湯浅早く出てきてほしい
近ごろは信繁が信用ならん

>>64
しかしごく近しい家臣には人望があったようす
病を得たあとも家康や諸大名から薬を贈ってもらった礼状なんかは残ってる
文は残ってるほうなのに先ず大谷の出自がかなり不明
辛うじて母の名前が「東」だったってくらいで父は調べると誰かわからない
嫁の名前や存在自体が不明、娘や息子も子供なのか妹弟や甥姪だったのか不明
そもそも実子かどうかが不明
その息子(?)も帰農したりしたみたいで現在ではほぼ不明
信繁のとこに嫁に出した娘(?)の子孫も消息不明
そもそも関ヶ原前日にも家康とは文のやり取りしてて何故に結局石田についたのかすら不明
かなり謎が多すぎて未だに信者は多いのに実録小説の主人公に出来ない

祐筆かも知れんが目が見えないのに手紙書いたり残ってるものから
交流は多岐にわたったとは推測されるがあくまて憶測の域を出ない
石田みたいにほぼ帳簿とかしか残ってない訳じゃないのに不思議なもんだ
石田は最近再評価され始めてすらっとした美形で描かれることも多いから
現在石田ファンと大谷ファンの間の軋轢はマリアナ海峡より深い
現在でもそうなのに当時だったらもっと家臣同士は仲悪かったろうな