江戸時代の史料になるけど、中野直由に当主代行するように遺言したのは
直盛ではなく直平だったとする説もある

井伊直平公御一代記
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/2213005100/2213005100200010?mid=mp300140

直親が死んだ後直平が当主代行をしていたが
氏真の命令で出陣することになったとき
もう歳だから次の戦で死ぬかもしれないと考えた直平が
南渓和尚に、次は直由を当主代行にして虎松を後見させろと遺言したそうな
流れとしてはこちらの方が自然かもしれんね