>>190
大友宗鱗の息子が大友義統(1558−1610)で、義統の妹が母里太兵衛に嫁いでいる。
1600年の石垣原の戦いで太兵衛の娘を娶った久野次左衛門が19歳で戦死。
この敗戦で義統が義弟の太兵衛を頼って降伏した。この時点で義統は42歳。

宗鱗の娘が10代で結婚していれば吉太夫を産んでもおかしくはないが、
官兵衛がまだキリシタンになる前に家臣の太兵衛がキリシタン大名の娘を娶るとは考えにくい。
普通に考えて豊前に入ってから如水の影響で結婚したと思われる。
結局吉太夫が誰の子かわからずじまい。