【善助・太兵衛】黒田家臣団を語る【九郎右衛門】
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ここは「軍師官兵衛」に登場する黒田家の家臣トリオについて語るスレです。
善助ファン、太兵衛ファン、九郎右衛門ファンの人は大いに家臣団と殿を語りましょう。
又、家臣団の話題ならトリオ以外の人物の話も可。
■公式サイト
http://www9.nhk.or.jp/kanbe/
■ご当地サイト
N HK神戸放送局
http://www.nhk.or.jp/kobe/gunshikanbee/index.html
NHK福岡・大分放送局
http://www.nhk.or.jp/fukuoka/kanbe/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応 >>212
乙です
色々調べてくださったんですね
自分は、ちょっと前にヒストリアか何かを見て
黒田家に献身的に仕えた二十四騎のうち半数以上が長政の息子の代に福岡藩を去ったと知り
なんともやりきれない気持ちになったものです >>213
いいえ…さっきから九郎右衛門とか郎の字をずっと朗と間違って書いてた。すみません。
朗と書いているのは郎と脳内で置き換えて読んでください。
井上周防之房(のちの九郎右衛は主君の長政をディするコントで
結構辛らつな物言いを正面からしていたようです。他の藩なら切腹か斬首かってくらいストレートに。
如水が正面から厳しいことを主君いう家臣を長政に遺したのが発端だったようです。
長政はがまんしていたけど忠之の代では困ったことに…
九郎右衛門の息子や孫の代でとばっちりが来たようです。 >井上周防之房(のちの九郎右衛
自己レスで訂正…井上九郎右衛門(のちの井上周房之房)
すみません暑さのせいで間違いだらけ。
>幼名を「井上彌太郎(井上弥太郎)」と言い、元服後に「井上九郎右衛門」と名乗り、
>筑前入国後に「井上周防」を名乗った。 >>209
おそらく同じブログですかね
個人サイトの、本人ではなくてコメントに書き込んでる別の人の情報なので
どれくらい詳細を書いていいものかわからず、わかりにくかったなら申し訳ない
別の個人サイトでは、九郎右衛門の
長男→息子(九郎右衛門の孫)の代に追放
次男→出家
三男→旗本に
四男→長男家追放後家督をつぐ、やはり息子(九郎右衛門の孫)の代に追放
五男→?
というのもあり
前述の矢野家猶子になった?のは四男の方の孫、孫九郎という名の人物のようです
複数のソースが見つかれば信憑性もアップするんだろうが、ネットをぐぐった程度では見つからん… 大東亜戦時中、儂の所属していた姫路の兵隊はかなり強かったんじゃ。
姫路師団は、華北最強の110Dとか、ビルマ最強の54Dじゃのう。
英軍のリード大佐は、54Dを世界最強と誉め称えた。
ビルマ派遣軍の師団の後半強さは、一に姫路の兵、二、三に久留米の菊、龍じゃのう。
これも黒田24騎の名残じゃわい。 >>216
>>210のリンク先によると九郎右衛門の五男が利房になるね。
個人ブログの先祖の話が本当なら黒田一成と九郎右衛門の末裔が
藩の財政難のために偽札作りに手を染めちゃうのかw
知りたくなかった。せめて密造酒とか密貿易とかクールがよかった。 >>216の次男と三男逆だった。
>>210の広報誌の別号にも詳細あり。
ttp://www.town.okagaki.fukuoka.jp/000015114.pdf
五男・利房も後嗣なく断絶か。まあ、娘もいっぱいいたけどね。 >>219
自分の先祖でも無いのに九郎右衛門の略系図まで書き出してしまい、
いったい何やっているんだ…と突っ込む。
どうやら黒崎のお祭りに九郎右衛門さんが鎧武者姿で登場して
中の人は九郎右衛門の子孫の方だそうです。
正確には井上一門の井上五郎衛門道喜(身分不詳)の子孫だそうです。
井上略家系図 之正
┌───────────┤
平兵衛・友房 九郎右衛門・之房 ──┬─ 正室
(訳あって黒田家を (周防守 黒田家重臣) │(櫛橋伊定の娘)
去る川越瀬兵衛 男子女11人誕生
と名乗る) ┌──-──┬────┬────┼───┬───┬──┐
│ 女 長男一利 庸名(旗本) 女 女 四男 五男
│ (三輪善順 早世 長政の娘婿 半衛門之顕 将監利房
重信 の女) │ 半兵衛に改名
┌─────┤ │
│ 主馬正友 栗山大膳の娘婿 孫九郎
忠之の小姓←忠三郎 (吉木に隠居)
俊清 │
一緒に脱藩 息子・豊前に逃れる
半右衛門 小倉藩に仕える うわ!しまったまだ途中なのに>>220のレスは間違って送信した。ごめんなさい。
スルーしてください。 本スレで、太兵衛に子供がいたことを知りびっくり!!age 熊之助と太兵衛の長男の吉太夫をちゃんと出しているということは
朝鮮出兵をそれなりにやるんでしょうね ぐぐってたら、九郎右衛門の弟平兵衛の孫川越瀬兵衛信春が
藩主忠之に召し抱えられているという情報を見つけた
その後の川越家まではわからないが、これが一般に「弟の血筋が残った」と言われるものか?
黒崎には九郎右衛門が、姫路の寺に嫁いだ姉の息子を福岡に招いて住職にし今に続くお寺とかあるんだね
>>220
家系図完成したらうpよろ 吉太夫の母=太兵衛の最初の妻?
馴れ初め見たかった >>224
お盆のせいなのか?九郎右衛門に呼ばれている気がする。
いちおう14代目を名乗る子孫もおられるので供養はされているはず…
>黒崎には九郎右衛門が、姫路の寺に嫁いだ姉の息子
既出の広報誌お○ざきによると、九郎右衛門の長女が姫路の寺に
嫁いだことになっている。多分姉の息子の方が正しいと思う。
他にもいろいろ間違いがあったので家系図修正しておきます。
ウィキには九郎右衛門の妻の父が2人いるので困っている。
光姫の兄の娘でファイナルアンサー? >>227
九郎右衛門の子供達の実母と表記しているところは同時に光の妹としているけど、
>>219の公報誌にある、妻の没年や享年と、長男次男の生年を比べると親子で年が10歳も離れてないし、
櫛橋家出身の妻玉章院は、光の姪で九郎右衛門の継室という見方でいいのかな
でもこの公報誌でも間違いがあるなら、鵜呑みにするのも危険か…?
検索すると、Wiki以外にも光の妹が井上之房室とするところが色々出てくるのは何の史料によるものなのかな?
つか、大名の正室の姪なら、すでに後継ぎもスペアもちゃんといる、
親子ほど年の離れた家臣の家の後妻の口より、
自分が跡継ぎ生母なって力をもてそうな、夫と年の釣り合いもとれた、
もっといい嫁ぎ先がありそうな気もするんだけどなぁ
子供達の実母として玉章院以外の妻の情報が見つかれば、ファイナルアンサーだろうけどね >>228
櫛橋家当主に関しては調べれば調べるほど混乱を来たします。
はっきりしていることは志方城城主の娘が光であるということくらい。
とりあえず暫定的に櫛橋政伊光の兄で九郎右衛門の妻の父である
としておきます。
戦死した太兵衛のまたいとこの武兵衛は、実は既婚者だった。
官兵衛の姪のおいちさんと結婚していた。お国さんとは不倫だったのか…
いやドラマ内では武兵衛は独身だったはず。
武兵衛の後継者に後年になって母里与三郎という人物が現れて
黒田家の家臣となる。母里姓を継いだ太兵衛の家系は
曽我系母里氏と呼ばれる。俺の存在意義って何?
今更曽我に戻りたくないし、よし将軍さまの勘違いをネタにして
「今日から俺は毛利太兵衛になります。よろしく!」皆あぜん >>228
自分に突っ込みレス
>戦死した太兵衛のまたいとこの武兵衛は
太兵衛は戦死してない。戦死したのが武兵衛で太兵衛のまたいとこと書くべきでした。
紛らわしてくすみません…
母里与三郎も母里与三兵衛の間違いでした。訂正しておきます。 久しぶりにトリオのシーン
やっぱりこの三人いいなあ うむ
やはり黒田三人衆が揃うと良い
九郎右衛門はビワ?まで弾ける上に記憶力もパない
かっこいいわー サブタイトルが傷だらけの魂だから琵琶の音で魂を慰撫するのが
九郎右衛門の大事なミッション。目を閉じてましたね。 10月期の地獄先生ぬ〜べ〜に、もこみちとだし様出演
こうなったら九郎右衛門と善助も出て!
善助はひろしという児童役で >>235
ぬ〜べ〜と心霊ネタと思い、とっさに犬鳴峠という心霊スポットのことを思い出し、
福岡だから黒田家と何か関係あるかもと思って犬鳴き+黒田 でぐぐると…
犬鳴御別館跡という史跡があることを知って驚いた。
ひゃ〜この館のせいで福岡藩に大事件がおきるのだ。
ぜひ実写版の地獄先生ぬ〜べ〜のロケ地に使って欲しいね。
軍師官兵衛ネタを大いに活用してほしい。浄霊のためにもこみちが太兵衛召還とかね。 二年前の大河の佐川官兵衛と違って長政が酒を控えるように言い渡して
善助も監視しているせいか、酒のせいで大事な戦に遅刻したりとか
出世に関わるような失敗はしていないみたい。
佐川官兵衛に酒を勧めた主君の松平容保が悪かった。せめて誰か起こしてやれよ〜 >>238
うっかり抜けてましたがこれは太兵衛の話しです。
佐川官兵衛は『八重の桜』の登場人物です。よいキャラでしたが上司に恵まれせんでした。
太兵衛は黒田家に仕えてよかったね。 ttp://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20140819/3723051.html
もりおかから里帰り!?官兵衛のかぶとの展示はじまる
福岡放送局 うらやまー
しかし追放くらっても、藩祖の鎧兜でも拝領したものは没収とかされず持っていっていいんだね 家臣団3人で “しゃべくり007“ に出てるところを見てみたいw >>244
今のところ宴会部長です
でも太兵衛について残ってる逸話ってケンカか酒がらみばっからしいから
本当にそんなものだったのかもしれない >戦争シーンが少なかったけど今回は太兵衛が甲冑姿で刀か槍を振り回して奮戦してたぞ
本スレにこう書いてありますがBSで視聴した時は気づきませんでした。
本放送で確認しようとしたのですが暗くて分かりませんでした。
九郎右衛門の乗馬シーンは背筋がピンと立って美しかったです。 >>246
一般の人は多分気づかないほどちょっとしか写ってなかった>太兵衛の奮闘姿
自分は予告見て注意して見てたから辛うじて分かったけど
脚本家は太兵衛の武力の強さを描く気ないんだろうね。思い入れがないんだろう(村重はすごいけど)いつも戦がダイジェストで急いでる感じ
ちょっとしか戦ってるとこ見れないので今のままだと他の大勢の家臣と武力変わらない印象。太兵衛が先鋒に立って活躍したことも何一つナレが入らないし
沢山シーン撮っても編集の人が相当カットしちゃうんだろう。顔がよく見えなくてもおかまいなし
これじゃ九州の視聴者も怒るだろうね >>247
静止画にしないとわからないくらい一瞬だったのですね。
自分の視力が衰えたのかと思っていました。ご報告ありがとう。 もこみちの呑みとり、小田原攻めの次の回?にやるみたい。
官兵衛が如水に名前変えてから。岡田君の坊主、衝撃。 >>250
日本号呑みとりやるんですか。ありがとう。
またダイジェストにはしないで欲しいなあ
岡田君の坊主は公開されたんですか?
なにか帽子みたいの被るんだよね 以下、日本号呑みとりとは直接関係ない動画…
母里太兵衛友信公とは
ttp://www.youtube.com/watch?v=L_QZ_XMfU-A
太兵衛のお墓について
ttp://www.youtube.com/watch?v=tGIRkB0BAJY >>251
そうそう、巾かぶるために。
公開は、、金曜のミュージックステーション見てみないと。本当かうそか。
如水になって花見?の場面かなんかで連歌も唄うから勉強したらしい。 官兵衛譲りの石垣を確認 中津市、栗山善助の居城跡
ttp://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/110335
善助のいた城跡から発見。 善助は若い頃はよかったけど後半になると見た目が幼いから威厳がないね 宍粟官兵衛
ttps://www.youtube.com/watch?v=efChW7RiSl8
宍粟市のPRショートドラマ >>256
童顔で声が高いから、できる年齢幅が狭めかもね
善助は逆に子供の役が今もできるかも。30過ぎくらいからきつくなってくる 以前官兵衛本スレで「伊武雅刀の官兵衛、岡田准一の善助でのドラマを見てみたい」というレスを見て以来、
自分のなかの善助は小柄で寡黙で真面目で忠義心あつく優秀な側近というイメージ
濱田善助にも頑張ってほしい 年取って声高くてもいいだろ。小日向さんとかどうすんのw 濱田は子役出身の可愛い坊やイメージから脱却して
ゆくゆくは個性派オッサン俳優となって長生きできるかの
今が正念場だろうね
官兵衛+トリオのドラクエ体制から、次世代組を加えて
官兵衛の脇に控える善助、長政を支える太兵衛に、又兵衛を鍛える九郎右衛門
という新たな3コンビ体制が確立しつつある…? ドラマ内ではお国と太兵衛は面識あるみたいね。
>461 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2014/09/02(火) 09:49:42.78 ID:pVhMV5ix [1/2]
>5話見ると武兵衛の首にちゃんとお守りかけてあるよ
>上半身脱いだ状態でお国と話してるシーン
>775 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2014/09/03(水) 08:03:54.12 ID:U3W0VG6Z [1/7]
>日の朝、話題になった太兵衛のお守り。
>遅ればせながら昨晩確認しました。
>確認済みの人がいたのでわかってはいたけど、
>5話を観てお国との会話のシーンで武兵衛がつけてるのを確認。
>お、ついてる〜♪・・・なんて。
>教えてくれた人、ありがとう。
太兵衛の嫁がお国という可能性もゼロじゃない(あくまでドラマ裏設定的な意味で) えと、日本号呑みとりは史実通りならば、朝鮮の役あたりだから、秋以降じゃないかな。
あるとしたら11月前半 >>263
ん?なくね?
お国が話した相手はお守りを首にかけた「武」兵衛であって「太」兵衛ではないのでは? >>265
え?あーそうか。確認したとあるのは会話したってことじゃなくて、
武兵衛のお守りと太兵衛の首にかけてあるのが同じってことね。
どーもすみません。ご指摘ありがとうございます。 佐賀は明治維新で殿様は東京に移って子孫が佐賀知事に就任したこともあるけど、
大水害で旭川みたいに自治体破産してね。現代での貢献度薄い。
今の鍋島一族はほとんど東京民。だからそういう意味で佐賀にとって鍋島は空気。
殿様意識だと(山口も九州の一部という見方もあるので)山口県の毛利最強だと思う。 >>267は本スレへの投稿を間違って送りました。ごめんなさい。 善助は「HERO」と「アオイホノオ」にも出演してるなんて
随分業界内でも評判が良いんだな。 もこみちの地声よりも低い声色での演技渋くてかっこいい。
ようやく吉兵衛が誰の子か分かる演出が出てきたのはいいけど、
太兵衛たちが酒を飲んでいるシーンで
お酌する太兵衛の奥さんが出てきてもよかったのに…
結局誰が吉兵衛の母親なんだよ。 一成の登場シーンのテロップには(玉松)と入れておいてもよかったんじゃなかろうか >>270
声を変えてよくずっと演技できるね
しかも渋くていい声w
たけしのモノマネ見たことあるけど高い声でそっくり
意外といろんな声出せる?
子供だけ出てくると母親誰だよってなっちゃうね
一般の視聴者は太兵衛の子ってわかったかな敬称で呼ばなかったから
太兵衛は殿の子供は「熊之助様」って呼ぶだろうし >>272
「これで播磨と縁が切れるな」と台詞で、もしかすると播磨地侍の娘と
酒のいきおいで出来ちゃって、播磨地侍の親父と喧嘩して親父無双だったので
脅されてひと悶着あってお腹の子を認知して仮祝言あげたとか、
思わずあれやこれや妄想してしまった。反省… >>272
母親分からずなんだよね
宗麟の娘も出てこなそうだしな 中津に移ってから善助に長男が誕生します。
やはり収入が増えて妻に栄養のあるものを食べさせたら
妊娠できたのでしょうか?それまで不妊状態だったのか不明ですが。
太兵衛は「また(俺たち)タダ働きか」と善助にいつだったか愚痴をこぼしてましたが、
この辺りから妻子を養うのが困難になったと予想されます。
おそらく想像では妻は裕福な家に奉公に出て家計を助けていた。
主君の子の遊び相手ということで光に預けて託児所代わりにしていた。
そして豊前転勤で妻と正式に離婚成立。太兵衛は再び独身にもどった。 すみません善助の長女のこと忘れてました。
1586年に長女が誕生しているので妻は不妊ではないですね。 >>276
光のところはずっと託児所だからいいんじゃないか? 善助の叫び声にイライラする。セリフ言うのに叫ぶしかできないの? >>278
太兵衛「光様、今まで長い間長男を預かってくださり…」
光「まあ太兵衛、新しい土地にはなじみましたか?
これからも吉太夫を連れてきてくださいね。そうでないとうちの子が退屈で
屋敷を荒らしてしまいますから」
太兵衛「(どんだけ暴れん坊なんだ)はい、光様のご希望とあれば
うちの子を熊の助様の家来にしてやってください。どこへでもお供いたします…」
そして数年後…最期まで主君の子とお供して海の藻屑になりました(太兵衛号泣… >>253
>10月期の地獄先生ぬ〜べ〜に、もこみちとだし様出演
ぬ〜べ〜新情報来た。
玉喪は高校(原作の設定では中学)の家庭科教師の姿に化けて
主人公たちの学校に赴任してくるという設定。
もこみちの役がズバリこれ。公式サイトに本人のコメントうP。
最近大河で出番もにょもにょ…存分に暴れて欲しいです。 >>271
しかしあの子がまさかヒャッハー要員で出てくるとはw 官兵衛の功績として家臣の性格をよく読み適材適所な配置が上手かったときいた
その最たるものが善助と太兵衛の義兄弟だそうだけど
なんでバカの長政の家臣にバカばかり配置したのか…
あんなに大勢いたなかで止めてたの又兵衛だけだろ 戦場(いくさば)の雰囲気って想像以上に怖いんだろうね。
にしこりさんが決勝と準決勝では会場の雰囲気が全然違うって語っていたように、
長政は戦になると場の雰囲気とか集団心理に呑み込まれてアドレナリン分泌過剰、
理性を失って衝動的で攻撃的な青二才と化して特攻しちゃったんだろう。
官兵衛が言っていた「長政は危うい」はそういう意味かもしれない。 >>273
ワロタw
でも太兵衛なら酒の勢いでデキ婚という流れはありうるかもねw
吉太夫については、何の説明もないからいろいろ想像するしかない。
「これで播摩と縁が切れるのか…」なんて意味深な台詞。縁が切れるって…。そんなに嫌いだったのか
小寺に酷い目に遭わされたから?豪放磊落でワイルドな太兵衛がそんな風に思ってたのかな
>>280
吉太夫可哀想…、太兵衛が泣くシーンあるかな
でも光が泣くシーンが長くて、多分またカットだろうな >>285
腕に覚えある若殿が大将にも関わらず前線に突撃していって周囲に叱られる逸話はいろんな戦国大名にあるが、
大抵一〜二度の注意で治まってる
長政は「何度注意しても聞き入れない」と嘆かれてるんでかなり気性が激しかったんだろうな 黒田家譜だったかな?善助が晩年「自分が死んだら、あのいきり立つ人を誰が制するのか」
と心配させてたな…短気起こすのは戦場だけではないから、本当に気性が激しい人だったのかな?
それとイブニングという雑誌で連載中のスーパードクターKの続編の漫画「K2」では
水はこまめに飲まないと熱中症対策にならないと医者のK先生が言ってたよ。
塩分も適当に補給してね。長政は水を一気に飲むのから後でバテるフラグ。 予想とおり長政バテバテでした。
善助…おぬしの額はまるでチワワのようじゃ…
シリアスな場面なのになんてかわいい額と思ってしまったよ。
子役時代を知らないけど幼い頃は本当に可愛かったんだろうと。 >>289
でも三人のうち太兵衛が一番早く死んだからその心配はなくなった
善助と九郎右衛門が80歳過ぎまで長生きしたから驚く >>291
善助が心配してたのは太兵衛ではなく長政でないのん? :::::::::::/ ヽ::::::::::::
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:::::::::::/ だ に は イ:::::::::::::
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クロエモン 長政 >>289を書いた者ですが、>>292がご指摘の通り、
善助が心配していたのは「あのいきり立つ人」というのは長政のことです。
>>291
説明不足ですみません。太兵衛は善助の言うことは聞いてましたね。
死に際にお礼を述べていましたね。
>>293
いや長政は決してバカじゃないと思います。夏休みの宿題を最終日に済ませるタイプ
だと思います。追いつめられて初めて真剣に宇都宮攻略法を寝ずに考えたのでしょう。 いや、ただのばかに見えます
とーりのせいかもしれませんが >>295
夏休みの最終日まで宿題やらないのはバカだろ
しかも親父に叱られてやっとやりだすという 太兵衛が貫禄出てた。ほんのわずかだけどオーラ感じた。
豊前に引っ越して石高がぐんと上がって出世頭になったし、
もう善助のおごりで酒を飲まなくてよくなったし、
もう善助におこづかい借りなくてもよくなったし、
そんな理由があったかどうか知らないが自立した大人って雰囲気出てた。 ほんのわずかってw
まあ、感じ方は人それぞれだけど
結構太兵衛のオーラは出てると思う
台詞も戦うシーンも少なく抑えられちゃってて残念
猛将役なのに使い方間違ってる。戦シーンの出番多ければよかった。
時代劇似合うからまた武将の役で見たい >>301
面目ない。そこは「ほんのわずかな台詞と見せ場でも存在感がある。
太兵衛はオーラを感じさせた。」と書くべきでした。
もこみちさんと太兵衛ごめんなさい。ほめたつもりなので紛らわしい表現でごめん。
もっと出番があったら官兵衛もかすみそうなくらいオーラがありました。
本スレでは次の次の大河で後藤基次(又兵衛)の役して欲しいという意見も。 個人的には後藤基次よりも弁慶役をして欲しい。
太兵衛が「急がれよ!」ビシッと打つ場面で勧進帳の弁慶を思い出しました。 >>302
自分こそ勘違いゴメン
わずかな出番なのにって意味だったのか
この脚本、戦をナレで終わらすから太兵衛の活躍シーン殆ど見れないけど
かっこいい合戦シーンちゃんとあったら、ドラマももっと盛り上がったろうに。
呑み取りくらいは端折らずやって欲しい。史実なんだし。 >>303
個人的に、顔と頭身バランスでいったら真田幸村(真田丸ではない別の)
あと前田慶次とかやって欲しい>もこみち
戦国BASARAぽい 本スレで太兵衛が呑み取りの逸話で飲んだ酒の量は7升と書いてあったから、
あやうく真に受けるとこだった。本当は7升ではなく6・7合だって。
7升は致死量だとか。そりゃそーだ。 >>305
戦国BASARAか…疎くてあまり知らない。
前田慶次は北斗の拳の漫画と同じ作者の『花の慶次』の主人公で有名だよね。
わかるのはそれくらい。大河の前田利家の時にも登場した。
言われてみれば合うかも。 もこみちは漫画みたいなスタイルだからなにやってもかっこよくなりそう
でもちょい役でいいよ
あんまり台詞ある役だとあの声では続かないだろうしw
主演やってこけたら二度と時代劇出れなくなりそう >>308
発声慣れてあの声もう普通に出せてる気がする
地声より良い声だしw >>306
6・7合っていうのは太兵衛の大盃で一杯の量じゃないかな
太兵衛 酒 7升でぐぐったら九州の酒屋のHPに7升とあった
しからばと太兵衛、見事に飲み干し、正則が豊臣秀吉から拝領した家宝の槍「日本号」を呑み取ったというお話です。
一説ではこのとき飲んだ酒の量は7升もあったとか。この槍は、福岡市早良区の福岡市博物館に収蔵されております。
それとは別で講談の内容に
太兵衛の呑み干す盃、7合5勺入り。これを4杯だから3升。 酔いをみじんも感じさせずに舞を舞い、馬を駆る
径30センチぐらい。酒5、6合はゆうにはいったでしょうよ。
「見事なり、太兵衛いま一献」とすすめられるままに、3杯呑んだそうです。正則も驚いたでしょう。
http://www.ncbank.co.jp/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/024/01.html
いろんな説ありw >>287
前線に先頭切って突撃していく大将
上杉謙信、北条氏康、織田信長、武田勝頼、蒲生氏郷、結構居るよね。
先頭切って突撃することもあるからといって必ずしも猪武者とは言えないメンツだな。
長政も武闘派の側面と謀略家の側面の両面持ってるよね。 >>310
本スレの情報だと当時の日本酒は今のよりもアルコール度数が低かった。
でも大杯に一杯の量が6・7合なら十分酔えるでしょう。
そこで福島正則の屋敷で働く使用人が酒を水に薄めて出してすり替えておくのだ。
二杯目以降は太兵衛も酔っていて味がわからなかった
(見た目は酔っている様に見えないが味覚は麻痺していた)。
・・・などという説を立ててみた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています