【2012年大河ドラマ】平清盛 Part177©2ch.net
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安倍総理万歳!!日本国万歳!!
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みんなで逝こう >( / ⌒ヽ( / ⌒ヽ< 友愛万歳!
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-====- -====- 重盛さん、また見なくてもいいものを見て暗黒面に堕ちる
てか来週から朝ドラと大河入れ替えたら? >>455
世間一般は、低視聴率を揶揄冷笑するマスコミのネガキャンに最も影響された。
2ちゃん運営(と結託したウヨメディア)による王家一大バッシングは、ふつうの「善男善女」には
ほとんど関係なかった(そんなこと関心ない)。
さらに、2ちゃん与党たち(コアな歴ヲタ、目利きの大河通を自称するツイッタラー&ブロガー)が
徒党を組んで攻撃ネタとする際の「評価基準」、それが原作なしがー、現代的価値観がー、
そして女がー(主人公が女、脚本家が女)である→合わせて一本で、昔は良かったーとなるらしい。
骨の髄までミソジニーに浸かった懐古爺どもだけではなく、名誉男性を誇るババアどももこの愚連隊の
構成員であることが痛い。
清盛についても、「歴史について無知な女脚本家が、朝ドラの延長上で安直に起用された」なる、
まさに安直な偏見と憶測を抱いて、初めから大河清盛をバカにする態度が顕著だった
(そのうち、内容に即した反論を受けて独善を暴かれ、恥を晒されていく)。
要するに、お前が言ってる女脚本家はバッシングの最大要因ではないが、その一つであったことは
否定できない。
実際はどうだったか?
大家の男脚本家でさえ標準装備と言える、必ずしも必然性のない、歴史とは結びつかない、逆に
歴史へ過度に介入する類のいわゆる脱線恋バナや女オリキャラに、清盛の女脚本家は見向きもしなかった。 朝ドラ見なくなっちゃったが、重盛がとく死なばや状態に陥ってるのかー
明日見よー >>460
NHKプラスで今すぐ
23時からBSPでも 清盛の女脚本家は非モテだったので恋愛は書けなかった >>461
ありがとん
BS 23時に間に合うか。。
なお、清盛に恋愛がなかったとか軽視したとか言っているのではない。
もともとスイーツ系恋愛ものが得意の人らしいではないの。
実際、男女の機微を捉える力はさすがのものがあったが(男脚本家は下手かワンパターンの場合が多い)、
恋バナが常に歴史描写と絡み合って展開されたことを述べてきた。
忠盛&舞子、清盛&明子&時子、後白河&滋子、そして鳥羽たまなり劇場、、、
これらすべてが、清盛の人生に、「一蓮托生」であるはずの平家内部の葛藤に(後期平家では畢竟
政治の行方を左右する。典型的には重盛の立ち位置)、平治の乱後の政治枠組み形成に、
そして保元の乱へ向けて錯綜する人間関係の配置に物をいった。 >>466
ほとんど史料のない人物なのに勝手に決めつけられましても 人を切り殺して物事を解決する稼業の一族を馴れ合いで描いた大河 同族間の争いは同族で解決が基本。河内源氏が目立つのは後三年の役頃に武家業界の頂点に立ったから 忠正の扱いについても190万5回やったのでry
というか、どんな大河にも必要なドラマ的改変だというのに、自分の好きな大河の好き勝手は
不問に付ししつつ、やっぱりというか、にっくき清盛というだけでとことん狙われたので、
かなりリキ入れて書いた長文が行方不明(もう一つは清盛vs義朝ライバル設定)。
一言で言って
忠正の史実上の立ち位置をきちんとわかった上での驚異的な力業であった。
つまり、お花畑どころか、清盛脚本家のブリリアントさを印象づけた忠正なのである。 志の継承はドラマ的にはメインテーマに近い。
それは何も清盛→頼朝に止まらない。
信西→西光vs清盛、頼長→信西なんてのもある。
そして、平家内野党というスタンスは、忠正→頼盛に正しく受け継がれたのであった
(後者はまさに史実。頼盛の描写も素晴らしい)。 ただいまー
結局、転生重盛迫真の演技見れなんだ。
たしか、土曜一斉再放送があるはずなので、またの機会にて。 んでもって、男と女@清盛で思い出したのが、清盛&常盤。
新平家総集編を見る限り、まるで中盤のメインテーマみたいな扱いであったところ、
大河清盛は、後世の作り話でしかないこういうファンタジーを断固廃して、
裸で投げ出された敵方の女子供の生存を顧慮する〜勝利者となった清盛の棟梁としての責任に特化して
清盛&常盤を描いた。
ところが、この扱いに対して、連中は「とってつけたー」と大騒ぎしたのである。
とってつけたのはどちらか?もはや自明だ。 >>475
NHKプラスの見逃し観られないって
もしかして長文さん受信料払ってないの?
ガラケー使いだとしてもPCはあるだろうし ん?
拙者、スマホ歴半年弱。高えよなー。
そういう庶民の実感に、スカスカが食い込んでくるのが何とも。
とまれ、ほぼ見ないのにお布施オンデマンドはダラダラと継続中。
で、たしか契約上、すぐ追いかける奴ではなく、しばらく経ったら見放題のやつ。
NHKプラスってのは、すぐ追っかけ可能なんすか?
なお、政権の犬と化したNHKにお布施するのは内面において許しがたいが、
ヘタレゆえ律儀に毎月散財しておりまする。
おやぬみなさい 平家の与党内野党は最初は忠正、のちに頼盛が担うことに >>481
おまえの話はいつもふわっとしていてよく分からんよ アホウヨにいつもお願いしてますが
人違いだけはよしましょう
迷惑がかかります
頭の良い482だって毎度スカスカすぎてわかりませんわw うわ、小林多喜二やってるなエール
ずいぶん踏み込んだ立派 エール土曜5回分予約したでー
こういうのがやっぱ窪田くんの真骨頂だな
出羽アホウヨ一時さらばーw 志の継承ときたらもちろん、平氏内並びに源氏内のそれをスルーするわけにはいかない。
すなわち忠盛→清盛、そして為義→義朝。
忠盛の無念(どう頑張っても公卿になれず)を糧に、清盛は遮二無二に這い上がっていった。
これは説明不要だろう。
しかし、清盛→息子たちとなるとずいぶん怪しくなってくる。
どうやら、世代交代が上手くいかなかったことが、客観情勢とは区別される平家の主体的力量から見た
滅亡要因のように思える。
誰も清濁あわせ飲む清盛のマンパワー、そして雄大な構想を受け継ぐことが出来なかった。
よく言われる重盛が生きていたらーというのはウソで、藤本女史は、人格者重盛を最大化する一方で、
政治家重盛の力量不足と視野狭窄を残酷なまでに炙り出して見せた。
ドラマ上、さらに感動をもたらしたのが源氏のそれ。
これについては、かの保元戦後処理回における絶品シーン〜
「義朝。我が首を撥ねよ。源氏の棟梁の証しのこの太刀で。親兄弟の屍の上にも雄々しく立て。
それが〈お前の〉選んだ道。源氏の栄華へと続く道じゃ」
を想起されたい。
さらにこのセリフは最終回、源氏合戦に勝利し武士全体の棟梁となった頼朝によって、「武士の栄華」へと
グレードアップされつつリフレインされた(それが〈私の〉選んだ道)。
ここに源氏三代にわたる志の継承は完成されたのだった。
なんと驚くべき俯瞰力。。。 忠盛は昇殿して猛バッシング受けてただろアホのホリエw 為義自身が濡れ衣の大叔父義綱一族皆殺しにしてるのに笑える描写だった 一日中張り付いてる暇人もとい商売人の爺婆によると、朝一から即レスしない限りズーッと
寝てることになるのだそうだ 大爆 最終回のリフレインときたら、「遊びをせんとや生まれけん」から元白拍子の舞子が引き出し、
自らの人生の指針に据えた人生訓(初回)を、死にゆく清盛への餞として西行がリフレインしたシーン
を忘れるわけにはいかない。
この人生訓はまずは舞子→忠盛に継承され、舞子が語った〈極意〉は忠盛自身の指針となった。
さらに母舞子の志は、言わば無意識のうちに息子清盛へ受け継がれ、血肉化され、清盛を突き動かしていった。
(母に初めて〈出会った〉のは、実に臨死体験の時。しかしそれ以前も、海賊船での生命危機にあっては、
何処から聞こえてきた舞子自身ー少女ではないーが歌う遊びの歌〜生の歌が清盛を救った)
こうして母が望んだ人生を清盛は駆け抜け、未達成含め存分に「子どもが無心に遊ぶように」生き切った
清盛の人生に対し、宗教者、芸術家、コンサルタントにして友人西行は、舞子解説を援用することで
限りない賛辞を贈り、死にゆく清盛を慰撫したのである。
二人の大きな父のみならず、見ず知らずの母舞子の存在もまた大きかったことを、最後の最後で痛感させた
忘れ難い名シーン。 伊東白河院に股開いたタマコの棒姉妹のカーちゃんだったよな 忠盛
流行歌か。呑気な歌だな。遊ぶため、戯れるために生まれてきたとは・・
生きることは子どもの遊びのように楽しいことばかりではない。
舞子
されど、苦しいことばかりでもありませぬ。子どもが遊ぶときは、時の経つのも忘れて、
目の前のことに無心になっておりまする。生きるとは、ほんとうはそういうことに
ござりましょう。
うれしいとき、楽しいときも、また、つらいとき、苦しいときさえも。
子どもが遊ぶみたいに夢中になって生きたい。
そういう歌だと思って私は歌うておりまする。
西行
うれしいとき、楽しいときも。つらいとき、苦しいときさえも。
〜いついかなるときも、子どもが遊ぶようにお手前は生きた。生き尽くした。
お手前の生きてこられた平清盛の一生。まばゆいばかりの美しさにござります。 清盛ー面白き人生
義朝ー強き人生
義清ー美しき人生
若い三者が抱負を披露しあった場面は、見てる方もこっぱずかしくなるような青臭いシーンで、
現にバカにされたのだが、それが最後の最後でこのような滲み入るシーンに結晶したことに
感動してしまった。
西行の厳しい審美眼に照らして、清盛の人生は美しい!と称賛されたのだ。
お前さんの人生、言ってた通りほんと面白かったぜー、と褒めたのではないことに留意されたい。
私が奉ずる最高価値からしてもサイコーだったよー、なわけ。
無念の死を迎える清盛にとって、これほど慰撫される餞の言葉はないだろう。 海外に門戸開放したせいでマラリアに掛かって死ぬなんて最高に美しいギャグだったよな もはよー、長文やっと目が覚めたぜいw
で、細川忠興が転生資盛と聞いて、たしか森永くんという俳優だったかなと思い出したら、
殿下乗合事件でクソ生意気働いて窪田重盛くんに叱責された、チビ資盛役の子役さんなのね。
慌ててwiki見たら、身長180センチだと。
今や大河清盛は、昔は良かったーの隊列に加わったか 苦笑 ああ、「花燃ゆ」で吉田松陰の弟を演じた子か。
口が聞けないのでセリフがなかったけど要所でいい演技してたっけ。
細川忠興ってことは芦田愛菜ちゃんの旦那になるのか。
「平清盛」「花燃ゆ」と黒歴史大河の出演が続いたけど
三度目の正直で良い役掴んだな。 >>505
わざと惚けてウケを狙ったのか。珍しく5行もあると思ったらまじツマンネーーー
せっかくだからそっと教えてあげよう。
森永悠希ではなく望月歩だ。
俺も覚えたからお前もしっかり覚えろ!
やっぱチビ資盛とそっくりの顔してる 当たり前w ナレ頼朝主演の金ドラがトリック呼ばわりされててワロタw >>507
あれ?別にボケたつもりじゃなかったんだけど
何か気に触ったのか顔真っ赤で反論とかまじウケるw
なんか痛いところに触れてしまったんならゴメンネ。 そんでババア、お前は自分の間違いに気づいたのか?
せめて収賄甘利みたいにこっそりでも良いからデマを自己修正しとけ。 >>511
ああ、ごめんこれは漏れが悪かったよ。
森永くんにも汚名挽回のチャンスを与えてあげて。 てめえだってホリエとか言ってるくせにキレるパヨ老人w そうそう一つ補足。
子どもが遊ぶみたいに夢中になって生きるーこれこそが「面白き人生」の内実に他ならない。
白河の血の支配と同列において仰々しく強調する気はないけれど、
やっぱ清盛は舞子の子だったのね。 塀の中のホリエモンは清盛を高く評価してくれた。
まったく相容れない志向をもつ有名人ながら、正直嬉しかった。
しかし、コロナや餃子騒動を見るにつけ、どうにも唾棄すべき人間と言うしかない。 殿下乗合事件の子が身長180cmの好青年に成長したと聞くと
8年の歳月を感じるけど、深キョンはほとんど変わってないとは
まさに現代版祇園女御ではないのか 今メナードのイメージキャラクターやってるけど補正あるとはいえ当時より綺麗じゃない?
本物の美魔女だわ 思わず深キョンの御歳を見てしまったよ__あと2年ほどで不○、。・「
いずれオバサン女優にシフトしないと生き残れない美人女優の運命に抗って、
精一杯美容セ○ケ○に励もうとなんだろうと、いつまでも若さを保つ深キョンに敬意を表したい。
年齢不詳、不老長寿を貫いた祇園女御(→乙前)。
こちらはドラマ上、誤魔化したのではなく確信犯的な演出であったことは、深キョン時子ですら
大河プロトコルに従って最後の方はちょこっと老けメイクしたというのに、
聖子様ときたら、「如何でござりますかそこからの眺めは」と、絶頂から転げ落ちるであろう清盛の運命を「予言」して
フェイドアウトしたその時でさえ、ちっとも老けないユーレイ祇園女御を貫いたことからも明らかだ。
聖子が老けメイクを拒否したとかそんな低次元の話ではなく、激しく対立した清盛&後白河を等距離で庇護し続けた、
怪物祇園女御の歴史貫通的なキャラから導かれたものだろう。 ちょっとBS見てるのだが、早酔っ払って何をやってるのかすんませんがわからないけど、
盛国さん、すっかり「ヤメヨー」モードです。
あれはホント凄かった。 構図はまさに初回舞子射殺シーンの再現そのもの。仏御前射殺を命ずる清盛は、既に白河そのものと化している!
そこに割って入ったのが盛国の大音声ヤメヨー。。
忠盛が絶対君主白河に抗して決死の介入を試みたのと同じく、ヤメヨーの名宛人は射手ではなく白河=清盛へと向けられていた。
だからこそ、それを受けた清盛の「懺悔」が物を言ったのだ。 >>523
おまえ一話切りしたくせに何年粘着してるの? 遊びの歌の解釈については複数あるようだが、門外漢なので手に負えない。
中でも、戦後を代表する批判的知識人ー藤田省三の解釈にギャフンとなったので紹介したいのだが、
例によって行方不明すんません。生の歌どころか真逆解釈をしていた。
とはいえ、生への弛まぬ志向性と捉えて徹底的に活用された本作における遊びの歌は、
オーソドックスな基盤に依拠するもので、雄弁なまでに清盛物語の核の一つを主張し続けた。 現大河に比べてヒロインと止めクレジットは清盛は随分恵まれてたね。
大河ベテランの中井貴一はきちんと演技して物語引っ張ってくれて殿上の闇討ちもやってくれたし、時子も可愛いだけじゃなく、有名な入水場面やってくれたし。
現大河のヒロインと止めはもう邪魔過ぎて視界にいれたくねえよ。 時子の軽率な行動のせいで生き残った平家一門は池禅尼系以外皆殺し みっけた『語る藤田省三』(岩波現代文庫)
梁塵秘抄のこの歌を、ある人(西郷信綱)は遊女が身を乗り出して踊りださんばかりの「身体性」から解釈し、
また在来の解釈は(小西甚一)仏教的無常観を見たりしているのだが、果してそうか。
ちょうど子供が散々遊び呆けて、疲れきって草むらの上にゴロンと仰向けになってボンヤリ雲を眺め、
眺めているうちに子供がボンヤリと雲に同化していくように、「我が身さえこそゆるがるれ」は、
疲れきった遊女が窓の外に遊んでいる子供たちの世界に同化する、そういう疲れきってボンヤリと身も空疎に同化する、
そういう世界を表しているのではなかろうか。
「よろずの仏にうとまれて 後生我が身をいかにせん」よいう歌のように梁塵秘抄は疲れきった世界なのだ。
それがどうして身を踊り出せるだろうか。
清盛は第一説の「躍動する身体性」に近いことが分かる。
この文章に続けて、くたびれた人間が安心してそこへ行ける世界として、淡い色彩を基調とする叙情的で誰にも
受け入れられるような竹久夢二の挿絵、さらに春秋戦国時代における老荘思想の受容形態を指摘した上で
(孔子はああしろこうしろとアドバイスするからいよいよ疲れてしまう)、刀と弓に代わって金と言葉が忙しく回転する現代は、
人間がくたびれまくる「春秋戦国時代が日常化」した時代だとする。そして
「同じことが平安時代にもあったわけで、それが『梁塵秘抄』の世界。遊女は踊り疲れているのにどうして身を
乗り出さんばかりに踊れるのか。退廃美。退廃の持っているキャパシティの大きさ、退廃しきっている人間の持っている優しさ
が出てくる。単なる身体性だけではない」
とまとめる。 またくたびれた老人がさして斬新でもない説を長々とw もはよー
曾祖父さんさー、得意の気の利いた()一行レスで良いから、
リアルで見た半世紀前の大河新平家の魅力を俺ら若者に伝えてくれよーw 爺さんが長文でクダ巻いてるだけのこのスレじゃ語るなと言う事だなw それは残念だにゃ
ひいお爺ちゃんが蘊蓄傾けた昔は良かったーを若い衆はみんな聞きたいのにさあー
記憶はあっても自信がないのかにゃw 大河新平家って愛宕山のNHKに台本収蔵されてるのかな? 真面目な話、台本が残っているのならば読みたい。
継ぎ接ぎだらけの僅か3時間の総集編で評価するのは心苦しいゆえ。
しかし、アレだけ見て清盛と比べものにならんとか、どう行間を読んでも出てこないので、
そう主張する以上、全部見た人生の先輩方なんだろう。たぶん。。
で逆に、売られた喧嘩に仕方なく、総集編でも比較可能な限りで目に留まった問題点を指摘してきた。 不肖長文が短文にて大河新平家の魅力をアピールするならば、「格調高い」に尽きる。
これについては大河清盛は敵わない。
しかし、「躍動する平安、そこに現れた革命児清盛」なるメインテーマからすれば、そもそも論として、
古典的で静的な新平家的世界を克服することから始まった企画なのであり、
格調高くない、しっちゃかめっちゃら暴れる清盛で正解なのである。
何故今〇〇なのか?大河はこの問題意識無くして企画されてはならないーこれが拙者がこだわる制作姿勢だ、
どうも初めから忖度ありの国策大河が幅を利かすようになってしまった。 いたでんは周りから言われるほど国策色強くなかった
やべーのは吉田松陰の妹な、アレはどう考えてもおかしい いだてんは、国策オリンピックに便乗したエグい企画を引き受けながらも、
斜に構えたスタークドカンだけが為せる「関節外し」の大河だった。
個人的にはそれほど入れ込めなかったけれど、クドカンの戦略には恐れ入った。
花もゆの脚本家は、申し訳ないがPの雇われマダム。なのでアンラッキーでしたと
失礼ながら同情してしまう。
名作跳ぶが如くがあるのに、いま何故今西郷どんなの?
これに対する答えは、明治150周年を顕彰すること以外考えられず、西郷像を更新したい、
みたいな内から出る要求に欠けた。
そして、次は新札渋沢。
こういうチョイスが、低迷する大河の未来にとって相応しいとは思えない。 なぜ、当時「平清盛」だったのか?
今もってわからん。 >>540
そろそろ源平を差し込むタイミングだったから、じゃない?
2010年代の大河は清盛生誕900年でもなく大坂の役400年記念からも微妙に外してるのがよく分からん 戦国幕末ローテーションの端境期に、ポツンと産み出されるのが源平大河。
そのタイミングで、しかも従来の新平家や義経などでは描ききれなかった「新しい清盛像」
を提示する価値を見出して企画されたのが、大河平清盛なんだろう。 東日本大震災の後で日程消化だけが目的の非国策大河だったしな 新平家物語は人形劇は見たことあるな。(前よう○べにもあった)
清盛の家が貧乏だったり、時子が重盛の実の母だったり史実と大分違うところがあったけど、声優陣凄い良かったし、人形景色含めて綺麗だった。
大河ドラマ清盛は新平家物語とはまた違った良さだけどそれはそれで良い。
新平家物語では崇徳帝は善良な麻鳥が側に居て救われて良かったけど、怨霊化する崇徳帝を表現した大河ドラマ平清盛も良い。 天子様と遊び女の息子との間に日常的な関係があるわけないだろ。
つか関係性ゼロ???笑笑笑
・海賊船で吐き出して早くも(意識の上では)自我危機を克服した清盛は、
悩む崇徳に「出生に拘りなさんな。私はもうどうでも良いですよ面白く生きましょうよ」とアドバイス。
・「マツコと13年!私に与せよ」ーついにチャンスが巡ってきた崇徳が頼りにしたのは、
その助言を覚えていた清盛である。
素晴らしい関係性ではないか。大家でもふつうにやっちゃう設定忘れとか伏線未回収をやらかすには、
藤本の頭脳は高性能すぎた。 晩年の清盛はなかった事にするいきあたりばったりな藤本脚本w 落合はオレのせいじゃないと思ってるから今の麒麟の惨状なんだよなw 清盛と崇徳の関係性の終点が、鳥羽危篤の報に崇徳が駆けつけ清盛が立ち塞がった面会拒絶シーン
(「少しばかり遅すぎましたな。私には守るべきものがございます」)。
拒絶され失意で引き返す崇徳の後ろ姿を、清盛は万感胸に迫ったかのような眼差しで見送った。
(松ケンの決意に満ちた、しかし悲哀に溢れた目力を称賛した。これを見て、いよいよ
松ケンド下手、ミスキャストーと騒ぐ連中にファイトを燃したことを覚えている)
このシーンに感動する由来もまた、ババアどもが騒いだようなその場限りの「感動ポルノ」ではなく、
派生的なそれであってもきちんと積み重ねた両者の関係性にあった。
清盛は、心情的には可哀想で儚い、しかし執政意志も顕な(ここ重要)崇徳シンパですらあった。
そうでなければ、鳥羽と崇徳の和解周旋のため奔走したりしなかっただろう(友愛外交の挫折)。
崇徳の断固たるマツコと13年!は清盛を動かしたのである。 汚いものを汚いと直視できない平均的日本人には早すぎたドラマ チチウエーーー
真っ先に思い出すのが、國村忠実さん一世一代の退場シーンとなった、息絶えたオウム=死せる頼長
を抱き抱えて慟哭したシーン〜吾が子よーーーあああー
頼長のダイイングメッセージ〜それが、瀕死のオウムちゃんが発したチチウエーであった。
そして
考証2先生も涙したこの名シーンと共に忘れてもらいたくないのが、あれだけ修復不能なまでに
亀裂が走った鳥羽ー崇徳の関係性において、面会を拒絶された崇徳が振り絞るように発した「チチウエ」。
最後の最後で、崇徳は許すことのできなかった鳥羽を父と「逆認知」したのだ。
このような「すれ違ったままの父子の和解」に立ち会うことは、たぶんドラマでもほぼないだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています