>>781
毛利新助は、信長上洛後は、馬廻りではなく吏僚として活躍したからな。信長の側近として尺限廻番衆(さくきわまわりばんしゅう)に属し、判物や書状に署名を残した。それで本能寺にいた。運の尽き。