【真田丸】寺島進の出浦昌相がカッコ良すぎ! [無断転載禁止]©2ch.net
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じゃあ、忍城の甲斐ちゃんもそのうちくノ一で出てくるね 主人公を助ける忍はかっこよく見えるもんだよなぁ。
水戸黄門の弥七みたいなもの。 >>44
比べちゃダメだよ…。
でも夏八木さんだと殺されたり姦られたりされても泣き寝入りするなぁ…。
意外と西村さんの殺られ演技も大したもの。ここは寺島さんの殺陣演技もセットで。 昌相カッコイイな
『八重』のチョコモナカ西郷に匹敵する渋さ 出浦さん、本によると、史実ではこの後ずっと、信幸付きになるみたいだけど、ドラマではどうなるんだろう
昌幸とコンビで悪の限りをつくして欲しいけど、真面目な信幸との凸凹コンビもみたい気がする 寺島さんって殺陣師に長年習っているんでしょ。
徳川の刺客を一瞬で片づけるシーンにはシビレタ! >>41
忍城で活躍
→忍で活躍
→忍者
という単純な話だろうな… 出浦の瞬殺シーン、良かったね。
カッチョイイ!!!
ああいうのをまた見たいな。 風林火山では今回家康やってる奴に殺されたから徳川には強い意地があるんだろうなw 土スタの寺島はお茶目だった ただ芝居の話になると真剣だと思った 役作りの為、木刀で殺陣を思いながら練習したらしいね >>8
なんか、めちゃくちゃ頼りになりそうな雰囲気出てる。 遅ればせながらさっき11話を見たけど出浦がメチャよかったな。 >>61
長渕に耳を削ぎ落とされたチンピラからずいぶんと出世したよなw 寺島ってキムタクみたいに何やっても寺島なんだよな〜
そういう意味で寺島らしさをストレートに引き出してる三谷は上手い 出浦氏って真田の被官なんでしょ?あんな対当な態度だったのかなと
寺島さんはたけしのブラザーって映画の死んじゃうヤクザがかっこよかったな >>69
武田家臣時代は同僚だったから、あれでも良いんじゃない?
三十郎をどつく佐助みたいに、割と上下間緩そうだし、
後に信之が40歳過ぎても「吾が後見」と言っていたくらいだから。 出浦と佐助を一緒にすなwww
昌幸と出浦はほぼ同格
佐助は農民や足軽、三十郎ははるか雲の上 出浦はへりくだって家臣って称してるが
同士みたいな関係だろ
芝居とは言え国衆会議じゃ辛辣な批難してたし なるほどみんな小県の土豪だからそんなもんかもね スッパの棟梁みたいな書き方もよくわからんが >>70
出浦は、前世下野守だったから、安房守と同格という説もある 同じ国人領主で小県郡共有オーナーが社長と部下になったんですな インザヒーローで戦隊もののピンク(女優のスタント)をやってた人とは思えないw 横谷幸重は出ないのか
出浦と横谷は真田忍びのツートップという印象があるが >>40
丸島氏は真田家の文書をよく検証してないんじゃないかな?
出浦対馬守幸久名義で忍者としてのエピソードがちゃんと載ってるのに
坂城と松代にある幸久の墓も検証してないんじゃないかな >>81
それが架空の話じゃないかって事だろ?
「出浦対馬守昌相」と署判している文書が複数あるのに
幸久名義の文書が1つも無い。
お前が言う真田家の文書は「本藩名士小伝」の事だと思うが、
1800年代の成立だし、実名の間違いや親子が逆になっていたりと
明らかな間違いも多い。
ドラマは忍者の方が面白いから全然OKだけどさ >>82
幸久の父親が頼幸になってる系図は間違ってるが、
後で書かれた幸久の父親が四郎左衛門になってる系図は合ってるよ
それと、幸久の墓に刻んである命日、戒名、それとその系図は一致してるよ
その系図に幸久の忍者としての話が付随してるわけだから、
そっちのほうが信憑性高いだろ >>85
出浦対馬守は元和元年〜2年は「昌相」と名乗っていた。
「昌」は世代的に武田氏からの偏緯だろうから、それ以前もそうだろう。
そうすると「幸久」って言う名前は
・後世の真田家臣が、昌相をモデルに真田忍者の活躍をくっ付けた
真田幸村みたいな架空の人物
・真田幸綱が幸隆とされてきたみたいな道号が名前と間違われた
のどっちかじゃないかと思うんだ。
「真田幸村」だって命日、戒名、系図は信繁と一致してるだろ?
>>86
盛清も一次史料にはいないんだよ。
1531年の村上家の御目見え列に「出浦守清」という人物がいるけど
昌相は1546年生まれなんで…
これ以上書くと史実厨とか言われそうだからこの辺にしておくけど、
俺はドラマの昌相はカッコイイし、この後どういう経緯で
昌幸を離れて信幸付きになるのか楽しみしてる >>87
坂城と松代に幸久名義の墓碑
群馬の原町に幸久名義の位牌
系図に詳細
これでも架空なのかね?
昌相名義の書状は調べたら慶長十九年〜元和八年みたいだけど、
対馬守だけじゃなく昌相って書いてあるのかな? >>89
わざわざありがとう
参考になるわ
幸久に関して調べた結果は
松代墓所 対馬幸久(守がない) 円光院殿泰山宗智居士 元和九年八月十八日没
原町誌、真田家文書 対馬守幸久 円光院殿泰山宗智居士 元和九年八月十八日没 七十八才
wikiとかに掲載されてる昌相の命日と幸久の命日って同じだよね >>89
追伸
年代考証や命日からして昌相=幸久としか思えないよ
あと不可解なのは、
上杉氏文禄三年定納目録に山浦(村上源五国清)同心として出浦対馬が載ってること
系図によっては親父にあたる対馬守盛清が存在したのかな? >>91
まだ史実ネタ続けるの?一応出浦スレだからいいのかな…
止めろと言う意見があったら止めます。
それがおそらく、昌相の父の出浦対馬守とされている人物で、
天正10年6月19日、北条氏直から同じ村上一門の屋代越中守(正国?)を通して
室賀兵部(正武)と共に知行宛行の調略を受けた出浦対馬守と同一人物だと思われる。
村上景国が海津城の城将となった際に副将となった屋代秀正が、
天正11年3月14日に弟の室賀満俊と共に上杉を裏切って徳川へ臣従するけど、
出浦氏がここまで屋代氏らと行動を共にしていたのなら、上杉方にいた事自体は不可解ではない。
そうでなくてもこの時点で出浦の本領埴科は上杉方の支配下にある。
この後、同5月14日に村上景国は謀反の疑いで越後に召還される。
また、同9月12日に真田昌幸に臣従したのは出浦氏は「出浦上総介」で
「在所を退かれ」その「御忠節」に対して30貫文の扶持分をもらっているので
上総介は領地を捨てて真田に臣従し、堪忍料として30貫文もらってるという事になる。
そして>>91で指摘の文禄3年9月「上杉家文録三年定納員数目録」
これらの事からこの「出浦対馬」は、山浦(村上)景国の家臣として越後にそのまま残り続けたのだと思う。
屋代・室賀兄弟や出浦上総介と違って、世代的に村上義清の家臣だっただろうからね。
で、この「出浦対馬」は誰だろうと村上関連を探したら、
天文年間に高野山に納められた「村上氏一門十九将鎧合わせの図」に
出浦対馬守成為(もしくは盛為)という人物がいた。
この中には村上義清の副将格だとされる出浦清種がいないから、その後の世代?
上記対馬守と世代的には同じようだが「盛清」でも「守清」でもなかった。 更級郡埴科郡人名辞書では盛為=幸久という見解だね。
「幸久(さざれ石、甲越信戦録 盛為とする)と称し対馬守と号す。出浦主計頭清種の子である。
出浦系図清種の子清房に作る、幸久の幼名である。」
村上氏一門十九将鎧合わせの図は後年に写し書かれたとされていて、創作の可能性もあるがね。
まぁ、命日が書いてある幸久名義の墓と、幸久自身が開基した寺の位牌に幸久という名前が残っているということは、
昌相=幸久で、本当(もしくは最終的)の諱は幸久だったと考えるのが妥当だろうね。
伝承が誤ってるとは考え難い。
昌相名義の墓が見つかれば別だが。
別人とすると、生没年日も見直さなければならなくなる。 最後の発給文書。元和9年4月4日付で「出浦対馬守昌」とある
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/BookletView/2000710100/2000710100100010/2401/?pagecode=18
これ以降、一次史料から姿を消す。
そろそろスレタイ読んで、お前のブログかなんかでやってよ。
俺はニワカなんで、この話題からは撤収するから 演技力は新人並みなのに
態度は大御所気取りだね
この人
大根具合はMAKIDAIといい勝負 大河で良い役をもらったな。
大河ドラマでは主人公を助けるひと癖ある人物は人気が出る。 史実に詳しい方がいるのでご存知でしたら教えて下さい。
出浦昌相、盛清、幸久の墓の情報はネットの情報でなく確かなものですか?
群馬原町の幸久の位牌の存在は確かです。坂城は上杉方についた清正の子孫の墓で松代は昌相の子孫の墓でした。共に江戸中期以降のものです。
Wikiのノートに出ている幸久の墓と石碑の詳しい場所が知りたいのです。 最初に透破の流儀を語ったころより
演技が濃くなってる気がする
室賀さんの暗殺の前後で雰囲気が変わった
儂が明智になっても…って、凄絶だな
犬伏の後ではまた雰囲気が変わるのかな
晩年まで見て見たいな ではではw
この言葉を与えることにするから、泣いて感謝するように↓
★まず低学歴は頭が悪いんだから、生きてる価値は無いよ ゴミクズだ
俺のようなイケメンで有名大卒じゃないとな
当然モテモテ王子だよ
頭が悪いと何をやってもダメだ ずーっと負け組のままで終わるv 冷笑
★禿げやチビも、大きく減点だ ~~
身長172センチ以下は遺伝子に問題でもあるんだろ 欠陥人間だ
禿げなんて笑いの対象にしかならんわな
★ブサイクやキモい奴は、地球から消滅したほうがいい キリッ
醜い男たちよ モテないだろうな(笑) それでオタになったのか?
整形でもしろ 世間の迷惑だからよ ゴキブリ君たちw
★やっぱ頭が悪いと金儲けもできんだろ
それで銭に困って借金して、犯罪に走る馬鹿がけっこう多いんだよな
俺のような勝ち組になれるのは、世間の1割程度だからな
ゴミのような負け組どもとは絶対に関わりたくねーよ(マジでマジで)
俺のように、女達とラブラブしながら、遊んでいられる身分になりたいだろ? でも無理だ
★悔しかったら泣けよ ^^
でも不幸しかない未来が変わることもないがなw
まぁ馬鹿でも前向きにやっていけば、運が良くなるかもしれんぞ
● デブは脳機能に問題があることは、明らかになってるから、土方の仕事でもやって世の中に貢献してからポックリくたばれなww
ウホホホホホホホホホホホホホホホホホ vvv 昌幸が以前「面白くなくては人は動かん」と言っていた事に対しての
昌相の答えが17話の「面白い」なんだ。
昌相は、それに昌幸もまわりの情勢とか本当はわかっていて迷ってる。
昌相はきっと、軽く言うことで「お主のやりたいようにやってみろ」って背中を押してるんだ。
何があっても儂はついていくぞって。
だから「儂が明智光秀になってもかまわぬ」なんだ。
内記も同じ感じかな。昌幸の能力や判断を信頼しているんだな。 寂しいな。でもきっと忍びの仕事が忙しいんだろうな、と思って待ちます。
小松姫のための警備体制を作ったりとか、
信伊叔父上との連絡ルート再構築とか、佐助の訓練の仕上げとか、
お仕事山積なんじゃないかと想像するのも面白い。
昌相は幸せな人かもね。
自分の惚れ込んだ人の傍らで、暖かい人たちに囲まれて暮らす。
このまま前を向いて生きていてくれるといいなあ。
さっきまで茶々を見てたら切なくなったので余計にそう思う。 オレンチの最寄りバス停が出浦だ、いでうらじゃなくて、でうらだし関係あるのか知らないけど
ちなみにいつも行く日帰り温泉は室賀温泉ささらの湯、いま室賀の郷史跡巡りの写真展やってる、西村雅彦がお墓参りに来たそうだ 昌幸の、「ずっと一人でやってきた」が昌相のことを指して言ってるんだったら面白いな。
実際には、自分は今まで1人で決断してきた、
だから今回もそうする(そうしたい)って事なんだろうけど。 乱取り、確かに一番似合うよね。
そういうことも含めて生き残って来たのだろう言うことが言外に伝わる役になってる。
真田丸の主題の1つは「ふたりでひとつ」なのだと思って観てるけど
同時に「ひとりの中にふたつ」の価値観のせめぎあいもテーマなんだろうな。
自分の中の何に重きを置くのか、何を残すのかとか。
だから見届けたいと思うんだよね。彼だけではなくすべての登場人物を。 ありがとうございます。ラジオ準備します。
録音できないから、聞きながら要点まとめて、塊にして、自分の中に残そう。 寺島ちゃんは昔はよく女に断られてたな
嫌われてたから ふーん、そうなんだ。
彼の中に今まで通ってきたたくさん役柄のかけらがあるんだね。
それらすべてを合体させたのが今の寺島さん?
役者さんって不思議だね。 真田丸では昌幸個人にベタぼれな感じだが
関ヶ原以降は昌幸の元を離れて信幸方に行くんだよね?
現状ではあまり想像できんな 徳川方の内偵だろ、九度山にいたって出来ることは知れてる まあ部下を九度山についてく人々に紛れ込ませて、繋ぎを
つけるとかかも。 昌相は信幸の身辺警護と相談役じゃないかな?
兄ちゃんは犬伏のあとは微妙な立場になるし
昌相なら過去の経験を生かして信幸の支えになってくれそう。
昌相は徳川方になったら赤い羽スタイルではなくなっちゃうのかな?
信尹叔父上が月代剃ったように。 >>114
史実では関ヶ原よりもっと前の、小田原以降から
信幸配下で岩櫃城代になる。
真田丸ではどうなるか、まだ分からないけど。 114さんではないですが、教えて頂いてありがとうございます。
そうなんですか、では犬伏であたふたと別れるのではなく
その前に静かな分岐点があったのですね。
”瀬を早み岩にせかかる滝川のわれても末に逢わんとぞ思う”
真田の物語の行く末が楽しみです。 後半のガイド本を早速買って読みました。
昌相、昔かたぎだね。そして不器用。
でも、もし彼がショボーンとして家に帰ってきたら、
一緒にお酒を飲みながら、
「何かあったら私を守ってくださいませ」←お梅ふう
と言って静かに微笑んでいたい。策でも何でもなくW
がんばれ、真田家も真田家じゃない人も。 寺島は前は演技がヘタすぎで、いつも怒鳴られて半泣きしてたな
俺が慰めてやったもんだ えーと、怒鳴られて半泣きって、……
まさか関係者の方ですか?
ここ2ちゃんだし、釣ですよね?
でも釣でも何でもいいや。
毎週真田丸を見て、怒ったり泣いたり笑ったり。
自分もその中で一緒に生きてるような感覚がとても好き。 寺島さん、普段はあんなふうに笑うのね
昌相もいつか笑えるといいのにな。殺気が消える日は…こないか。 堺は武将としての緊張感がまるでない。
寺島さんを少しは見習えよ。
脚本だけが問題ではないね。 コテ付けました。うざかったら言ってね。
基本的に昌相を見守ってたい人です。あと茶々も。
自分の中に感情を封印したフシがある昌相と、
幸せって何?まったくわからん!
でもそんなものがあるならそこにたどり着いてみたいと思っている茶々。
見届けたいと思ってます。 しばらくコテ付けときます。どこかで消えるかもしれませんが(笑)
表現する力ってすごいな。
某所で殺気のない昌相の絵を見て泣けました。
なんだかほっとした。
結末は知ってるけど、みんなどこに行くんだろうって、思ってしまった。 そうだよね、登場人物はみな、前を向いている。
負け戦をする気なんか、これっぽっちもないんだ。
人知れず重荷を背負って自分の選んだ道を行くんだよね。
つらくても、自分で選んだ事なら後悔はしないよね。
なんか、そう考えたら力が抜けました。
一番腑抜けなのはハラハラしている自分かも。腹を括ろう。 先週の三成が秀吉に迫ったシーンもカッコ良かったな。 あー、三成も大好き。
ここは出浦様スレなので触れないようにしてるけど。 ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき
早く日曜日にならないかな 寺島は昔から嫌われてたな
今も陰では悪く言う人は少なくない 上野樹里や宮崎あおいに
比べれば寺島なんて純粋無垢ようなものだろw 日曜日、うれしいな。
「何が人を滅ぼすのか?」って以前家康たんが言ってたけど
逆に、「何が人を生かすのか?」って聞かれたら、
自分を受けとめてくれる人の存在が…と答えると思う。
今日もとても楽しみ。 >>132
西郷隆盛は山岡鉄舟のことを「なんなんだあの腑抜けた男は!金も要らん
名誉も要らん命も要らんとか何なんだ!あんなやつを交渉役に寄こし
やがって!やり辛くてかなわんわ!」とボヤいて周囲の者が爆笑したあと
「だけどなー、ああいう腑抜けじゃないと天下のことは任せられんわなー」と感心した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています