生没年を誤魔化したり、そこにいるのは物理的に不可能な人間がなぜかいるとか(伊勢に飛んだのは生霊清盛で、
歴史上の清盛はあくまでも京で床についている。逆に歴史上の西行は京へワープしてこない)、
出しても意味がないので省略するのではなく、いると主人公にとって邪魔なので妻子、姉妹を「抹殺」する、
みたいな改竄はやるべきではないけれど、
そうする理由が説明できて、それでドラマが面白くなるのなら絶対許されないとまでは言えない。

その意味で、新平家の改竄は、逆に平家のホームドラマをつまらくしてしまった点で大いに疑問。
【参照】
家盛を消し去り、経盛が次男で、しかも清盛共々祇園女御腹で、次世代の重盛はななんと時子腹。
これでよくもまあ「平家のホームドラマ」ができましたね。
これでは、棟梁の座をめぐる正妻の子家盛と清盛との確執と争い、さらに、上昇した平家一門〜源氏と異なり
仲が良かったとされる「一蓮托生」の平家にあって、見逃すことのできない対立軸をなした
時子(時忠)&宗盛vs重盛(明子腹)が繰り広げた水面下での葛藤など描きようがありません。
これらは、平安末期の主要アクターである平家の内部問題が、歴史に作用した重要な一コマであって、
単に平家のホームドラマにとどまるものではありません
(家盛が早逝しなければ清盛は歴史の舞台に登場しなかった、あるいは保元の乱で真っ二つに割れたかもしれず、
また、重盛孤立化は政界の勢力地図に与える影響大)。

また、歴史パートへの洞察ともなれば、例えば祇園社事件にしても、忠盛、信西の位置づけにしても、
もう話にならなくて戸惑ってしまうほどです。それでいて、清盛と常盤の恋バナに延々と尺を取ったり
(清盛は、寡婦となった常盤と子らの生存を顧慮すべき棟梁の責任に特化)。。
祇園社や平治の乱でまるで一兵卒のようにチャンバラする仲代も酷いもんでした(清盛の後者では、
六波羅の後衛から刻々と変わる戦況をー双六を進めるかのように操る清盛が見られる)。