【善助・太兵衛】黒田家臣団を語る【九郎右衛門】
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ここは「軍師官兵衛」に登場する黒田家の家臣トリオについて語るスレです。
善助ファン、太兵衛ファン、九郎右衛門ファンの人は大いに家臣団と殿を語りましょう。
又、家臣団の話題ならトリオ以外の人物の話も可。
■公式サイト
http://www9.nhk.or.jp/kanbe/
■ご当地サイト
N HK神戸放送局
http://www.nhk.or.jp/kobe/gunshikanbee/index.html
NHK福岡・大分放送局
http://www.nhk.or.jp/fukuoka/kanbe/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応 >>148
偶然水飲み場があって、そこで先を越されて一戦交えそうになった相手が偶然又兵衛だったから
助かったけど熱中症になりかけてたよねw
あの時は人手が足りなくて太兵衛まで使わされるのであれば、一人でおつかいできる足軽に頼んだだろうしな
14歳長政が「一人でできる、太兵衛は付いてこなくてよい」って言ったのかもしれん 太兵衛「なにがあっても若のそばを離れませぬ!
ただし殿(善助)から命令があれば、若よりそっちを優先で」 >>146
城井神社(紀伊神社)は黒田家が中津城を去った後に作られた。
「天正十九年長政は深く感ずる処があって城内守護紀府(城井)大明神として鎮房を祀り、
福岡移封後はその地に警固大明神として祀った」と現地案内板にあるが、
警固神社は福岡城を築く際に本丸にあたる場所から現在地に移したので城井氏とは関係ない。 長政と福島・加藤再会のシーンで思ったけど
ガキのころを知ってて悪童呼ばわりしてた相手に長じてアルハラされるってのも…
直臣と陪臣の差かね >>153
日本号エピの福島正則は陪臣と直臣とか以前にただのたちの悪い酔っぱらいな気がする
相手が目上の人でも絡みそう
若は今夜結婚するのに太兵衛だけがまだ独身か
九郎右衛門はドラマでは触れられないけど既婚者だし >>155
度にもよるがバカは扱いやすいってメリットもある 城井城から重症負いながら逃げ帰ってきた長政に対して官兵衛は
笑いながら頭使えとダメだし
そして官兵衛の指示によってあっさり宇都宮討伐に成功 >>158
ノベライズと随分違うね。
放送ではどう描かれるんだろう。 せっかくの戦働きなのに夜戦で顔もはっきり見えなかった…
九郎右衛門、長政、善助が指揮取ってた? 九郎右衛門は火矢隊の指揮を、善助が鉄砲隊の指揮をとってた
長政と太兵衛は槍で戦ってた
九郎右衛門の「放てー!!!」が相変わらず貫禄ある声でかっこええ 長政のところで太兵衛も映ってたか…見逃した
本スレにも書いたけど
こういう官兵衛の指揮と従う家臣の連携の面白さをたっぷり見たかったなあ 九郎右衛門さま中の人の
深説・八犬伝〜村雨恋奇譚〜 高橋一生よりメッセージ!
http://www.youtube.com/watch?v=3N65bNST7f8
この舞台見逃したからどこかで殺陣見たいと思ってたんですよね
CS時代劇専門チャンネル『時代劇法廷』第9話(2012年3月20日)「被告人は土方歳三」で
さらっと刀をしまう時の取り回しみたいなのが凄くきれいで、ルックスが上記動画みたいな感じで
「それは京の女だ」「だってモテちゃうんだもん」等 プレイボーイぶりは九郎右衛門の逆で
短い番組中に土方の性格が遺憾なく発揮されてかっこよかった
官兵衛救出の回の殺陣もきれいと言われてますがその後3人で走ってきて、走りながら刀をしまうとこも見てください
走りながらあれはむずいと思いませんか?(土方の時もあんな感じ)
願わくばいつか剣士役が見たい >>140
こまかい話ですが、憤死は{激しい怒りのうちに死ぬこと}との意味ですよ
逆が言いたかったんですよね?気持ちはわかります あー高橋一生ってちょっと歳三になれなくもない顔立ちしてるね >>163
ありがとうございます。八犬伝か〜、格好良いね。
大河ドラマでは合戦が端折られちゃったから、九郎右衛門の殺陣が見られなくて残念。
太兵衛の槍使いも見られなくて、残念だった。歌は上手かった。 もこ、しみじみ美味しい役だな
殿ラブ若ラブ酒のんで踊る
実況がオリーブの舞で埋まっていてワロタ >>169
オリーブをなみなみと注いで回る宴会やだわー 踊る時の盃は空だったじゃんw
太兵衛歌も踊りも良かった
ドラマを盛り上げたね >>160
よーく見てみると家臣達戦ってたんだね
あまりの短さと、暗さで見逃してたw
加藤も福島もちょっとだけどちゃんとうつってた。
善助も太兵衛も九郎右衛門もそれぞれ1秒あるかないか
せめて10秒は戦ってるところ見せようよ
あれだけ甲冑の身支度して山に入って馬走らせて役者の手間と時間と撮影のお金かかってるんだから >>175
いつもは戦ってもカットされてるかもしれないから
1秒でもあるだけありがたいと思おう あれだけの手間かけたシーンだから
撮影段階ではいろんなパターン撮ってると思うよ
ただ編集では削られちゃうんだろう 勇壮な騎馬武者同士の戦いなんて幻想であると、暗に視聴者に気づかせる演出なんだろうね。
時代考証的には戦国時代では武将は移動の際だけ馬に乗り、現地では馬から降りて戦ったそうだけど、
それをドラマで再現すると迫力に欠けるし…ロマンのへったくれもない。
それぞれの理想の合戦シーンを脳内で補完するべし!みたいな? あれ?でも長政は馬乗って槍で戦ってたのが、ちょろっと映ってたよ。 ちょろっと、ね。主人公の息子が活躍してましたと説明的なカット。
本当は尺が足りないとか予算が足りないだけかもしれない。
長政はあまり馬の扱いが得意じゃなかったらしい。姫路へ伝令役すると名乗りを上げたときに
親父(官兵衛)さんが微妙な顔をしてた意味がやっとわかった。 >>180
馬の扱いが下手だから心配、とかそういう問題じゃないだろ
確かに途中で水が足りなくなってバテてはいたが
お使い役なんて他で十分、お前はここで軍を引っ張って欲しい…でも行きたいなら仕方ない…っていうところじゃない? >>181
冗談だよ。確かに官兵衛が自分の跡継ぎとしてふさわしいか厳しくチェックしているシーンだと思うけど、
同時にじっとしていられない、向こう見ずなところがある長政の性格を表すためのエピでしょ。
又兵衛と知らずにカッとなって切りかかりそうになったり、短気で損をするという
後の城井谷城の敗戦を暗示する伏線でもある。 「どけ!」と長政を突き飛ばしたのが又兵衛。
長政は最初どこの野武士かと思い「無礼者!」と刀に手をかける。
目が会ったところでお互いに?どこか見覚えがあると一瞬動きが止まる。
そして「又兵衛!」「若!」で再会を確認。 今後見るべきものは九州平定も城井討伐も朝鮮の役も超高速ですっとばして
関が原の戦の裏で官兵衛が主に浪人や商人をかき集めて
就職面接会をするシーンぐらいか。戦のド素人ばかりで指導役の太兵衛が頭抱えたり、
天才的な奇術師を採用して(第二次世界大戦中に連合軍に参加した
天才マジシャンみたいな奴)奇想天外な策を思いつくとか、面白い演出してくれ。 ノベライズによれば
官兵衛は、長政の新領地支配のサポートに善助と太兵衛をつけて
自分の大阪行きには九郎右衛門を伴った、というのが今回の役割分担 >>187
だろうなとは思ってたけど、何でその描写を入れないかなあ…
最近、善助は毎回しっかり出てるのに九郎右衛門と太兵衛はまばらですごい雑なのが不満
もっと九郎右衛門と太兵衛の活躍が見たい 本スレで知ったけど熊之助と遊んでいた童は太兵衛の子供だって。 >>189
いつ結婚したんだよ
て言うか嫁は宗麟の娘じゃないのか?どこで九州の女と出会った? >>190
本スレから
>母里吉太夫(母里太兵衛の子/1581?-1597)
だそうな 毛利左近という家老が母里太兵衛の子供なので、
先に亡くなった母里吉太夫は腹違いの兄?
ぐぐっても母親の情報はまるで出てこない。 有名武将の娘とかじゃない播磨あたりの地侍の娘でも最初の妻にしてて、
吉太夫を産んだが早死にでもされた、とかかね?
吉太夫のその後がアレだからそのマイナー生母の名前が残ることもなく
実は大友の娘は継室なんだけど、子孫が残ったのはこの系統だから、
太兵衛の妻といったら大友の娘、でたいていは説明が終わっちゃうことに、みたいな? 長政だったら丸太にしがみついて立ち泳ぎして岸にたどり着きそう。
日本泳法をマスターした長政は甲冑を着たまま泳げるし、
水中の格闘で敵をいつの間に倒したし、凄いよね。 >>193
小寺時代はスルーしてたけど母里武兵衛が光姫の侍女のお国(しょこたん)が
プロポーズしてから出陣した後に討ち死にしたエピソードがあったけど、
お国が母里武兵衛の墓参りしている時に太兵衛と何度か鉢合わせて
なんとなくご縁を感じて結婚して一児を儲けたとか、妄想してみた。 スルーしてたというのは自分が小寺時代のドラマの回を視聴していなかったという意味。
しょこたんお国ともこみち太兵衛は年の差どのくらい?
すれ違ったり会話する機会あったのか、見てないのでわからない… >>196
本スレのテンプレにあるけど
永井武兵衛ともこみち太兵衛は正確な生年不明、しょこたんお国はオリキャラなので
まあ武兵衛が官兵衛と同い年、お国が5歳下、太兵衛が10歳下、くらいとして
ちょいとあねさん女房かな
ロマンチックな想像でいいね
大河で取り上げられると史料が続々発掘されたり本がたくさん出たりするから
埋もれてた史実や専門の研究者くらいしかしらない史実も、一般に知られてくるようになるかもね >>197
もこ太兵衛が完璧に尻に敷かれそうな新婚生活が目に浮かぶ…
お国はフィクションのキャラだけど、織隆の後妻(ぬい)が母里出身なんで
孫の熊之助の遊び相手も母里太兵衛の子が選ばれたんだろう。 >>190
大友宗鱗の息子が大友義統(1558−1610)で、義統の妹が母里太兵衛に嫁いでいる。
1600年の石垣原の戦いで太兵衛の娘を娶った久野次左衛門が19歳で戦死。
この敗戦で義統が義弟の太兵衛を頼って降伏した。この時点で義統は42歳。
宗鱗の娘が10代で結婚していれば吉太夫を産んでもおかしくはないが、
官兵衛がまだキリシタンになる前に家臣の太兵衛がキリシタン大名の娘を娶るとは考えにくい。
普通に考えて豊前に入ってから如水の影響で結婚したと思われる。
結局吉太夫が誰の子かわからずじまい。 >結局吉太夫が誰の子かわからずじまい。
母が不明だけで太兵衛の子なのは間違いない。もう一人の子(娘)と同腹か。 >>199
地理的なこと以外にキリシタンつながりもあったか
とりあえずあの子供は宗麟の娘の子供ではなさそうだな
特に説明もなく熊之助と遊んでるだけの役なら別に玉松とかでも良かったのにね >>201
黒田一成(玉松)の弟ね。熊之助と家臣の子ら四人
ちょうど『スタンド・バイミー』の四人と同じ数。
途中まで楽しかったんだろうな…喧嘩したり泣いたり笑ったり
夢を語りあったりしてさ。脳内BGMがアレ >>201
後に熊之助と運命を共にするから今から出してると思う
それにしても今は穏やかな黒田家も色々な悲劇が待ち受けていると思うと切ない
3家臣で黒田騒動の後にちゃんと残るのは太兵衛のところだけだし >>202
親父が死んだことになってるから出しようないな>玉松弟 >>203
栗山家は南部盛岡藩に定住したけど
井上家は、九郎右衛門の直系は追放されて弟の血筋の家が福岡藩に残っただけとよく言われてるが
あれこれぐぐったら、
追放時に井上家の家督をついでいた九郎右衛門の孫が、
ほどなく福岡藩のある家老の家柄の猶子に迎えられていて
その家は幕末まで続いている、という、個人サイトの書き込みを見つけて、気になっている
栗山家にも再度召し抱えのお誘いがあったようだし、
藩主忠之のやりたい放題を後でフォローする動きがあったのだろうか?
大河化を機に詳細が明らかにならないかなぁ >776 :日曜8時の名無しさん:2014/04/30(水) 01:42:02.53 ID:CTZPGpLc
>井上九郎右衛門の井上家って、九郎右衛門の親父の代から黒田家の忠臣で、
>息子の九郎右衛門も官兵衛父に仕え17から官兵衛に仕えて
>官兵衛の孫まで黒田家四代に渡って支え続けた忠臣の中の忠臣なのに、
>栗山の黒田騒動を収めるべく中心になって働いたのに、なぜかお家断絶にされるんだぜ
>さすがに黒田家も罪悪感があったのか、九郎右衛門の弟の親族は召し抱えたらしい
>現在、若き日の苦労右衛門めちゃ頑張ってるのに報われなさすぎだろ
本スレの過去ログより。 >>206
うん、それは九郎右衛門弟の血筋の話だね
それは書いてる
そうではなくて九郎右衛門の孫の話 ええと…長政の最初の妻(糸)の間に生まれた娘を九朗右衛門の次男の
井上庸名がもらっているが男児に恵まれず断絶。
井上庸名の娘は溝口宣俊に嫁いだ。この家系は関係ないか
井上九朗右衛門の娘2人がそれぞれ黒田正喜と黒田政成に嫁いでいるから
そっちの孫のどれか? >>205・207
そのブログに辿り着きました。九朗右衛門の娘じゃなくて
息子の之顕の子が矢野九郎右衛門の猶子になった云々…とありませすね。
ぐぐると福岡藩の資料に九朗左衛門の名はありましたが九郎右衛門が出てこない。
さっぱり詳細わかりません。お役に立てなくてごめんなさい。 福岡のローカル広報誌
ttp://www.town.okagaki.fukuoka.jp/000003231.pdf
道柏(井上九朗右衛門)の墓イイね。奇をてらわずシンプルながらグッドデザイン。
長男は井上右近一利といったが若くして病死。
だから井上庸名が長男とよく間違われるが次男なのか。
井上家を継いだのは井上九朗上門の息子の一利の嫡子で井上主馬正友。
井上主馬がわけあって浪人になったという説もあり。
最終的に一利の弟が井上本家を継ぐことになった。
なんだ傍系じゃなくて直系の孫じゃん。 ×なんだ傍系じゃなくて直系の孫じゃん。
失礼…直系の息子の間違いですね。
諸説ありますが、岡垣小史によると井上本家は
一利の弟・半右衛門之顕が継いでいます。 半右衛門之顕の代で領地没収で井上本家がついに断絶の憂き目に逢う。
まだ利房が継いだ分家が残っている。
半右衛門之顕の子が矢野家の猶子になったかどうか不明… >>212
乙です
色々調べてくださったんですね
自分は、ちょっと前にヒストリアか何かを見て
黒田家に献身的に仕えた二十四騎のうち半数以上が長政の息子の代に福岡藩を去ったと知り
なんともやりきれない気持ちになったものです >>213
いいえ…さっきから九郎右衛門とか郎の字をずっと朗と間違って書いてた。すみません。
朗と書いているのは郎と脳内で置き換えて読んでください。
井上周防之房(のちの九郎右衛は主君の長政をディするコントで
結構辛らつな物言いを正面からしていたようです。他の藩なら切腹か斬首かってくらいストレートに。
如水が正面から厳しいことを主君いう家臣を長政に遺したのが発端だったようです。
長政はがまんしていたけど忠之の代では困ったことに…
九郎右衛門の息子や孫の代でとばっちりが来たようです。 >井上周防之房(のちの九郎右衛
自己レスで訂正…井上九郎右衛門(のちの井上周房之房)
すみません暑さのせいで間違いだらけ。
>幼名を「井上彌太郎(井上弥太郎)」と言い、元服後に「井上九郎右衛門」と名乗り、
>筑前入国後に「井上周防」を名乗った。 >>209
おそらく同じブログですかね
個人サイトの、本人ではなくてコメントに書き込んでる別の人の情報なので
どれくらい詳細を書いていいものかわからず、わかりにくかったなら申し訳ない
別の個人サイトでは、九郎右衛門の
長男→息子(九郎右衛門の孫)の代に追放
次男→出家
三男→旗本に
四男→長男家追放後家督をつぐ、やはり息子(九郎右衛門の孫)の代に追放
五男→?
というのもあり
前述の矢野家猶子になった?のは四男の方の孫、孫九郎という名の人物のようです
複数のソースが見つかれば信憑性もアップするんだろうが、ネットをぐぐった程度では見つからん… 大東亜戦時中、儂の所属していた姫路の兵隊はかなり強かったんじゃ。
姫路師団は、華北最強の110Dとか、ビルマ最強の54Dじゃのう。
英軍のリード大佐は、54Dを世界最強と誉め称えた。
ビルマ派遣軍の師団の後半強さは、一に姫路の兵、二、三に久留米の菊、龍じゃのう。
これも黒田24騎の名残じゃわい。 >>216
>>210のリンク先によると九郎右衛門の五男が利房になるね。
個人ブログの先祖の話が本当なら黒田一成と九郎右衛門の末裔が
藩の財政難のために偽札作りに手を染めちゃうのかw
知りたくなかった。せめて密造酒とか密貿易とかクールがよかった。 >>216の次男と三男逆だった。
>>210の広報誌の別号にも詳細あり。
ttp://www.town.okagaki.fukuoka.jp/000015114.pdf
五男・利房も後嗣なく断絶か。まあ、娘もいっぱいいたけどね。 >>219
自分の先祖でも無いのに九郎右衛門の略系図まで書き出してしまい、
いったい何やっているんだ…と突っ込む。
どうやら黒崎のお祭りに九郎右衛門さんが鎧武者姿で登場して
中の人は九郎右衛門の子孫の方だそうです。
正確には井上一門の井上五郎衛門道喜(身分不詳)の子孫だそうです。
井上略家系図 之正
┌───────────┤
平兵衛・友房 九郎右衛門・之房 ──┬─ 正室
(訳あって黒田家を (周防守 黒田家重臣) │(櫛橋伊定の娘)
去る川越瀬兵衛 男子女11人誕生
と名乗る) ┌──-──┬────┬────┼───┬───┬──┐
│ 女 長男一利 庸名(旗本) 女 女 四男 五男
│ (三輪善順 早世 長政の娘婿 半衛門之顕 将監利房
重信 の女) │ 半兵衛に改名
┌─────┤ │
│ 主馬正友 栗山大膳の娘婿 孫九郎
忠之の小姓←忠三郎 (吉木に隠居)
俊清 │
一緒に脱藩 息子・豊前に逃れる
半右衛門 小倉藩に仕える うわ!しまったまだ途中なのに>>220のレスは間違って送信した。ごめんなさい。
スルーしてください。 本スレで、太兵衛に子供がいたことを知りびっくり!!age 熊之助と太兵衛の長男の吉太夫をちゃんと出しているということは
朝鮮出兵をそれなりにやるんでしょうね ぐぐってたら、九郎右衛門の弟平兵衛の孫川越瀬兵衛信春が
藩主忠之に召し抱えられているという情報を見つけた
その後の川越家まではわからないが、これが一般に「弟の血筋が残った」と言われるものか?
黒崎には九郎右衛門が、姫路の寺に嫁いだ姉の息子を福岡に招いて住職にし今に続くお寺とかあるんだね
>>220
家系図完成したらうpよろ 吉太夫の母=太兵衛の最初の妻?
馴れ初め見たかった >>224
お盆のせいなのか?九郎右衛門に呼ばれている気がする。
いちおう14代目を名乗る子孫もおられるので供養はされているはず…
>黒崎には九郎右衛門が、姫路の寺に嫁いだ姉の息子
既出の広報誌お○ざきによると、九郎右衛門の長女が姫路の寺に
嫁いだことになっている。多分姉の息子の方が正しいと思う。
他にもいろいろ間違いがあったので家系図修正しておきます。
ウィキには九郎右衛門の妻の父が2人いるので困っている。
光姫の兄の娘でファイナルアンサー? >>227
九郎右衛門の子供達の実母と表記しているところは同時に光の妹としているけど、
>>219の公報誌にある、妻の没年や享年と、長男次男の生年を比べると親子で年が10歳も離れてないし、
櫛橋家出身の妻玉章院は、光の姪で九郎右衛門の継室という見方でいいのかな
でもこの公報誌でも間違いがあるなら、鵜呑みにするのも危険か…?
検索すると、Wiki以外にも光の妹が井上之房室とするところが色々出てくるのは何の史料によるものなのかな?
つか、大名の正室の姪なら、すでに後継ぎもスペアもちゃんといる、
親子ほど年の離れた家臣の家の後妻の口より、
自分が跡継ぎ生母なって力をもてそうな、夫と年の釣り合いもとれた、
もっといい嫁ぎ先がありそうな気もするんだけどなぁ
子供達の実母として玉章院以外の妻の情報が見つかれば、ファイナルアンサーだろうけどね >>228
櫛橋家当主に関しては調べれば調べるほど混乱を来たします。
はっきりしていることは志方城城主の娘が光であるということくらい。
とりあえず暫定的に櫛橋政伊光の兄で九郎右衛門の妻の父である
としておきます。
戦死した太兵衛のまたいとこの武兵衛は、実は既婚者だった。
官兵衛の姪のおいちさんと結婚していた。お国さんとは不倫だったのか…
いやドラマ内では武兵衛は独身だったはず。
武兵衛の後継者に後年になって母里与三郎という人物が現れて
黒田家の家臣となる。母里姓を継いだ太兵衛の家系は
曽我系母里氏と呼ばれる。俺の存在意義って何?
今更曽我に戻りたくないし、よし将軍さまの勘違いをネタにして
「今日から俺は毛利太兵衛になります。よろしく!」皆あぜん >>228
自分に突っ込みレス
>戦死した太兵衛のまたいとこの武兵衛は
太兵衛は戦死してない。戦死したのが武兵衛で太兵衛のまたいとこと書くべきでした。
紛らわしてくすみません…
母里与三郎も母里与三兵衛の間違いでした。訂正しておきます。 久しぶりにトリオのシーン
やっぱりこの三人いいなあ うむ
やはり黒田三人衆が揃うと良い
九郎右衛門はビワ?まで弾ける上に記憶力もパない
かっこいいわー サブタイトルが傷だらけの魂だから琵琶の音で魂を慰撫するのが
九郎右衛門の大事なミッション。目を閉じてましたね。 10月期の地獄先生ぬ〜べ〜に、もこみちとだし様出演
こうなったら九郎右衛門と善助も出て!
善助はひろしという児童役で >>235
ぬ〜べ〜と心霊ネタと思い、とっさに犬鳴峠という心霊スポットのことを思い出し、
福岡だから黒田家と何か関係あるかもと思って犬鳴き+黒田 でぐぐると…
犬鳴御別館跡という史跡があることを知って驚いた。
ひゃ〜この館のせいで福岡藩に大事件がおきるのだ。
ぜひ実写版の地獄先生ぬ〜べ〜のロケ地に使って欲しいね。
軍師官兵衛ネタを大いに活用してほしい。浄霊のためにもこみちが太兵衛召還とかね。 二年前の大河の佐川官兵衛と違って長政が酒を控えるように言い渡して
善助も監視しているせいか、酒のせいで大事な戦に遅刻したりとか
出世に関わるような失敗はしていないみたい。
佐川官兵衛に酒を勧めた主君の松平容保が悪かった。せめて誰か起こしてやれよ〜 >>238
うっかり抜けてましたがこれは太兵衛の話しです。
佐川官兵衛は『八重の桜』の登場人物です。よいキャラでしたが上司に恵まれせんでした。
太兵衛は黒田家に仕えてよかったね。 ttp://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20140819/3723051.html
もりおかから里帰り!?官兵衛のかぶとの展示はじまる
福岡放送局 うらやまー
しかし追放くらっても、藩祖の鎧兜でも拝領したものは没収とかされず持っていっていいんだね 家臣団3人で “しゃべくり007“ に出てるところを見てみたいw >>244
今のところ宴会部長です
でも太兵衛について残ってる逸話ってケンカか酒がらみばっからしいから
本当にそんなものだったのかもしれない >戦争シーンが少なかったけど今回は太兵衛が甲冑姿で刀か槍を振り回して奮戦してたぞ
本スレにこう書いてありますがBSで視聴した時は気づきませんでした。
本放送で確認しようとしたのですが暗くて分かりませんでした。
九郎右衛門の乗馬シーンは背筋がピンと立って美しかったです。 >>246
一般の人は多分気づかないほどちょっとしか写ってなかった>太兵衛の奮闘姿
自分は予告見て注意して見てたから辛うじて分かったけど
脚本家は太兵衛の武力の強さを描く気ないんだろうね。思い入れがないんだろう(村重はすごいけど)いつも戦がダイジェストで急いでる感じ
ちょっとしか戦ってるとこ見れないので今のままだと他の大勢の家臣と武力変わらない印象。太兵衛が先鋒に立って活躍したことも何一つナレが入らないし
沢山シーン撮っても編集の人が相当カットしちゃうんだろう。顔がよく見えなくてもおかまいなし
これじゃ九州の視聴者も怒るだろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています