【2016年大河ドラマ】 真田丸 part396©2ch.net
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■大河ドラマ「真田丸」(各回へのあらすじはこちらから)
http://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=3166
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■前スレ
【2016年大河ドラマ】 真田丸 part395
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1494605925/ >>543
源次郎と御屋形様がおしのびで春日山城下に出向いて事件解決するシリーズがいい
兼続は留守番で仕事押し付けられる役回り >>529
ほんとにな、
何も無かったというが、鉄火での裁きひとつとってもあの時代は面白かった
御館様の安請け合い、優柔不断、情にもろい性格もよかった
細かい記録は無いとしても人質にとられて気に入られたのは事実だろうから
いろいろやってほしいね >>545
源次郎が人質だった当時は、前田慶次郎はまだ上杉の人ではなかったのかな。
ニアミスの可能性があるなら、この二人の絡みも見てみたい気はする。慶次郎さんは佐藤浩市で。 >>546
利大が上杉に仕えるのは豊臣政権下じゃないか?
ニアミスどころかかすりもしないような。 見ていなかったけど、大河「天地人」の幸村は、直江の影響で千姫を逃がした
みたいな解説みかけた、描き方それぞれなんだな >>549
あらすじだけよんだが、上杉家に人質に来たときは、親父のせいでひねくれていたらしい >>550
そうなんだ、いつか見てみたいな。
真田兄弟について書いたものを読むと
兄も弟もそれぞれ、お互いに嫉妬していたような記述は何かと目につくなとは思ってた。 >>551
真田太平記や司馬さんの関ヶ原なんかでは昌幸の次男贔屓がはっきりと描かれていたけど
だからといって兄弟間で確執が生まれたような描写はなかったような
むしろ太平記での兄弟は父の次男への溺愛を利用してた
自分が言ったのでは父には通らない意見も、弟が言えば通るってことで源次郎に言わせたりね
父の裏で結託してる仲良し兄弟ぶりを思い出すな そういえば「関ヶ原」でなぜ徳川に背くのかと問われた昌幸が「義のため」と答えていて
本当は義なんてどうでもいいと思っているけど、次男が好む言葉だから適当に使ってみたって記述があった
儒教なにそれおいしいの?な真田家に育った源次郎が義の精神を学んだ上杉人質時代
>>544の水戸黄門なスピンオフで見てみたい、源次郎の精神的成長物語 今思うと、井上順の「勝った今こそ和議の好機」という台詞が正しかったんだろうな。
後からはなんとでも言えるけどね >>544
直江どのが、「その男副署長」の本田博太郎で脳内再生されてコーヒー吹いたww >>545
史実の真田信繁は人質時代といっても
上杉景勝から、徳川に寝返った屋代秀正の所領の三分の一を貰ってたとか。なかなか厚遇されてる。
ちなみにこの屋代さんはあの室賀秀武さんの兄ね。 >>556
源次郎にくっついていった三十郎が景勝様からもらった手紙に、困ったことがあったらいってね。とあった。(真田宝物館にあった) >>558
真田宝物館には怪しいお宝もあるな、
昌幸が朝鮮に出兵した褒美で秀吉から貰った刀とか。
史実でも創作でも昌幸をはじめ真田勢は名護屋城で待機しただけというのが多いけど。 >>559
半世紀後くらいの真田宝物館には上田の伝統芸能としての「上田をどり」の資料があったりしてw なりませぬ〜。
いけませぬ〜。
ならぬ〜。
家康
なぁらぁぬ。 「真田丸」の家康は、歴代大河のどの家康にもちょっとづつ似てるとこあるな
こんな家康像は、しばらくはもう現れないと思う >>559
名護屋城待機でも出兵だから、刀くらい貰ってても良さそうだけどなぁ 落ち込んだ時には伊賀越えみると元気出る
ありがとう内野さん 総括すると、期待が大きすぎた
OPをもっとセコいものにしてほしかったな 途中までの城のところはいいけど
最後の突撃はあれ以上のものを本編に期待しちゃうからなあ OPにずっと拘ってる人がいるけど
あれこそファンタジーじゃん >>568
あれよりド派手だったらそれはそれで引くわー
今回の真田は名前も信繁呼びにして、
史実に肉薄した真田モノにするという意気込みだったじゃんw >>567
OP をセコくしたら、今年の大河みたいにドラマが始まる前に、チャンネル変えられちゃうじゃん >>570
とはいえ信繁よりも源次郎の方が一番使われていたという 今年の大河はオープニングが不思議の国のアリスで、ヒアリも出てくるしなんだあれは >>572
諱とは本来そういうもの
政次連呼してる方がおかしい >>574
真田丸はそういうところにこだわっていたよな
豊臣秀吉にしても台詞では「の」を入れてたし >>574
庇うわけじゃないけどあちらさんも政次だけでなく、
但馬と鶴も出して使い分けてる
あんまり他大河ディスりなさんなw 真田丸も仮名、諱の使い分けに苦心してた模様
信尹も源次郎とかぶるから信伊と呼ばせていたし、三十郎はopクレジットで一人だけフルネーム >>579
鶴亀は幼名、生まれたときにつける。源三郎、源次郎は仮名、元服の時につける。 じゃぁ直虎では仮名は使われてないのか
そして真田丸では源次郎たちの幼名も 幼名で一般に知られてるのって
梵天丸もかくありたいの
ずんださんとか
信長秀吉家康ぐらいだろうし >>583
秀吉の場合、幼名とかいうの?
侍で出世しなかったら、一生「日吉」だったのかな
それとも日吉は後でつくった名前で、やっぱり「藤吉郎」? 日吉は創作で本当のは誰も知らなかったような
はげねずみだったりして >>585
いくらなんでも、自分の子にハゲネズミだの猿だの付けないだろうw >>586
モンゴル人は付けそう
日本なら信長が(自分の子供たちにはヘンテコな名前つけるし、部下たちをふざけた渾名で呼ぶし >>587
子供に人って名付けるのは
信長ぐらいだろうなw アイヌは幼名に厄払い的意味合いで、敢えて凄い名前を付けたらしいな
ゴールデンカムイで書いてあった
訳すと、爺さんの尻の穴 とか >>585
板違いだけど、山風の『妖説太閤記』序盤にある信長に仕えることになった秀吉と前田利家との会話の中で秀吉が
「申年生まれのせいか誰からも猿としか呼ばれません」と言って
「いやそれ生まれ年のせいじゃないだろ」とつっこまれてたのを思い出したわ。 そう言えば後藤又兵衛や黒田官兵衛や竹中半兵衛は、なぜか諱が一般的に浸透してないよね
兵衛さんの方が呼びやすいのか?w 日本でも捨とか拾とかそれなりに酷い名前付けてるだろ
〜丸の丸はうんこらしいし >>595
半兵衛・官兵衛は両兵衛・二兵衛ってユニット名があったから兵衛ネームの方で親しまれたのかも
森蘭丸の蘭丸はなんだろう、幼名ではないよね わしの爺さんも秀吉時代の伝統を受け継いで「捨」がついた名前だったよ
こんな歴史があったとは後から知った 秀吉といえば指6本説でしょ(加藤廣はこれを根拠に山の民秀吉
を書いたけど)。無理矢理切り落としたらしいね。切除痕が
ある肖像画もあるらしい >>600
三谷が「清洲会議」で六本指秀吉取り上げてたけど、
「とりあえずやりました〜」ってだけだったな
指が多いことが何か人生に影響を与えたとか
特殊なことができるとか、
真っ正面から掘り下げるということはなかった 掘り下げるも何も生まれつきの多指症だったのでは?ということだけで
前田のおっさんに「あんなもの切り落とせばいいのに」とわざわざ文書に残され愚痴られる、という
多指症はそんなに珍しいものでもないらしい、が(千人に一人二人程度の模様) 駿河御前試合漫画版の「シグルイ」では
六本指であることが、
重要登場人物の虎眼の人生や剣技に大きくかかわってくる
ドラマの話なんで、取り上げるならそういう描写があってもいいかな 「駿河城御前試合」
ね。あれも秀吉の六本指説や家康のササラ者出身説やらダシにしてたなあ。 まあ奇形をドラマで真っ正面から取り上げるのもどうかとは思うな ZIPで真田丸。夏休みの子供たちに「今アツくなってること」を聞いていて、その中の一人が
「真田丸を見て以来、歴史の勉強に熱くなってる」答えていた >>606
俺も見た
こういう例が増えれば大河ドラマも安泰なんだがな 新感線でスルメさんがやった役を千葉ちゃんがアゲインw >>606
真田丸は信長は一瞬だけど、三傑が分かりやすく描かれているからな。 >>575
今年の大河は出ないだろうけど、
今後戦国大河の時は
「豊臣の秀吉」「だいふ様」「高坂→春日」「全登=てるずみ」
がデフォになっちゃうのかな? 考証次第かな。
小和田さんが浅井を「あざい」読みに
「淀君」呼びは江戸時代にひろまった、茶々を貶める表現なんで「淀殿」に改めるようにと
数年大河でキャンペーンを張ったので、頑張って使ってたら基本形になるかもね。 ただ、「春日」か「高坂」は時期によるし
「全登」は他の読み方も機会は平等にあるでしょね。 真田丸を見て以来、「黙れこわっぱァ!」が口癖になりました
ならヤバい >>612
でも、「三谷のマネしただろ」と言われ続けるのは嫌だろうな 「おね」だってしばらく流行ったけど
「ねい」「ねね」も根強いし… 根強いってか、おねの方が結構無理くりな感じじゃなかった? ”ね“一文字説もあるけどドラマ上だと一文字は使いづらいね ってか文献だと寧・祢「ね」で一文字じゃ呼びづらいから
坊→お坊さん みたいに御をつけて呼ぶと「おね」
婆→ばーちゃん みたいに伸ばして呼ぶと「ねい」
キョンキョン(古い)みたいに重ねて呼ぶと「ねね」
呼び方自体が愛称みたいなもんだから
どれが正しいというかどれが一番使われてたとかは分からん罠 >>620
定着したらしたで
典厩様がかわいそうw 昨日のZIPの男の子は信繁と言っていたような
真田丸から歴史に関心を持ち始めた子供たち世代には定着しているのかもね
大河館に行ったときに見かけたチビっ子たちの真田丸への愛着具合に興味があって
子供たちの声に耳をすませていたんだけど、「げんじろう」とか「源次郎さま」って呼ぶ声が多く聞こえた
子供世代に浸透しているのは「源次郎」であって、幸村と言っても誰ソレ状態なのかもしれない >>614
アホガールというアニメは主人公の母がよく「黙れ小童!」と叫んでる (´・ω・`) >>622
でも歴史好きな子なら由来も把握してると思うよ。
パッパが御屋形様loveをこじらせた名前ってw
しかし、誰も止めなかったのかなあ。 名前そのままいただくのは珍しいかな
主君の名前の下の部分を上に付けるとかはよくあるパターンだけど
昌幸の兄の真田信綱とか >>611
全登については、黒田藩の分限帳で
「オシトウ」と読むのがわかったとか。
てるずみだと諱みたいだけど法号でしょう。
これは「全澄」と、登にさんずいへん付けた字と間違えたのかなと。
ちなみに諱は守重、洗礼名ジョアン。 しかし丸の明石はポンコツ無能設定にされたな
ミサに一生懸命になりすぎて敵に攻め込まれるわ
キリシタン安堵を引き換えに信繁の策に反対するわ
つきあい悪いわで 明石も長さんも、なんで牢人代表なんだ?ってくらい戦いで活躍しなかったねw 明石の最大の役目が九度山へのパシリってのは酷いよな
道休の方が余程印象深いなんて ツイのトレンドにファビュラス>コミケ参戦の叶姉妹の人気に嫉妬
我らが真田親兄弟(草刈・大泉・堺)がファビュラスな薄い本作って参陣すれば
ツイのトレンド上位独占間違いなしなんじゃが 長さんはゴツメンなのにいそいそとお花育てているところが可愛らしかった >>628
元服したときには武田家は滅亡していたから昌幸は遠慮なく「信繁」と名付けたんじゃないかな
弟(三男)の信勝も武田勝頼の息子と同じ名前だし ヨーロッパ側の記録だと小西行長亡き後のキリシタンの代表
みたいな扱いなんだけどね。冬の陣の不運位で。まあキリシタン
4000人も率いて入場したわりに元老的なポジションを
求められたのかも 上田の雁金をどり良かったよー
まさかおこうさんと一緒に踊れる日が来るとは…w
振付も歌詞も結構しっかり作られててちょっと泣きそうになった >>633
明石と長さんは不参加だったけど、
塙団右衛門を臨時で頭にして後藤、毛利、源次郎が城抜け出して
蜂須賀の陣に夜討ちに行くシーン好きだったなあ
ちょっと修学旅行先で、憂さ晴らしに夜抜け出した不良たちみたいな感じでw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています