阿茶局と家康は、小牧長久手の戦いの陣中でSEXしていたと記録されているようです。
阿茶局の父である飯田直政は甲斐武田氏の家臣。今川氏の家臣で主家没落後に一条信龍に属した神尾忠重に嫁いで二男(神尾守世・神尾守繁)をもうけるが、夫の死後は家康に召された。
戦場においても幾度となく家康に供奉し、小牧・長久手の戦いの陣中で一度懐妊するも流産した。
家康との間に子供はなかったが、夭折した息女の泰栄院の菩提を弔うために上徳寺を建立したという伝承もある。

西郷局没後に徳川秀忠、松平忠吉を養育しており、長男の神尾守世も秀忠に近侍した。

才知に長け、奥向きの諸事一切を家康より任されており、大坂冬の陣においては、常高院・大蔵卿局と会見して和議の成立に尽力した。
家康の死後に雲光院と号したが、剃髪はせず、秀忠の没後に正式に剃髪したともされる。