【善助・太兵衛】黒田家臣団を語る【九郎右衛門】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ここは「軍師官兵衛」に登場する黒田家の家臣トリオについて語るスレです。
善助ファン、太兵衛ファン、九郎右衛門ファンの人は大いに家臣団と殿を語りましょう。
又、家臣団の話題ならトリオ以外の人物の話も可。
■公式サイト
http://www9.nhk.or.jp/kanbe/
■ご当地サイト
N HK神戸放送局
http://www.nhk.or.jp/kobe/gunshikanbee/index.html
NHK福岡・大分放送局
http://www.nhk.or.jp/fukuoka/kanbe/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応 善助は殿が牢から出てからは椅子持ったり後をついて回ったり、側近の中でも一番の側近って感じかな
九郎右衛門は冷静な中にも情熱あり、大仕事も速やかにスマートにこなす出来る男
太兵衛は黒田の次代当主長政の守役として脳筋なだけじゃダメなんだという事を、身を持って教える役割
三者三様でかっこいい
黒田家は良い家臣に恵まれてるよ
もちろん黒田の男が、家臣や領民に慕われる好漢ばかりだったというのが大きい 筆頭家老というのは長男のポジションゆえに全家臣のまとめ役、抑え役に徹しなければならない
サッカーで言えばボランチそのもの。 超重要で仕事量も非常に多いが、総じて地味な役回りだ >>121
へえそんなシーンあったんだ
もしかしたら撮影してても時間の都合、編集やPの好みや意向でカットされちゃったりしてるのかもしれないな
岡田くんが太兵衛のいろいろな「若〜」が深くていいと語ってたらしいけど、そんなにいろいろな「若〜」って言える程、まだ「若〜」って言ってないもんね 家臣トリオそれぞれの魅力はもちろんあるけど
三人(他)をしっかり使いこなしている官兵衛はやはり人の上に立つにふさわしいんだなー
自分の部下だったらと考えると
九郎右衛門みたいにわかりやすくデキる男ならまだしも
太兵衛のような気性の男を制御できる自信はないし
善助の良さを理解して尽くされて慕われるとは思えん ホームドラマのパートを削って家臣団エピ入れてほしい
光がらみのパートは適切な分量ならいいけど長すぎてテンポが悪くなる >>104
関が原の戦の様子を長政が今見てきたかのように詳細に語るのをお供は全員慎み深く傾聴…
長政は数時間も古戦場跡から離れず、走馬灯やら様々な思いが脳裏にあふれて
涙をこらえきれなかった。これを映像で是非見てみたい。
そして時世の句を詠んだ後に臨終。老いたはずの長政が桃李さん演じる若き日の姿にもどって
暗いトンネルの中にたたずんでいる。遠くにぼんやりと明かりが見える。
その方向に行くと『軍師官兵衛』のOPに登場する赤合子が登場し、
長政は笑顔を浮かべて出迎えた黒田家臣団と一緒に光の中に還っていく。 土楼に幽閉されている殿の居場所を確認するために
善助が塀を乗り越えて城内に忍び込む前のやり取りもカットされてたよね。
善助の踏み台になる太兵衛と、それを乗り越える小さな善助のコミカルな会話を
二人で工夫したからお楽しみにと書かれていたのに全カットで泣いた。 古戦場巡りをして自分の戦いを息子の忠之らに語り継がせたという逸話(>>127)
その約一ヵ月後に長政は京都のお寺で亡くなった。
スピンオフやるなら長政晩年を是非 >>131
何がすごいって長政死去の時点でまだ善助と九郎右衛門は存命中ってことだ >>132
じゃあその2人が亡くなるまで長政はトンネルの向こうには行けないね 長政と糸の娘って九郎右衛門の息子の嫁になるんだね。 >>130
え〜それは面白そうな大小の組み合わせなのに、惜しい
DVDに入るかな >>134
すごいなーと思ったけど
継室栄姫の産んだ娘とは嫁ぎ先に格差があるな…
そして井上家からも、
九郎右衛門の娘たちが、兵庫助と修理亮の息子に嫁いでるんだね >>136
ドラマだと善助だけが既婚者扱いだけどとっくの昔に九郎右衛門も結婚してるんだよね
さりげなく妻とか出しといたら、善助に惚れたかwって言ったのも既婚者の余裕が見えて面白かったのにな
太兵衛は九州行くまで独身か 自己レス
菊姫が嫁いだのは秀忠に仕えた旗本の次男、井上淡路守庸名だったか
それなら格差ってことでもないね 将軍養女の娘が、旗本の次男の嫁ってあり得ないんじゃないか?と思って、
ウィキペディアを見たら、長政と栄姫の娘2人はそれぞれ大名の榊原忠次、
池田輝興の正室とあるけど・・・
まぁ、九郎右衛門の井上家も大名並の石高持ってるけど、家格的には大名に嫁ぐか、
大名の家臣に嫁ぐか、という差はあるね。 いきなり話ぶった切りますが
もこみち太兵衛好きな人、姫路に観光に来る予定の人がいたら、
姫路駅を北側(お城側)に出て大通りの右側にあるみゆき通りに、
ほけんの窓口があって外にもこみちとだし様のでっけーパネルが置いてあったよ
まあほけんの窓口なんか全国にあるだろうけど
写真とっていいのか知らないけど観光ついでに…と思ったので
自分は九郎右衛門ファンだからあんなでっかい一生パネルがあったら噴死するわ
姫路はほんと官兵衛で盛り上がってますよ、8月1、2、3日にお城祭りで黒田二十四騎のパレードあるし(何日かは把握してません)
燃えよ官兵衛!熱き夏!というキャッチのまんま、今姫路くっそ暑いので気を付けて 別スレでうっかり暴走してもうたが
中津城謀殺事件は後世の捏造だった可能性が浮上して、
官兵衛が太兵衛に命じて最初に城井氏に切りつけたと言われていたが、
これも濡れ衣だったのね多分…太兵衛が謀殺に絡んでたなんて考えられないし >>140
「一緒に撮っていいですか!」と聞くしかないな ほんと太兵衛不足だ
前々回はまだ船の用意するとか、毛利の旗を見る時出てたから
まだ出番あった方。前回はセリフもなく官兵衛の背景にちょっと映っただけ
戦闘で活躍するかと期待してたのに合戦シーンスルー。本能寺の回も出なかったし
太兵衛は強くて有名になる程、いつ戦で活躍できるんだろう >>139
輝興にとついだ亀姫さんかわいそすぐるTT 長政が宇都宮の左肩付近から心臓部まで一刀でぶった切り
ほぼ即死状態だった宇都宮
それからというもの亡霊にうなされるようになった長政だが
軍師官兵衛の策によって神社を建立し亡霊の調略に成功 若の姫路へのお使いには同行してほしかったよ>太兵衛
又兵衛との再会のためにぼっちにしたんだろうけど >>147
確かに、長政はじめてのお使いは、太兵衛といくべきだった。若一人じゃ危ないじゃない。 >>148
偶然水飲み場があって、そこで先を越されて一戦交えそうになった相手が偶然又兵衛だったから
助かったけど熱中症になりかけてたよねw
あの時は人手が足りなくて太兵衛まで使わされるのであれば、一人でおつかいできる足軽に頼んだだろうしな
14歳長政が「一人でできる、太兵衛は付いてこなくてよい」って言ったのかもしれん 太兵衛「なにがあっても若のそばを離れませぬ!
ただし殿(善助)から命令があれば、若よりそっちを優先で」 >>146
城井神社(紀伊神社)は黒田家が中津城を去った後に作られた。
「天正十九年長政は深く感ずる処があって城内守護紀府(城井)大明神として鎮房を祀り、
福岡移封後はその地に警固大明神として祀った」と現地案内板にあるが、
警固神社は福岡城を築く際に本丸にあたる場所から現在地に移したので城井氏とは関係ない。 長政と福島・加藤再会のシーンで思ったけど
ガキのころを知ってて悪童呼ばわりしてた相手に長じてアルハラされるってのも…
直臣と陪臣の差かね >>153
日本号エピの福島正則は陪臣と直臣とか以前にただのたちの悪い酔っぱらいな気がする
相手が目上の人でも絡みそう
若は今夜結婚するのに太兵衛だけがまだ独身か
九郎右衛門はドラマでは触れられないけど既婚者だし >>155
度にもよるがバカは扱いやすいってメリットもある 城井城から重症負いながら逃げ帰ってきた長政に対して官兵衛は
笑いながら頭使えとダメだし
そして官兵衛の指示によってあっさり宇都宮討伐に成功 >>158
ノベライズと随分違うね。
放送ではどう描かれるんだろう。 せっかくの戦働きなのに夜戦で顔もはっきり見えなかった…
九郎右衛門、長政、善助が指揮取ってた? 九郎右衛門は火矢隊の指揮を、善助が鉄砲隊の指揮をとってた
長政と太兵衛は槍で戦ってた
九郎右衛門の「放てー!!!」が相変わらず貫禄ある声でかっこええ 長政のところで太兵衛も映ってたか…見逃した
本スレにも書いたけど
こういう官兵衛の指揮と従う家臣の連携の面白さをたっぷり見たかったなあ 九郎右衛門さま中の人の
深説・八犬伝〜村雨恋奇譚〜 高橋一生よりメッセージ!
http://www.youtube.com/watch?v=3N65bNST7f8
この舞台見逃したからどこかで殺陣見たいと思ってたんですよね
CS時代劇専門チャンネル『時代劇法廷』第9話(2012年3月20日)「被告人は土方歳三」で
さらっと刀をしまう時の取り回しみたいなのが凄くきれいで、ルックスが上記動画みたいな感じで
「それは京の女だ」「だってモテちゃうんだもん」等 プレイボーイぶりは九郎右衛門の逆で
短い番組中に土方の性格が遺憾なく発揮されてかっこよかった
官兵衛救出の回の殺陣もきれいと言われてますがその後3人で走ってきて、走りながら刀をしまうとこも見てください
走りながらあれはむずいと思いませんか?(土方の時もあんな感じ)
願わくばいつか剣士役が見たい >>140
こまかい話ですが、憤死は{激しい怒りのうちに死ぬこと}との意味ですよ
逆が言いたかったんですよね?気持ちはわかります あー高橋一生ってちょっと歳三になれなくもない顔立ちしてるね >>163
ありがとうございます。八犬伝か〜、格好良いね。
大河ドラマでは合戦が端折られちゃったから、九郎右衛門の殺陣が見られなくて残念。
太兵衛の槍使いも見られなくて、残念だった。歌は上手かった。 もこ、しみじみ美味しい役だな
殿ラブ若ラブ酒のんで踊る
実況がオリーブの舞で埋まっていてワロタ >>169
オリーブをなみなみと注いで回る宴会やだわー 踊る時の盃は空だったじゃんw
太兵衛歌も踊りも良かった
ドラマを盛り上げたね >>160
よーく見てみると家臣達戦ってたんだね
あまりの短さと、暗さで見逃してたw
加藤も福島もちょっとだけどちゃんとうつってた。
善助も太兵衛も九郎右衛門もそれぞれ1秒あるかないか
せめて10秒は戦ってるところ見せようよ
あれだけ甲冑の身支度して山に入って馬走らせて役者の手間と時間と撮影のお金かかってるんだから >>175
いつもは戦ってもカットされてるかもしれないから
1秒でもあるだけありがたいと思おう あれだけの手間かけたシーンだから
撮影段階ではいろんなパターン撮ってると思うよ
ただ編集では削られちゃうんだろう 勇壮な騎馬武者同士の戦いなんて幻想であると、暗に視聴者に気づかせる演出なんだろうね。
時代考証的には戦国時代では武将は移動の際だけ馬に乗り、現地では馬から降りて戦ったそうだけど、
それをドラマで再現すると迫力に欠けるし…ロマンのへったくれもない。
それぞれの理想の合戦シーンを脳内で補完するべし!みたいな? あれ?でも長政は馬乗って槍で戦ってたのが、ちょろっと映ってたよ。 ちょろっと、ね。主人公の息子が活躍してましたと説明的なカット。
本当は尺が足りないとか予算が足りないだけかもしれない。
長政はあまり馬の扱いが得意じゃなかったらしい。姫路へ伝令役すると名乗りを上げたときに
親父(官兵衛)さんが微妙な顔をしてた意味がやっとわかった。 >>180
馬の扱いが下手だから心配、とかそういう問題じゃないだろ
確かに途中で水が足りなくなってバテてはいたが
お使い役なんて他で十分、お前はここで軍を引っ張って欲しい…でも行きたいなら仕方ない…っていうところじゃない? >>181
冗談だよ。確かに官兵衛が自分の跡継ぎとしてふさわしいか厳しくチェックしているシーンだと思うけど、
同時にじっとしていられない、向こう見ずなところがある長政の性格を表すためのエピでしょ。
又兵衛と知らずにカッとなって切りかかりそうになったり、短気で損をするという
後の城井谷城の敗戦を暗示する伏線でもある。 「どけ!」と長政を突き飛ばしたのが又兵衛。
長政は最初どこの野武士かと思い「無礼者!」と刀に手をかける。
目が会ったところでお互いに?どこか見覚えがあると一瞬動きが止まる。
そして「又兵衛!」「若!」で再会を確認。 今後見るべきものは九州平定も城井討伐も朝鮮の役も超高速ですっとばして
関が原の戦の裏で官兵衛が主に浪人や商人をかき集めて
就職面接会をするシーンぐらいか。戦のド素人ばかりで指導役の太兵衛が頭抱えたり、
天才的な奇術師を採用して(第二次世界大戦中に連合軍に参加した
天才マジシャンみたいな奴)奇想天外な策を思いつくとか、面白い演出してくれ。 ノベライズによれば
官兵衛は、長政の新領地支配のサポートに善助と太兵衛をつけて
自分の大阪行きには九郎右衛門を伴った、というのが今回の役割分担 >>187
だろうなとは思ってたけど、何でその描写を入れないかなあ…
最近、善助は毎回しっかり出てるのに九郎右衛門と太兵衛はまばらですごい雑なのが不満
もっと九郎右衛門と太兵衛の活躍が見たい 本スレで知ったけど熊之助と遊んでいた童は太兵衛の子供だって。 >>189
いつ結婚したんだよ
て言うか嫁は宗麟の娘じゃないのか?どこで九州の女と出会った? >>190
本スレから
>母里吉太夫(母里太兵衛の子/1581?-1597)
だそうな 毛利左近という家老が母里太兵衛の子供なので、
先に亡くなった母里吉太夫は腹違いの兄?
ぐぐっても母親の情報はまるで出てこない。 有名武将の娘とかじゃない播磨あたりの地侍の娘でも最初の妻にしてて、
吉太夫を産んだが早死にでもされた、とかかね?
吉太夫のその後がアレだからそのマイナー生母の名前が残ることもなく
実は大友の娘は継室なんだけど、子孫が残ったのはこの系統だから、
太兵衛の妻といったら大友の娘、でたいていは説明が終わっちゃうことに、みたいな? 長政だったら丸太にしがみついて立ち泳ぎして岸にたどり着きそう。
日本泳法をマスターした長政は甲冑を着たまま泳げるし、
水中の格闘で敵をいつの間に倒したし、凄いよね。 >>193
小寺時代はスルーしてたけど母里武兵衛が光姫の侍女のお国(しょこたん)が
プロポーズしてから出陣した後に討ち死にしたエピソードがあったけど、
お国が母里武兵衛の墓参りしている時に太兵衛と何度か鉢合わせて
なんとなくご縁を感じて結婚して一児を儲けたとか、妄想してみた。 スルーしてたというのは自分が小寺時代のドラマの回を視聴していなかったという意味。
しょこたんお国ともこみち太兵衛は年の差どのくらい?
すれ違ったり会話する機会あったのか、見てないのでわからない… >>196
本スレのテンプレにあるけど
永井武兵衛ともこみち太兵衛は正確な生年不明、しょこたんお国はオリキャラなので
まあ武兵衛が官兵衛と同い年、お国が5歳下、太兵衛が10歳下、くらいとして
ちょいとあねさん女房かな
ロマンチックな想像でいいね
大河で取り上げられると史料が続々発掘されたり本がたくさん出たりするから
埋もれてた史実や専門の研究者くらいしかしらない史実も、一般に知られてくるようになるかもね >>197
もこ太兵衛が完璧に尻に敷かれそうな新婚生活が目に浮かぶ…
お国はフィクションのキャラだけど、織隆の後妻(ぬい)が母里出身なんで
孫の熊之助の遊び相手も母里太兵衛の子が選ばれたんだろう。 >>190
大友宗鱗の息子が大友義統(1558−1610)で、義統の妹が母里太兵衛に嫁いでいる。
1600年の石垣原の戦いで太兵衛の娘を娶った久野次左衛門が19歳で戦死。
この敗戦で義統が義弟の太兵衛を頼って降伏した。この時点で義統は42歳。
宗鱗の娘が10代で結婚していれば吉太夫を産んでもおかしくはないが、
官兵衛がまだキリシタンになる前に家臣の太兵衛がキリシタン大名の娘を娶るとは考えにくい。
普通に考えて豊前に入ってから如水の影響で結婚したと思われる。
結局吉太夫が誰の子かわからずじまい。 >結局吉太夫が誰の子かわからずじまい。
母が不明だけで太兵衛の子なのは間違いない。もう一人の子(娘)と同腹か。 >>199
地理的なこと以外にキリシタンつながりもあったか
とりあえずあの子供は宗麟の娘の子供ではなさそうだな
特に説明もなく熊之助と遊んでるだけの役なら別に玉松とかでも良かったのにね >>201
黒田一成(玉松)の弟ね。熊之助と家臣の子ら四人
ちょうど『スタンド・バイミー』の四人と同じ数。
途中まで楽しかったんだろうな…喧嘩したり泣いたり笑ったり
夢を語りあったりしてさ。脳内BGMがアレ >>201
後に熊之助と運命を共にするから今から出してると思う
それにしても今は穏やかな黒田家も色々な悲劇が待ち受けていると思うと切ない
3家臣で黒田騒動の後にちゃんと残るのは太兵衛のところだけだし >>202
親父が死んだことになってるから出しようないな>玉松弟 >>203
栗山家は南部盛岡藩に定住したけど
井上家は、九郎右衛門の直系は追放されて弟の血筋の家が福岡藩に残っただけとよく言われてるが
あれこれぐぐったら、
追放時に井上家の家督をついでいた九郎右衛門の孫が、
ほどなく福岡藩のある家老の家柄の猶子に迎えられていて
その家は幕末まで続いている、という、個人サイトの書き込みを見つけて、気になっている
栗山家にも再度召し抱えのお誘いがあったようだし、
藩主忠之のやりたい放題を後でフォローする動きがあったのだろうか?
大河化を機に詳細が明らかにならないかなぁ >776 :日曜8時の名無しさん:2014/04/30(水) 01:42:02.53 ID:CTZPGpLc
>井上九郎右衛門の井上家って、九郎右衛門の親父の代から黒田家の忠臣で、
>息子の九郎右衛門も官兵衛父に仕え17から官兵衛に仕えて
>官兵衛の孫まで黒田家四代に渡って支え続けた忠臣の中の忠臣なのに、
>栗山の黒田騒動を収めるべく中心になって働いたのに、なぜかお家断絶にされるんだぜ
>さすがに黒田家も罪悪感があったのか、九郎右衛門の弟の親族は召し抱えたらしい
>現在、若き日の苦労右衛門めちゃ頑張ってるのに報われなさすぎだろ
本スレの過去ログより。 >>206
うん、それは九郎右衛門弟の血筋の話だね
それは書いてる
そうではなくて九郎右衛門の孫の話 ええと…長政の最初の妻(糸)の間に生まれた娘を九朗右衛門の次男の
井上庸名がもらっているが男児に恵まれず断絶。
井上庸名の娘は溝口宣俊に嫁いだ。この家系は関係ないか
井上九朗右衛門の娘2人がそれぞれ黒田正喜と黒田政成に嫁いでいるから
そっちの孫のどれか? >>205・207
そのブログに辿り着きました。九朗右衛門の娘じゃなくて
息子の之顕の子が矢野九郎右衛門の猶子になった云々…とありませすね。
ぐぐると福岡藩の資料に九朗左衛門の名はありましたが九郎右衛門が出てこない。
さっぱり詳細わかりません。お役に立てなくてごめんなさい。 福岡のローカル広報誌
ttp://www.town.okagaki.fukuoka.jp/000003231.pdf
道柏(井上九朗右衛門)の墓イイね。奇をてらわずシンプルながらグッドデザイン。
長男は井上右近一利といったが若くして病死。
だから井上庸名が長男とよく間違われるが次男なのか。
井上家を継いだのは井上九朗上門の息子の一利の嫡子で井上主馬正友。
井上主馬がわけあって浪人になったという説もあり。
最終的に一利の弟が井上本家を継ぐことになった。
なんだ傍系じゃなくて直系の孫じゃん。 ×なんだ傍系じゃなくて直系の孫じゃん。
失礼…直系の息子の間違いですね。
諸説ありますが、岡垣小史によると井上本家は
一利の弟・半右衛門之顕が継いでいます。 半右衛門之顕の代で領地没収で井上本家がついに断絶の憂き目に逢う。
まだ利房が継いだ分家が残っている。
半右衛門之顕の子が矢野家の猶子になったかどうか不明… >>212
乙です
色々調べてくださったんですね
自分は、ちょっと前にヒストリアか何かを見て
黒田家に献身的に仕えた二十四騎のうち半数以上が長政の息子の代に福岡藩を去ったと知り
なんともやりきれない気持ちになったものです >>213
いいえ…さっきから九郎右衛門とか郎の字をずっと朗と間違って書いてた。すみません。
朗と書いているのは郎と脳内で置き換えて読んでください。
井上周防之房(のちの九郎右衛は主君の長政をディするコントで
結構辛らつな物言いを正面からしていたようです。他の藩なら切腹か斬首かってくらいストレートに。
如水が正面から厳しいことを主君いう家臣を長政に遺したのが発端だったようです。
長政はがまんしていたけど忠之の代では困ったことに…
九郎右衛門の息子や孫の代でとばっちりが来たようです。 >井上周防之房(のちの九郎右衛
自己レスで訂正…井上九郎右衛門(のちの井上周房之房)
すみません暑さのせいで間違いだらけ。
>幼名を「井上彌太郎(井上弥太郎)」と言い、元服後に「井上九郎右衛門」と名乗り、
>筑前入国後に「井上周防」を名乗った。 >>209
おそらく同じブログですかね
個人サイトの、本人ではなくてコメントに書き込んでる別の人の情報なので
どれくらい詳細を書いていいものかわからず、わかりにくかったなら申し訳ない
別の個人サイトでは、九郎右衛門の
長男→息子(九郎右衛門の孫)の代に追放
次男→出家
三男→旗本に
四男→長男家追放後家督をつぐ、やはり息子(九郎右衛門の孫)の代に追放
五男→?
というのもあり
前述の矢野家猶子になった?のは四男の方の孫、孫九郎という名の人物のようです
複数のソースが見つかれば信憑性もアップするんだろうが、ネットをぐぐった程度では見つからん… 大東亜戦時中、儂の所属していた姫路の兵隊はかなり強かったんじゃ。
姫路師団は、華北最強の110Dとか、ビルマ最強の54Dじゃのう。
英軍のリード大佐は、54Dを世界最強と誉め称えた。
ビルマ派遣軍の師団の後半強さは、一に姫路の兵、二、三に久留米の菊、龍じゃのう。
これも黒田24騎の名残じゃわい。 >>216
>>210のリンク先によると九郎右衛門の五男が利房になるね。
個人ブログの先祖の話が本当なら黒田一成と九郎右衛門の末裔が
藩の財政難のために偽札作りに手を染めちゃうのかw
知りたくなかった。せめて密造酒とか密貿易とかクールがよかった。 >>216の次男と三男逆だった。
>>210の広報誌の別号にも詳細あり。
ttp://www.town.okagaki.fukuoka.jp/000015114.pdf
五男・利房も後嗣なく断絶か。まあ、娘もいっぱいいたけどね。 >>219
自分の先祖でも無いのに九郎右衛門の略系図まで書き出してしまい、
いったい何やっているんだ…と突っ込む。
どうやら黒崎のお祭りに九郎右衛門さんが鎧武者姿で登場して
中の人は九郎右衛門の子孫の方だそうです。
正確には井上一門の井上五郎衛門道喜(身分不詳)の子孫だそうです。
井上略家系図 之正
┌───────────┤
平兵衛・友房 九郎右衛門・之房 ──┬─ 正室
(訳あって黒田家を (周防守 黒田家重臣) │(櫛橋伊定の娘)
去る川越瀬兵衛 男子女11人誕生
と名乗る) ┌──-──┬────┬────┼───┬───┬──┐
│ 女 長男一利 庸名(旗本) 女 女 四男 五男
│ (三輪善順 早世 長政の娘婿 半衛門之顕 将監利房
重信 の女) │ 半兵衛に改名
┌─────┤ │
│ 主馬正友 栗山大膳の娘婿 孫九郎
忠之の小姓←忠三郎 (吉木に隠居)
俊清 │
一緒に脱藩 息子・豊前に逃れる
半右衛門 小倉藩に仕える うわ!しまったまだ途中なのに>>220のレスは間違って送信した。ごめんなさい。
スルーしてください。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています