荒れ防止のために横から失礼するがスレの空気が悪くなるから>>10氏に
限らず肯定も否定もできないものに関して断言的に書くのは
注意した方がええのではないかなと。

歴史というのは○○史観という言葉があるように人によって捉え方も
考え方も違う。
清須会議(←この表記加えて玄以と松姫がえらく懇意の段階で察しろと
俺は思うが)を書く上での三谷史観では西山家文書を採用した。
それだけのことなんだろうと思う。

蛇足ながら熱愛や子供どうのは別として一次史料上で確認ができず
婚約自体が無かったと言う人間もいる両名の婚約話だが、
土御門家文書_宮内庁所蔵(もちろん一次史料)に両名の婚儀に
関する記述があることがわかっている。
信長が土御門家筆頭に対し織田若獅子(信忠)と甲斐信玄息女(松)の義に
ついて暦調を命令という内容。(時期は1571年と推定)
もちろん土御門なんていう名門への暦調命令だから信長の独断でできることではなく
信玄からの打診も受けてなんだろうが、まあ信忠と松姫の伝説が生まれる
きっかけとなることが存在したのは間違いないだろうよ。
ここから先に関しては各々好きに思えばいいんじゃなかろうか。
そして、この文書はまだ研究段階で天正年間全てが解明されたわけじゃない。
天正10年遅くとも5月頃の間にこの両名に関して同じような記述があれば
また見えてくるものもあるだろう。