >>512
鴻池創業の地が有岡城のあった伊丹なのだ。
これも何かの縁 >>516
物知りだね。
伊丹って清酒発祥の地だっけ。色々あるんだね。 鹿介の子孫って何故伊丹で鴻池を創業したのかな?
何か縁やゆかりがあったとか? >>510-511
鹿介と道糞の不思議なつながりを前提に改めて読んだら、興味深かった。
原爆投下で史料が無くなったのが悲しいね。今残ってる史料って貴重だな。 養子に出された先が滅亡
伊丹鴻池の叔父を頼る
そこで清酒発明、豪商へ >>520
ありがとうございましたm(__)m
ドラマチックな人生ですね。伊丹って行った事が無くて、空港くらいしか知らなかったから
今回色々と知る事が出来て、興味を持ちました。いつか行ってみたい。
鴻池ゆかりの建物とか残っているといいな。 >>521
105 名前:日曜八時の名無しさん :2014/08/13(水) 08:32:04.03 ID:wIyRuANp
真田丸に岡田とか・・・冗談止めてよ!!!
堺の官兵衛は見たかったかも。少なくともムダな三角飛びは無かった >>503
そのサイトどこまで正しいんだ?
光宙が一人しかいねーぞ >>524
そのサイトは基本的に、電話帳の記載の世帯主を中心にしている。
光宙(ぴかちゅう)は、まだ世帯主になる年齢まで大きくなっていない。
20年たてば、ぴかちゅうで、世帯主になる人も増えるよ。
>>524
日本に、名前が美人さんは110人いる
日本に、名前が巨人さんは54人いる
日本に、名前が楽天さんは3人いる
日本に、名前が軍人さんは46人いる
日本に、名前が兵士さんは7人いる
日本に、名前が武将さんは60人いる
日本に、名前が将軍さんは1人いる
日本に、名前が大佐さんは21人いる
日本に、名前が名人さんは2人いる 2話前のはなしで申し訳ないが
利休が官兵衛に振り払ってくれと頼んだのは
単純に師匠として弟子の糞を思っての行動?
官兵衛に道糞会わせて精神的ダメージを与えようとかそう言う意味ではなかったよね? >>529
その通りです
利休は道薫の師匠として官兵衛に頼んだんです
利休は伊武さんが演じているのでダークサイドの人と誤解されているかもしれませんが… 今日はやばかった
最終回に又兵衛来るかもね。
長政に依頼されて大坂夏の陣屏風絵を描く絵師として。 吃又を出してくれてありがとう
これが無くっちゃ村重物語は完結しないよね >>536
岩佐又兵衛が大坂夏の陣屏風絵の作者かどうかはわかっていません。
人物の顔の感じからすると、違う人のようですね。 ウンコ村重が信長に逆らわなければ一族みな殺しにならなかったのに。 この大河のこれまでの一番の鬱要素だった村重の物語が
ハッピーエンドとはいわないにせよそれなりの納得感のある終わりを迎えてよかった 「それがしに、子供などいないのね――!!」
「父上に、お渡ししたいものがございます。
この妖怪の画は、父上をモデルに描きました」
「ゲゲゲ!!ぼくは、こんな化け物じゃないのね――!!!」 秀吉の村重に対しての、こやつをどこぞに閉じこめておけ!
てまた土牢が出てくるのか?て思ったけど穏やかな結末にホッとした
だしも恨んでないみたいだからこういう終わり方で良かったけど、翌年死んでしまうんだな 荒木村重ファンというよりは、田中哲司ファンになってしまった 武士らしい風格、茶人としての振るまい。
特に前半は田中哲司の名演に支えられるところも大きかった。
饅頭を食う場面ではまさに村重を体現してくれた。
これまでお疲れさまでした。 影の主役で間違いないよ、
息子との今生の別れのシーン、ちょっと泣いてしまったw 最期生気あふれる村重の顔に戻ってたのがすげえよ田中哲司 ここまでの経緯を考えるとハッピーエンドの部類だよな へうげ以上に扱い良かったと思うけどなぁ
又兵衛については圧倒的にへうげになるだろうが ああ今年も終了か、の寂寥感だな。まだ8月というに・・・。 荒木村重と高山右近をウィキで見てみたけど、人生が大変すぎる。
普通の人は耐えられないな。 あっさり ナレーションと背中だけで 死なせたなww
>>549
>>551
その「へうげもの」があったからこそ、インスパイアされて村重を扱ったのでは? 黒田官兵衛を主役にしたら、どうしたって村重は重要キャラになるでしょ 死ねないというのはキリシタンだから?
単純に死ぬのがイヤだから? 死にたいと思う部分と死にたくないと思う部分があって後者が勝ってたってことでしょ >>563
死ぬのが嫌だったにもう一票
九州編のまえに有岡編を片付けたって感じだな
最後は呪念が溶けたみたいでよい終わりかただったと思う 過去の己の所業や死んでいった人たちに対しても、
恥ある生を生き抜くことこそが自分の宿命と考えていた設定だろ
「生きることは死ぬことよりも勇気がいる」的な、ね 何故荒木村重が死ねないのか?個人的には”強欲”で浮世に未練があったからではないかと推測する。 戦国的価値感が頭では解っているが、心底は馴染めない現代的人物だったということでしょうな >>567
死にたいのに生に未練がある己が嫌な設定。
生の象徴である子供の登場に戸惑う。
>>568
へうげじやあるまいし。
おのれ信長(ジタバタのとき、茶器叩き割ってたし、そういう設定ではないだろう。 >>571
俺の中の史観がへうげものに近いのだろうな。”死ねない”のは未練があるからだ。後悔したくないからだ。私はそう思う。 >>572
名誉欲というものすら失った状態だろ。
生きる欲求は本能的なもの。
それを上回る名誉欲という人間らしさが有れば自害するが、そこがない。
だから化物。 >>573
それは化け物なのか?違うなぁ。欲を無くせばそこにあるのは悟りの領域。何故道薫は迷いの中にあるのか?後悔と未練があるからだよ。悔いがある。
何故あの場でわざわざ秀吉を焚きつけて切らそうとしたか?天下人にまだ未練があるからだよ。何故茶人か?己の茶の湯をまだ極めたいと思う欲求があるからだよ。
だから死ねなかった。
私はそう思うのですよ。 3ヶ月ぶりに見たけど、昨日のはすごかった
毎週これぐらい? 傷だらけの魂ってサブタイがほんとかっこよすぎる
ええ花道用意してもらったな村重 ♪道っちゃん、道々ンコ垂れてー、紙ーがないから
手で拭いてー、もったいないから、舐めちゃったら
翌年、疫痢で死にますたぁ!www ♪ >>574
>何故茶人か?己の茶の湯をまだ極めたいと思う欲求があるからだよ。
この人の茶だけは飲めないな…飲みたくない。
秀吉は懐が深いね。俺なら傍に置かないわ。斬り捨ててる。 存在していること自体が不愉快だから。 そりゃあ人の懐柔スキルだけで天下人になったような男と、ネラーの懐の広さなんぞ比べるべくもあるまい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています