実史実うるせぇな、ドラマだっつってんだろw★2 [転載禁止]©2ch.net [無断転載禁止]©2ch.net
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信之こそ主役にふさわしい
毛利勝永こそ英雄
武田軍団は最強 >>100
多分、そいつ(HGyDwmaU)は、勝永厨じゃないと思うけど、典型的なヒキオタの類だろう。
引きこもって居て、リアルの人間との接点は無しで、パソコン(又はスマホ)を通じてのみの会話しかしたことない。
よって、自分の他は一人しかこの世に存在しないと思ってしまう。何故ならばパソコン画面が一つだから、相手も一人と思うんだろう。
だから、キミの事をお友達の勝永厨と思い込んでいるんじゃないかと思われる。 >>102
そいつ勝永厨じゃないのか?
そんなのとお友達になりたくないな 勝永厨の捕獲に失敗しました
本スレには来ないみたいだし
もう諦めたw
そっちで飼い続けて下さいw 真田幸村の手柄は本来毛利勝永の手柄なんじゃー(ドヤァ
って人消えてもうたん?
起源主張するチョンみたいだったよねw >>107
その人は他のスレにいる
でも本スレには来ないからいいんじゃない >>107
その人隔離するスレがここだったんですよ。 本スレのこの人、史実はこうだってうるさい
ドラマなんだから細かいことは気にせずに楽しんで見ればいいのに
15 :日曜8時の名無しさん:2016/01/29(金) 15:41:45.26 ID:oSjoVsO1話がループするから、これもテンプレに入れて欲しい
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1539 菊亭晴季生まれる(真田家譜では、山手殿父とされる人)
1547 昌幸が生まれる
1564 山手殿が昌幸に嫁ぐ
1566 山手殿が信幸を産む
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信幸を1566年に産んでるんだから、山手殿は1550年頃には
生まれてないといけないけど、菊亭晴季はそのとき11歳。
真田って家譜が適当すぎだよね。年齢あわないじゃん。
16 :日曜8時の名無しさん:2016/01/29(金) 15:44:53.41 ID:oSjoVsO1山手殿の前半性をドラマにあうよう考えた
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・山手殿は京都の遊女だった。
・武田信玄が家来を京都に遣わしたなかに昌幸がいた。
・昌幸が京都で入った遊郭で、遊女の山手殿に出会って一目惚れ。そのまま連れてきた。
・京ことばが話せたので「公家の娘ということにしよう!そのほうが田舎者に尊敬されるし!」
・その詐称に真実味着物は昌幸が京都に行った時に、強盗してきた。昌幸「これは近衛様にもらったものというんだよ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 家譜に間違いが多いのなんて、良くあること
信長だって秀吉だって家康だってかなりいい加減
家譜の信ぴょう性とかもうどうでもいいよ
25 :日曜8時の名無しさん:2016/01/29(金) 15:56:57.29 ID:oSjoVsO1真田って家譜が異様に間違いが多い。
田舎の文盲武士系だから、たぶん、真田家の記録というものがリアルタイムでは
存在してないせいでこうなるんだろうな。
最低限の常識も知らないでドヤ顔で嘘をいろいろ書く。
まあネット時代と違うから情報アクセスが難しいし。 ID:oSjoVsO1
はよっぽど自分に自信が無いのかな?
友達もいないのかもね
かわいそうな人だね 毛利勝永好きな人の方が100倍マシだった
本スレには来なかったから
ID:oSjoVsO1 ID:oSjoVsO1
からは悪意を感じるよ
そんなに真田丸が憎いかね
理解不能 88 名前:日曜8時の名無しさん :2016/01/29(金) 17:45:50.72 ID:oSjoVsO1>>67
そんな百姓と変わらない土民と、公家の家を一緒にするって…
公家だって色々あるんだよ
子供が多ければそれだけ資産が分散して貧乏な公家だっているだろうし 秀次が出てピックアップされるってことは、一の台も出ちゃうんだろ。
一の台は本物の菊亭晴季の娘だけど、幸村が「山手殿の妹だから、僕のイトコ」
信繁「僕のイトコが処刑される〜」
とかやっちゃううのかね?
だったら何? 二言目には文盲と書く。よっぽど文盲が好きらしい
ところで、前田のところも文盲家系だから系図が怪しいよな。
偉くなって文字を学んでから、学問に憧れて、最終的に菅原道真の子孫って
ことに系図をしちゃうくらいだから。
妻の「まつ」の年齢くらい余裕で間違えてるだろう。
武士は勘定方でも算数ができないから12歳になる「え!」なんて気づかないし。 二言目には文盲と書く。よっぽど文盲が好きらしい。夜中にも書いてた
93 :日曜8時の名無しさん:2016/01/29(金) 17:54:08.07 ID:oSjoVsO1ところで、前田のところも文盲家系だから系図が怪しいよな。
偉くなって文字を学んでから、学問に憧れて、最終的に菅原道真の子孫って
ことに系図をしちゃうくらいだから。
妻の「まつ」の年齢くらい余裕で間違えてるだろう。
武士は勘定方でも算数ができないから12歳になる「え!」なんて気づかないし。 自己紹介乙
78 :日曜8時の名無しさん:2016/01/29(金) 17:34:37.48 ID:12GVf5o2
やる夫の真田家は多分エター化する ID:12GVf5o2 には友達がいないんだね
とにかく寂しい文盲厨 毛利勝永が好きだった人の方が100倍マシだった
文盲厨、遊女厨はサイテイ 九度山辺りはどうするんだろうね。資料だと浸すら古美門が
真田紐あんでる14年しかないが(やっぱ、訴訟の仲裁やったり、
大坂の陣の浪人衆が小出しに来るのかと)、北大路さんの
真田幸村みたいに、家康暗殺を念頭に諸国漫遊は流石に(笑) >>117
井伊だって築山殿は井伊の血を引いているとか書いているしな
井伊家の記録にしかないから信憑性0だけど
盛るにしても家格などから考えてあまり不自然にならないようにすればいいのに
真田家の家譜を書いた人は菊亭家が清華家だってこと知らなかったのかなあ
下手すりゃ豊臣秀次の正室を出した武家に媚びる公家みたいな認識しかなくて
清華家が何かすらも知らなかったのかも
>>121
都落ちした一条家や転法輪三条家などと違って
菊亭家はずっと京都に留まっているから貧乏ではないだろ >>132
ちょっと聞きたいんだけど、家譜や家伝などが、頭からしっぽまでウソだって決めつけてるの?
それは、何らかの研究なり調査なりの結果からの結論なわけ?
例えば研究者の本とかでは、家伝の記述を慎重に検討したうえで、
「これはありえる」「これは、まあ無いだろう」
というふうに受け取るべき、とか書いてるけど
築山殿についても、寛政重修諸家譜では確かに微妙な書き方されてるけど、それを承知の上で
信憑性0って言ってるのかな
おれは、断言はできないにしても、井伊家と今川家の当時の状況からして可能性としてはあり得ないことじゃない、と思ってるけど >>133
築山殿に関しては詳しくはおんな城主直虎の過去スレを見てくれ
ttp://nhk.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1441365260/
結論から言えば、築山殿が井伊の血を引いているというのも
真田昌幸の正室が菊亭家出身というのも
大名に成り上がった後に江戸時代に盛られて作られた話だと思う
築山殿が井伊家の血を引いているというのは井伊家の記録にしか出てこない
今川家や関口家、徳川家などの記録には出てこない
菊亭家の娘が真田昌幸の正室というのも真田家の記録にはあるが菊亭家側にはない >>134
「山手殿のことが真田家の記録だけにあって、他にない」から、じゃなくて、
別の記録に「宇多氏出身」とか「遠山氏出身」とか書いてあるから、初めて「怪しい」って言えるんじゃないの
それがなかったら、せいぜい「当時の昌幸の立場だと、公家出身の嫁を迎えられるか、本当かどうか疑問」
くらいにしか言えないと思うけど
築山殿にしたって、幕府が寛政重修諸家譜を編纂したときの編集者が、井伊氏の直平の娘の注釈と、
今川義元の妹の部分を比べて「今川氏の系譜に養女って書いてないけど、同一人物だろうか」って
書いてあるくらいで、他に明確な資料が出てこない限り、否定まではできないでしょ >>135
なるべく簡潔に書いたつもりだけど分かりにくかった?
宇多氏とか遠山氏とかもちろん知ってるよ >>136
いやいや、知ってる知らない、とかじゃなくて
「家譜は全部ねつ造」とでも言いたげな論調がどうかと言いたいの
ちゃんと別の説が書いてある資料があるのならともかく、
こっちの家譜は「書いてあるのがウソ」
こっちの記録は「書いてないから本当」
とか、おかしいでしょ
そもそも研究者だって、よっぽど重要でない限り、そんなところ突き詰めて考えてないだろうし
「こういうこともあったかもしれないね」
くらい、何故言えないのよ 真田昌幸の正室に関しては正親町三条家出身説もあるけどこれも怪しい
正親町三条家は大臣家で、摂家の下の清華家の下
山手殿の父を正親町三条実彦とする説もあるけど
正親町三条家に実彦という人物はいるがその人物は江戸時代の人
正親町三条家で「実」が付く人で戦国時代の人を探してみると
正親町三条実福という人物がいるが天文5年生まれ
天文8年生まれの菊亭晴季程じゃないが
天文18年生まれと推定される山手殿の父とするには厳しい >>137
「家譜は全部ねつ造」とは一言も書いてないんだけど
当時の状況や家譜の内容を総合して考えてみると不自然だと指摘しているだけ
大体、結婚は政略的に重要なものなのだから
ちゃんとした家なら実家、婚家両方に記してあるのが普通だし
一方にしかないのなら大名に成り上がった家が後で盛ったと考えるのが自然 正親町三条家と正親町家を勘違いしていた
正親町実彦の娘だか姪だかが真田昌幸の正室説もあるが
正親町実彦(季秀)は天文17年生まれだから
天文16年生まれの真田昌幸に
娘か姪を嫁がせるというのは考えにくい
正親町実彦(季秀)は庭田重保の次男で
正親町家には養子に入ったのだが
養父・正親町公叙の妹は坊さんの妻で
実兄・庭田重具には娘がいるが後陽成天皇の妃
実兄・庭田重具は天文16年生まれ
正親町実彦(季秀)に娘はいない 正親町三条家について調べてみると面白いことが分かった
正親町三条公兄が天文16年から甲斐国に滞在しているということ
以下妄想
真田昌幸の正室は正親町三条公兄が甲斐国に滞在していた時に生ませた子ということにしておこう
55歳の時に生まれた子?系図に載ってない?でもそんなの気にしない
↓
でもそれじゃ甲斐国生まれ甲斐国育ちで箔は付かないじゃん
やっぱり公家の娘なら京生まれ京育ちでないと
↓
正親町三条公兄じゃなくて正親町実彦(季秀)ということにしておこう
正親町実彦(季秀)は天文17年生まれ?でもそんなの気にしない
↓
もっと盛って菊亭家出身ということにしておこう
菊亭晴季は天文8年生まれ?でもそんなの気にしない
※真田昌幸は天文16年生まれ、山手殿は天文18年生まれ(?) 「正親町三条宰相」の謎が解けない
正親町三条家は大臣家なので宰相(参議)で終わることは滅多にない
正親町三条公兄は最終的には内大臣までなっていて
甲斐国滞在よりも前には権大納言になっている
公兄の子・実福は最終的に権中納言
正親町家は羽林家だが宰相(参議)で終わることはあまりない
正親町実彦(季秀)は最終的に権大納言
正親町実彦(季秀)の養父・公叙も権大納言
正親町実彦(季秀)の実父・庭田重保も権大納言
「正親町三条宰相」って誰なんだろう? ID:BCaxjn9w
まだ薬を飲まないの?精神障碍者 本能寺の変の時期はかかとはカサカサにならない時期ですか? 信玄の正室は三条夫人だったわな、箔付け的に信玄が
それを利用した(信濃の山猿が公家の関係者を夫人にしたとすれば
周囲から一目おかれるわな)、昌幸や幸隆に信幸も巧妙に
利用させて貰ったのかも 山手殿が菊亭晴季の娘であるする説はほぼ否定されている。
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1539 菊亭晴季生まれる(真田家譜では、山手殿父とされる人)
1547 昌幸が生まれる
1564 山手殿が昌幸に嫁ぐ
1566 山手殿が信幸を産む
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信幸を1566年に産んでるんだから、山手殿は1550年頃には
生まれてないといけないけど、菊亭晴季はそのとき11歳。年齢に無理がある。
そして、武田信玄の正妻・三条夫人の実家と同格の清華家出身というのは、
当時動員兵力45人の足軽大将武藤喜兵衛になる前の兄の家来でしかなかった
真田昌幸に嫁いだものとしてはいくらなんでも無理がある。 真田は家系図にも小細工を忘れない
家譜はほとんど嘘であるといってよい 真田信繁と毛利勝永
どちらが武将として優秀だったのかな? 昌幸は奥近習で気に入られ武田譜代に取り立てられ武田奉行人とかの要職にもついていたんだっけ 真田幸村夫人も怪しい。正室の竹が大谷吉継の娘ってのも嘘。 昨夜のヒストリア、武田勝頼って妻子がいたんだ
あの長男は北条夫人の子供?それとも前妻の子供?
14才の北条夫人に15才の長男?ええっ?ってなった >>157
勝頼と共に死んだ長男・武田信勝は先室の遠山夫人(織田信長養女)の子
ただ勝頼は他にも子供が4,5人いて生き残ったのもいる
北条夫人は勝頼と共に自害した時に19歳(満18歳)
北条夫人との間に子供はいない >>158
IDが変わったかもしれませんが
ありがとうございました >>162
957 :日曜8時の名無しさん:2016/02/06(土) 22:24:17.37 ID:Jjs5aMvJツイで流れてきたわ
> #真田丸 第4話の再放送で月をカットした理由、NHKふれあいセンターに聞いてしまった。
> 「当初の演出意図では、安土城と松・小山田の愛情が
> 時代の闇にかき消されていく象徴ということで月を写し込んだが、
> 本能寺の変の旧暦の月として誤解を与える可能性があるということで
> 再放送では修正をした」
ってことらしい >>163
後で慌ててこじつけようとしているのがアリアリな、知能指数の低い幼稚な言い訳だな
「過ちては改むるに憚ること勿れ」アッサリ非を認めて謝った方が良いと思うが >>163
凄いね、NHKに質問した人がいるんだ
あの演出では本能寺の変の夜は月が出ていたと
捉えられても仕方ないね >>164
同意
間違えたので編集し直して再放送しました
で良かったのに >>163
> 本能寺の変の旧暦の月として誤解を与える可能性があるということで
誤解を与える可能性があると言い張るってことは、間違っては居ないと言い張るのか。
月を影像に流し、ウド−さんに「その夜、、、信長が死んだ」ってナレさせておいて『それは誤解』というのは、完全に騙していると思うが。 >>163
意図は、まあ分かった
表現方法をもう少しひねればよかったね 穴山梅雪は何故徳川勢と一緒に逃げなかったの?
梅雪の最期はどうだったんだろうね >>169
なんか、このドサクサで家康に殺されるかもって疑ってた、とかなんかの本で読んだ
信長公記には、もちろん一揆勢にあって殺されたとしか書いてない
家康と別れた、とすら書いてない >>170
実際この後の家康の行動見たら殺されるかもって疑いは確かに持ってたとしてもおかしくないな 一益さんが本能寺の変を知るのが
遅かったのはどうしてなの? 服部半蔵の
「伊賀は我がふるさと」
っておかしくないのか? 所詮、裏切り者の末路は哀れ・・・
ってことだろ・・・
どうせ死ぬなら信繁みたいに武将として
称えられて最後を迎えるべきって言いたいと思う。 >>169
ドラマ的に?
史実的に?
いろんな本を読んで自分で想像してみるしかないね >>175
信玄の姉を母とし
正室腹の信玄・次女見性院を妻とし
甲州南部を領し家内に重きをなした
そんな穴山家が武田の名を残そうと行動したのを悪しざまだけには語れない
自分は仁科盛信贔屓だが梅雪を悪くは思わないね
秋山氏娘を養女にして家康の側室にあげて
そして生まれた子は一応は武田をなのったのだし(若死にしたが)
その後も千代田城外で浄光院が産んだ子を
後家の見性院は信松尼とともに守って居たりの行動はしている
「ただの裏切り者」だなどどいう見方は薄れていたはずなのだが
こうドラマで脚色されると再びただの裏切り者一色評価に戻ってしまった 本能寺の変の次の日に真田に明智からの書状が
国衆程度の真田に届くのはおかしいって言う人が多いんだけど
ドラマなんだからいいじゃんね
薬売りは信濃みたいな山奥には来ないとか、なんで言い切れるのさ この間の真田丸で、織田信忠が死んだの二条城って言ってたけど、合ってたのかな
信忠が死んだのは二条新御所で二条城とは別、ってどこかで読んだか聞くかした覚えがあるんだけどなぁ
あ、でも当然「新」が付かない御所があって、そっちも二条城って言うんだっけか
ってことは「新二条城」って意味では合ってるのかな
徳川慶喜が大政奉還した二条城とは、また別なんだよね、たしか
土地勘がないから全然わからん >>181
自分もそこが気になった
詳しくないけど、なんか変だな?って
NHKに聞いてみた方がいいかもしれないね ふつうに「二条新造御所」二条御所」等と呼称される場所であって、
現存の二条城とは関係ないし、城郭形態でも無いし
(発掘含めて京都の古地誌を調べてる研究者さんのブログに詳しい)
でももうメンド臭いから「もういいやー、二条城で」な気分になる
本スレでこの件を書き込んでみたけど見事にスルーされたよw
信忠がニワカに注目されてもちあげてるレスも多かったけど
城介とか従三位権中将とかの呼称にも反応ないんだもの、笑うわ
今年も本スレには歴史に詳しい人がほんとに住んでないよ >>183
早いお返事ありがとう
信長が帝の一宮様のために建てた御所だよね?
隣が近衛家のお屋敷で
だから信長は帝をないがしろにしてはいなかった証拠になる
でも面倒だから、二条城ってナレーションにしたのかな?
NHK雑過ぎるw
ここは問い合わせた方がいいかもしれないな
城介とか従三位権中将とかの呼称は自分も知らなかったよ
あなたは歴史に詳しい人なんだね
教えてくれて本当にありがとう 「三谷はさすが歴史ヲタ」とか「諱呼びを避けててすごい」とか
三谷贔屓は賞賛してるけど、実際はそんなでも無い
物語の題材や逸話創作のネタの選択を独自にしてはいるようだけど
それは単に「種々の逸話を創作にとりいれる選択」上の事でしかないんだよね
安倍龍さんの「信長燃ゆ」の小説だとまあ信長主役ってこともあり
近衛家や親王家との関係もちゃんと描いていたのだけど
テレ東の正月時代劇を眺めるとスルー省略も多々あった
そんなこんなでドラマ化って要省略・簡略が多いのは理解できるけど
「三谷は歴ヲタ」「本格大河」「歴史に忠実」と言い募ってるのは笑える ていうかさ、「安房守」は真田昌幸の自称なので、朝廷とか、敵方に呼ばれるときに使われたりしない。
なのに、織田方や家康にも「真田安房守!」って呼ばれてるのが変なんだよ。
昌幸は1580年から名乗りはじめてて、織田方は1573年以降には朝廷を掌握してるから
昌幸の嘘なんてよくわかってるのによ。
三谷って、知識が浅いから「安房守って呼ぶって知ってんだぜ−」とかいう感じて
使ってるんだろうけど、無知だから、結局間違ってるんだよな。 >>185
信長燃ゆはチラ見だったけど、信長と親王の母親とのラブストだったね
小説だともっと詳しいんだ >>188
ヒガシのドラマはもうあれは独自脚色みたいなものかと
安部さんの小説のほうが珍しく高遠城攻めから始めてて
近衛家や朝廷との関わりも掘り下げていて興味深い作品
ロマンスのほうも、新機軸として成功してると思うけどね ジェームスさんが最後に大河ドラマの脚本を手掛けた『葵 徳川三代』から15年、『真田丸』は、かつての大河とは隔世の感があるという。
「昔の言葉遣いとか立ち居振る舞い、礼儀作法を(脚本家の)三谷幸喜さんは、あまり気にしていないように感じます。ぼくなんかの時は、時代考証の先生がついて、廊下の歩き方から目配りの仕方や刀の差し方まで脚本も演出も事細かく直されました。
『とんでもございません』というせりふはあり得なくて、『とんでもないことでございます』が正しいとか、随分と叩き込まれてね。
それは大河ドラマを見ている視聴者がそういう古い『時代劇らしさ』を求めていた部分も大きかったと思うんですが、今はそういうお年寄りも少なくなったんでしょう。それに詰まるところ、何が事実かなんて、実際に見た人は誰一人いないわけですから(笑い)」
『真田丸』では確かに、武将同士が道や廊下を歩きながらしゃべったり、家来が主君に質問をするなど、ジェームスさんが言う「かつてはあり得なかった場面」がポンポンと出てくる。そういう意味で『真田丸』は、斬新な大河ドラマといえそうだ 真田幸村の赤い甲冑やろくもんの旗印が展示されている上田駅
信州上田と別所温泉を結ぶ上田電鉄の風景
https://www.youtube.com/watch?v=k13_yXNItb0
…………………… >>197
本能寺の変のあと、2年以上行方不明になっていたのは史実
その間、記憶喪失だったのかは定かでない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています