【2012年大河ドラマ】平清盛 Part177©2ch.net
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-====- -====- >>544
そうそうその通り。
歴史にさしたる興味がなかった頃、新平家人形劇を全部でなくてもかなり見た記憶があり、
平家の滅びの美学に共感した。
豊穣な物語世界を前に史実がーは虚しい(なので大河新平家についてもいちいち論いたくはない)。
然るに、滅びの美学ではなく、躍動する風雲児ー体制変革者清盛にスポットを当てて大河清盛に対して、
しかも歴史学の現在の水準を採り入れ、その基盤に立って驚くべき想像力と創造力を発揮した
「ファンタジー大河清盛」に対して、新平家を持ち出して「デタラメな歴史描写、浅薄な人物描写」はない。
こういう馬鹿くさい連中がいなければ、新平家と清盛は十分共存できるのだ。 >>563
8年持ちこたえたんだからあと1年強は大丈夫だろう
しかし現状でHV画質で見られる手段が事実上ないのは問題だわ 義時大河に合わせて次のBS再放送は清盛か義経?と想像するまでは良いが、
どちらが内定とか言えんでしょ。内部の人でない限り。
どこかのスレで義経内定と書き込むのがいて、ソースはと聞こうと思ったのと同じで、
次は清盛も、今のところ願望レベルを超えてない。 俺はどちらでも良いと思ってる。
ソリャ内容面からすれば清盛に決まってるが、義時大河へのスムーズな移行という観点からは、
陳腐な源平合戦描写に終わったにせよ、この部分を分厚く扱った義経の方が相応しい。
もっとも、現大河への接続というのならば、今期は花の乱あたりを期待したいものだが、
今やってるのは、さらに昔の鎌倉末期南北朝室町創成期を対象とした太平記。
つまり、大物脚本家繋がりのチョイスもありうるわけで、不祥事絡みで当面難しい真田ではなく
新選組という線も浮上してくる。 再放送は清盛がいいな。
演技はタッキーより松ケンの方が上手い。 タッキーが清盛演じてたら雲古漏れそうなんて脚本はなかった 大河義経は義経主従パートが大根すぎて地獄
壇之浦後は誰も支えになる役者がいないから見てて悲しくなる >>575
清盛はスターの男脚本家の誰それとは違って、いわゆる当て書きとは無縁の大河であった。
藤本に幾分かの希望枠があったとしても、歴史上の人物というのに、俺、私が指名したお気に入りの役者に合わせて
キャラ造型する本末転倒はなかった。これは山ほどある大河清盛の誇るべき利点の一つである。
それゆえ、お笑い芸人枠(兎丸)であろうと歌手であろう(祇園女御)であろうと、尽くドンピシャ嵌ったのだ。
この人物造型だからこのイレギュラーな配役がなされた_このような正しい思考方法を清盛Pは貫いた。 >>578
>このような正しい思考方法を清盛Pは貫いた。
そのPは磯さんの方ですよね。
後半支えになる役者がいない地獄とオリキャラ地獄はどっちが泣けてくるかな。ゲッソリ もちろん磯Pのこと。Pが二人体制の場合、全体を差配するのはほぼ単独でP1だろう(P2は言って見ればパシリ)。
清盛後半が超大物役者不在であったことは確かで、それに伴う困難を抱えたことは否定しない。
しかし、今をときめく若手と堅実な中堅どころのコラボを見れば、それを地獄と総括する訳にはいかない。 >>577
あの第1回が悲しくなるのはかなりやベー奴だぞ 院の御所が血に染まるわけないじゃないーーーと初めから手ぐすね引いて待ち構えていた喚いたババア、
そして王家がーのウヨを別として、
タブララサの視聴者は、単純にドラマ初回の出来として圧巻、そこまでいかなくともこれから楽しみ
という意見が多数であったと記憶する。
何しろ、最終回まで目ひん剥いて付き合わない限り、いや2周、3周しない限り、この初回の本当の凄さは
伝わらないのだから、「悲しい出来」と嘆くジジババに対しては、ご同情に留めるのが良いと思います、・_ 最近、豪華公用車とかでまたまた話題を振りまいてる現播磨守の初回感想〜汚いーーーーは、
不用意で無邪気な発言内容以上に波及効果が痛かった。
これにマスコミが飛びついたことで瞬く間にSNSへと拡散し、清盛=汚い=平安冒涜=不正義
なるバッシングが始まってしまった。
さらにこの影響もあって視聴率が下がると、今度は低視聴率=駄作なるレッテルと印象操作が白昼公然となされ、
俺含めた少なからぬ人々が清盛の魅力を語っても、もはや多勢に無勢となってしまった。
それが2012の真実であり、清盛が経験したネット時代のデマゴギーがもつ恐ろしさは、今般の学術会議事案において、
学問の自由だの民主主義だの法の支配だの、そういう基幹的価値に照らして大袈裟に論じなければならない次元にまで
進行してしまった。 デマだったら一時的に騒がれてもすぐ沈静化しただろうな いだてん初回については
率直な感想として、少々とっ散らかってんではないのと申し上げた。
そこから強力に収斂させていくだろうとの期待込みで。
ただ、最終評価としても、落語パートが全体に融合し効いていたとは思えない。
それにつけても、多元実況中継により各パート間が生み出すダイナミズムを拡張しつつ、
あれこれ手練手管を尽くして時空間緊密に連結しまくった清盛を、とっ散らかってたーと喚き続ける
おんなビジウヨおんなの「とっ散らかった」オツムには恐れ入る。
いだてんの落語は「清盛の王家源氏とは違って」溶け込んでおり、オリキャラ無双の麒麟は
「清盛のようなお子様ランチ」とは違う大人の脚本なんだそうだ。 清盛は主人公以外の登場人物の描写も結構きちんと描いてくれたし、悪い作品とは思わない。
むしろ貴重だったなと思うよ。今の大河のように無駄なオリキャラ無双で周りの登場人物の見せ場減らしたり、上げ要員にしてるとこ見るとつくづく思う。今回の摂津の小物じみて軽すぎる悪役演技も目に余る。藤原摂関家みたいに貫禄ある悪役こなせる人があんまりいないのか? 無駄な史実キャラが一杯で主役が幼稚で田舎臭く貧相だったのが清盛 非常に不思議な現象の一つに、おんなネトウヨとか5ちゃん与党党首とかに典型的な態度ー
すなわち、叩いても安全な作品、脚本家に対しては、口汚い罵倒を浴びせるというのに
(キンジパの爪の垢を呑んで出直せ。ボンクラ官兵衛)、ビジネス上叩いてはいけない、あるいは叩いたら損となる
大家や売れっ子に対しては、絶賛するのは良いとして、多少の不満がある場合もスルーしたりモゴモゴ誤魔化す
ヘタれた態度がある。
麒麟で言えば、これだけオリキャラ問題が焦点となっているのに、これについて真正面から擁護するどころか、
見て見ぬふりを貫きながら、他作をバカにしつつ自分が良いとする点を打ち出して絶賛している。
俺は逆に、清盛へ向けられた批判、罵倒、冷笑に真正面から応答することで清盛の魅力を訴えてきた〜
和歌もどき、鳥羽エア矢、一騎討ち、滋子巻毛など。
出羽 真正面からゴマかしまくることでさらなる失笑を浴びていた >>590
お前松ケンが出てない第1回を貶してたのに説得力ないぞ 整理整頓が苦手で友達が居ない陰キャラが制作した大河 確かにオツムの整理整頓が苦手なお前には、初回からしてハードルが高すぎた。 伏線回収ドヤーが大嫌いになってしまった。
伏線は、物語の意味世界を、時間軸ータテ軸から統一性あるものへと構築するための有力な手法といえ、
必須ですらある。
これを否定しないし、伏線一つない、ただ事象を時系列で並べていくだけのほとんどの昔は良かったーは、
一つの物語構築へ向けた表現意欲に欠けると思わせるところが多々ある。
しかし伏線という隠喩表現をとる以上、
・その時点におけるストーリーに無理なく溶け込んで意味をもつべき(白河殺生禁断令、竹馬)。
・それが当時点で予測不能な意外性をもって、その後の重大局面で新たな意味を獲得(お涙頂戴竹馬エピ→
木下強奪エピから当然のように導かれる無能傲慢宗盛像に修正を迫った)したり、
意味変容をもたらしたり(誠実な庶民そして父を見殺しにした白河の圧政を想起させることで、
白河に近づく清盛を、股肱の臣へと上り詰めた盛国は決死の諫言を試みた。このパラドックス。。)
しないと、伏線大売り出しの安っぽい用いられ方となってしまう。
こういう伏線は清盛においてもそんなにない。また持ち出してスマンが、100%倍返し来るぞ来るぞー
と予想されてその通りとなった「黙れ小童!」の展開に、予想通りミタニンスゲーの大合唱が始まったのには
ひたすら白けた。
もう一つ
・伏線ばかりが物語の凝集性を高めるのではなく、空間軸ーヨコ軸での展開も同じくらい重要であるのに、
何でもかんでも伏線がーは、こちらの方面には至って無頓着なのが摩訶不思議。
そこで、この方面においても、大河清盛が傑出していたことを強調してきた。 伏線どころか一般視聴者には伏せたままにしていたかのようだったのが清盛 ・最終回の西行の餞のコトバは、初回で舞子が遊びの歌について解説した内容のリフレインであった。
・頼朝助命時の髭切突き刺し(返還)は、初回忠盛が「死にたくなければ強くなれ」と
宋剣を地面に突き刺したシーン(授与)のアナロジーであった。
・「いかがでござりますかそこからの眺めは」は、臨死体験下で「再会」した父白河の
「そちはまだ知らぬ。頂からの眺めを」を受けて、治承クーデターで遂に天下をとった清盛に向けて発せられた、
もう一人の「母」祇園女御=乙前による警句であった。
この辺りとなると、確かに秘境に分け入っていくような「見えなさ」がある。
しかし、それは伏線が回収しないまま放置されたのではまったくなく、我々が「発見」することを
待っているような本物の伏線なのである(気づかなくてもそれで良い)。 実際に清盛関係者が見たのは地獄の底からの眺めであった 回収しないまま→回収されないまま
信西最後のシチュエーションを知っている者にとってはみえみえであっても、
予測可能性を超えて展開される類いの途方もない伏線もある。
それが穴に落ちた信西と出会い、そして穴で死んだ信西と清盛の関係性。
誰でもヨーイのコミカル、俺は誰なんだーの青臭さから、華麗なレトリックを駆使した
信西の悲劇@平治の乱に帰結するとは予想できなかった〜悲痛な叫びを上げての清盛殿助けてくれ。
私は何を望んでここまで来たのだ〜人生最後の最後での迷い、悔い、自我危機、、、 >>607
いや別に
低かったのはリアルタイムの電通視聴率だけだし
当時のキャストやスタッフが抜擢されてるのを見れば業界評が高かったのは明らか 信西良かったけどな。
みんな結構はまり役だったね。
クソオリキャラ連れてくる落合Pの手腕ではなく磯Pの手腕だよねこれ。 清盛の地獄の底がどんな地獄の底だったかわからんかったが現大河のオリキャラ地獄より全然ましだろ。 青盛 俺は誰なんだー
通憲 誰でもよーい、誰でも良いゆえ助けてくれ!
信西 清盛殿助けてくれ!
清盛 俺は平清盛ぞ。者ども続け!平清盛は断じて見捨てはせぬ
信西 己が誰なのか見つけたり。我は信西入道ぞ! グサッ ラストのシリアスとの対比において、清盛ー信西の人間関係の進化、深化の起点となったシーンが
すっとぼけたコミカルなものであったことに、この伏線の最大の妙味はある。
そして
一刻を争う非常事態において清盛は、穴での出会いから始まった信西との長い付き合いが
自身に及ぼした果実の大きさに思いを馳せ、信西救援のため危険を省みず引き返すことを決断した。
「今の俺がいるのは信西殿のおかげ」〜俺が平清盛である以上、信西を見捨てることなどあり得ない。
誰なんだーとアイデンティティに苦しんだ俺は、信西殿に導かれて今はまごうことなき平清盛なのだ!
さらに
信西は人生の最後の最後となって、穴で出会った清盛の如く「私は何者なのか」と自問した。
「清盛殿助けてくれ!」と悲痛な叫びを上げたシリアスな大宰相の姿は悲劇的ですらあった。
揺らぐ彼が今際の際で確信をもって己の人生を一言で総括したコトバ〜それが我は信西入道ぞである
(敵に囲まれて長広舌する暇はもはやない)。
人物相互の関係性の推移を、キーワード、キーセンテンス、アイテム、対比などの論理を駆使して
掘り下げる手法は藤本の真骨頂ともいえる。こうした特性と技法は、
学芸会がー、薄っぺらいーみたいな貧相なボキャを使えば何かを腐したつもりになる、常に
断片しかオツムが回らなず、事象を結びつけて考察することができない、
いつもの薄っぺらなお前ら(>>616、>>617)の理解が及ぶところではない。 薄っぺらじゃなくコルステロール一杯で目詰まりした血管状態だったのが清盛 悪玉コレステロールはそれ自体が悪なのではなく、それらを回収して肝臓に戻してくれる
善玉コレステロールとのバランスが悪くなることで、血液ドロドロ状態は生来されるらしい。
以下、比喩的に述べると
大河にしちゃエログロ暴力描写(悪玉コレステロール)を厭わなかった清盛であるけれど、
エロも(鳥羽たまなり劇場)、グロも(舞子射殺、踏み込んだ男色、祇女仏嬲り殺し)、
暴力も(坊主キック、西光リンチ)も、すべてストーリー上の流れに沿って無くてはならないものだった。
情報過多も含めてこうした「悪玉コレステロール」は、理詰で構築的なストーリーライン、すなわち
「善玉コレステロール」が作用することで、ややこしいけれど生き生きと全身に血が巡る作品
ー平清盛が生まれたのだ。 >>622
あなたにはつける薬がないと駒ちゃんが言ってたよ ホメオスタシスが健全に働いた清盛に「つける薬」は要らないw 伊東四朗に院とは言えあんな役やらせたのは気の毒だったな グロときたら頼長の舌噛み切りが抜けてた。
アレは見るたびに目を背けてしまう。
タフマンってビンビンになるんだろ!飲んだことないけどw
絶倫白河にピッタリではないの笑 アドリブは最小限で昔ながらの緻密に芸を組み立てるタイプの伊東さんにこんないい加減な大河はいかにも気の毒 大河とは思えない精緻な作劇に、緻密な伊東さんはさぞかしご満足のことだろう。
何しろ専制君主白河は、あっという間に退場した後も生涯清盛を支配し続けた、
換言すると、ドラマ上、最後まで強烈に生き続けたのだから。 ちなみに、清盛においてもアドリブなんて無かったことは、ノベと照合すればすぐわかること。 昔は良かったーのアホウヨ爺だか婆にとっては、
後白河との二役だった白河!の方が緻密で存在感あったのかにゃw 伊東さんが気の毒。時宗ではそこそこまともな役だったのに 伊東さん第1回のエピソードがあまりに人気だったんで松ケンの夢の中で再登場したんだが 伊東白河の怪演が評判とったことは確かだけれど、だから再登場したのではないよ。
全体のストーリープラン上、初めから予定されていた。テコ入れはむろん論外。
そもそも、藤本は最初から最後まで俯瞰した上で個々のシーンを位置づける脚本家であり、
ちりとてのPは「初めからぜーんぶラストまで頭に入っている、オドロキ」と証言している。
大病、出家は清盛の人生を前後に分かつもので、この臨死体験により残された時間を自覚した清盛は、
精力的に動いた壮年から俄かにマキャベリスト化の度合いを強めていった
(ブラック化第一ステージ。第二ステージは頂点を制覇した途端に落っこった「闇落ち」)。
意識と無意識との境界線上に(夢の中で)、人は幼年時に出くわした決定的な原体験の記憶が蘇るというが、
清盛の場合、それは父白河との再会であり、母舞子との出会いであった。
そこで瀕死の清盛を蘇生させたパワーは、父の挑発であり(「お前はまだ知らぬ、頂きからの眺めを」
→「貴方様を超えて見せまする」とファイトしたところで帰還した)、
枕元で母代わりの乙前が歌う生の歌=遊びをせんであった。
ただ過去映像を垂れ流すだけの昔の大河とはまるで次元の異なる中間総括回、それが白河院の伝言回であり、
しかも、このシーンは真っ直ぐにかの「そこからの眺めはいかがですか→漆黒の闇でした」へ繋がっていくのである。
こういう驚きの内容と射程をもつ白河院の伝言回について、評判が良かったので突如白河に再登板願いました
という推測は成り立たない。 擁護してくれた同志に対してこのような反論、申し訳ない。
ともかく、めちゃくちゃな言い草と歪んだ主観によって、伊東氏を被害者だと勝手に決めつける
阿呆に対しては、ロジハラおじさん米山隆一の言上ではないけれど、心底げんなりしました。
何よりも伊東氏に失礼だ。 無茶苦茶不愉快なのが、駒バッシングを麦全否定に結びつける(いつもの)連中。
ほとんどイジメでしかない。
自分も麒麟におけるオリキャラのあり様に関してネガ意見を述べてきたが、
だからと言って、一人の女優をターゲットにしたことbのリンチが罷り通っていいはずがない。
これと同根だが、出しゃばり駒批判の矛先を必死にPとチーフDに擦りつけて、
偉大な太平記脚本家に関してはまるで犠牲者の如く擁護するのも、この連中のキテレツな醜態を
晒すものだ。
正しく大家である池端が、駒はPから言われて嫌々造型したにすぎず私は関与してません、
なんてあるはずないし、そんな皮相な弁護をされたら御大は怒り心頭となるだろう。 駒叩きはともかく5chの本スレではPと池端は同列で叩かれてると思う
ツイやヤフコメでは違うのかな? 落合大原池端で三馬鹿扱いなんだがホリエは都合よく情報を改竄してばっかりだからなw 確かに、あの池端さんがどうしてこうなったー、と落胆してるのもかなりいる。
しかし、その原因について、原作なしがーを始めるとゲップが出てしまう。
この系列とは別に、問題は池端じゃない落合だー大原だーの声もデッカい。
太平記を理想化して語る者は大方後者で、今再放送されていることもありこちらがより目立つ。
個人的にはオリキャラの比重、扱い共々、麒麟はやっぱり太平記の脚本の手によるものだと
実感している(違いよりも類似点)。 太平記はオリキャラが居る事は居るが史実の描写そっちのけで無双してはいない池端は原作ないと藤本とどっこいどっこいの人間ヲンチ まあ藤本は良い原作があっても(夫婦善哉、みをつくし)、そしてそれ以上にオリジナルで
(平清盛、ちりとてちん、ちかえもん)、濃ーーい人間ドラマを生み出す名手ですけどねハアト。 池端の現状を誤認するヤツから見れば藤本は失敗した事ない名脚本家だよなw 白河院の伝言回の補足
伏線は将来へ向けた言わば布石であるが、この回は過去への遡及がテーマであり、
時間軸ータテ軸のベクトルが逆方向であったことに特徴がある。
しかも、ここでの白河との対決が、将来の治承クーデターの歴史的意味を意義づける伏線となる。
尺の穴埋めみたいな回想でお茶を濁す中間総括回が多い中で、清盛のそれは、言葉の本当の意味で
清盛のそれまでの人生を総括し、今後を展望する中間総括回となった。
一方
清盛危篤の知らせは平家の面々に衝撃を与え、大黒柱の容態を不安げに見守った。
知らせはすぐに熊野詣の途上にあった後白河にも伝えられ(清盛と提携関係にあるステージ)、
一報を受けた後白河は取るものもとりあえず引き返した(憲仁庇護と擁立のためにも清盛の力を必要とした)。
清盛を快く思わない王家、摂関家メンバーズは、政情不安に怯えつつも内心しめしめざまあ。
さらに、微妙な立ち位置にいる源氏頼政を動揺させ、挙句、遠く伊豆でスローライフ中の頼朝の耳にも達した
(無関心を装う)。
政界の一人者へ登った清盛危篤の報は、グラデーションのように各所へ広がっていき、
人々の間で様々な思惑が入り乱れるリアクションを巻き起こしたのだった。
このように空間軸ーヨコ軸方面についても、白河院の伝言回は清盛危篤がもつ意味を掘り下げた。
昨今の大河はーを借りると、昔の大河だったら下手すると病気の清盛と看病する時子で終わりだろう。
然るに大河清盛は、大病という清盛の生涯を二分する重要史実、しかし寝込んだだけの劇性に欠ける史実から、
かくもファンタジー性豊かな、しかもリアルポリティクスにも目配りの効いたDramaturgieを引き出したのだ。 大河清盛そのものがずっと危篤状態だったが視聴者は装ったのではなく真に無関心だったなw >>648
本当に無関心だったら8年間も粘着アンチが付くようなクオリティドラマじゃないんだよなぁw いつまでも憎まれ粘着される大河ってクオリティ大河の証なのかもね。
最低視聴率を争った花ちゃんなんて、今や誰も必死になって貶してないでしょ。
それにつけてもさっき把握したのだが、ドラマなんとか金賞にいだてんが輝いたとのこと。
それはおめでたいが、だったら大河清盛は何故すべての何とか賞から排除されたのだ?
そんつらもん個人的には要らないけど、世間一般が罵倒した作品の真価を認めて不遇状態から救い出すのが、
少なくともアンタらの使命の一つだろう。
三谷やクドカンのような神聖にして犯すべからずのスター脚本家ばかりを、少なからぬ批判を
総スルーしてヨイショする賞なのかよ(確か真田も受賞したはず)。
その通りです、という答えしかなさそうな世界みたいねトホホ。。。 藤本さんは「ちかえもん」で受賞できたからよかったよね
本人の顔出しもあって架空説も否定できたし 一部に熱狂的に受け入れられたちかえもんは、まずエンタメ的に文句なく面白く、
フランシーヌを挿入するなど破茶滅茶やりながら、クリエーターの産みの苦しみという
シリアスなテーマを主題とし、さらに豊かな江戸上方文化を伝えるなど、
そこらの時代劇とはまったく異なる深みをも併せ持った。
しかも、この創作姿勢をメタ的に「痛快時代劇」と自虐して笑うとか、幾重にも入れ子状に嵌め込まれた
ちょっと他にないドラマだった。
このかっ飛んだトンデモ歴史ドラマに、時代劇初の映えある向田邦子賞と芸術祭優秀賞を取らす
眼力があるのならば、さらに分厚い歴史劇にしてシンドイ心理劇、そしてファンタジー溢れる大河平清盛
の真価について、まったくわかりませんでした、、、とはならないはずなのだがーーー 批判されてるのがクヲリティ大河の証しだったら今年の駒東庵伊呂波は大絶賛だなw 安心しろ。数年後に駒がーなんて喚いてる奴はいない。
いやお前が生きていたら1人いるかにゃ 大爆 よかったな落合。清盛も覚えてるのはホリエぐらいだが数年したら居なくなるから心配ないぞw そっか、アホウヨは何も覚えていないのに清盛を憎悪し、
8年も粘着して内容を語ってるんか?(語ってないけど笑笑)
名簿を見てないのに総合的俯瞰的観点から「私の判断で」6名を排除した
スカスカ並みの特殊能力を持っているのだな! 大爆 平治の乱での決断〜一転して京へと急行する清盛については、瞬間移動ではなく馬上で疾走する松ケンを
短いながらロケ描写したことを称賛した(一騎討ちでの玉木共々、こういうのをやすやすこなす
若手トップ男優たちの身体能力の高さと彼らの弛まぬ研鑽に敬意)。
ほとんどが馬鹿馬鹿しい瞬間移動ネタ批判にすぎないとはいえ、清盛はそれぞれ「かくあるべし」と唸らせる
に足る納得の解決案を示した。
忠盛急病の報に駆けつける清盛。突然思い立った後白河青墓参り。待ち望んだ徳子入内の報で歓喜して走り出す清盛。
これらについて道中をえっさらこっさら描いたのならば、時子ではないけどまさにもう台無し!
逆に、直ぐにでも信西を救いたいのに物理的な距離が邪魔した局面では、いきなり京で晒し首にされた信西
に飛んだのでは、清盛のもどかしい焦燥感は伝わらない。
このように瞬間移動の区分けのような細かい部分についても、清盛は考え抜かれた大河であった。 距離問題での最大のイシューは、この大河自身ターゲットとした、京と福原との「物理的、心理的距離」だろう。
サラッとした扱いながら、考証高橋の十八番であるこの問題について、京政界がにっちもさっちも
いかなくなった段階で、近くも遠くもない福原からスーーと現れて周囲を睥睨、
有無を言わさず解決したシーンは圧巻だった。
俺なしに政治は立ち行かぬ〜歌舞伎の千両役者の如く花道に現れた真打清盛は、今やなくてはならない巨人なのである。
この回は、脚本以上に的をズブ抜いた演出におそれいりました。 徳子入内→徳子懐妊
しかし安徳言仁さんは生まれる前から政治に弄ばれる運命にあったのね、、 福原遷都によって自らの基盤だった海外交易の担い手海賊衆に離反されるアホの清盛 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています