>>777 >>779

愛だ義がー平和がーなんて世界観押し付けていたか?
昔のようにエピを並べるだけではなく、確固たるテーマと固有のストーリー性、それを実現する緻密な構成と高度なテクニックをもっていた。
脚本は対比・類似等論理を駆使し、伏線を散りばめ、豊富な個別エピを普遍性へと繋げ、さらにシンボル操作による象徴的表現も盛りだくさん。
大胆な演出と映像表現の革新も特筆もの。
だもんでお前らのオツムはあっという間にショートしてしまったということだ。ご愁傷様。
「奇を衒った」とのもっともらしい典型文句とは真逆で、以上のような斬新な表現手法は常に歴史と人物の核心を捉えることへと向けられていた。
歴史情報の質量と人物造形の的確さ多彩さは、大河とは思えないほどだ。
しかもそこに虚実皮膜のファンタジー性が付加されて混然一体となり、ドキュメンタリーとは異なる分厚い人間ドラマが成立していた。
なお、お前らには今さら無理なので、見直そうなんて無駄なことはしないで、王家がー海賊王がー汚盛がー(という不快な要素)を
喚いておればよろしい。
いや、清盛と頼朝を始めキャラ造形は常に奇を衒ってーだの、小ネタのシークエンスで歴史の本筋を何も描けてなかっただの、
目が・級の頓珍漢な与太話が懐かしいので、お前らもう一度お笑いふりまいてくれよw