【2013年大河ドラマ】八重の桜 Part108 [無断転載禁止]©2ch.net
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【2013年大河ドラマ】八重の桜 Part107
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1439006524/ 京の情勢に明るく他藩との繋ぎもできる貴重な人材を追い出してしまう老臣達の見る目の無さよ…
そして殿は一体何をしていたのか 大蔵さまにあんな桂の台詞言わせんじゃねぇよ
胸くそ悪 山川健次郎は生涯、奥平謙輔を敬愛して額を飾っていたらしい。
白井小四郎のことは八重の桜で初めて知った。そういう話をきちんと
取り上げてくれたころに感謝したい。それにつけても、どうしてこの人
達が戦わなくてはいけなかったのか、辛くて仕方なかった。 二葉さまの祭りの楽しみを潰したとは許しがたい
新撰組は全員二葉さまに踏まれる刑を受けろ >>573
容保って実はそんなに実権が無かったんだよ
養子ってのが痛すぎた上に、若くして藩主になった事もあって
実際は家老連中が実権を握っていたのが会津藩の内情だった
その家老連中も一枚板じゃなくって
老害ともいえる年寄り連中が、公用方という若手の躍進ぶりを嫌って
代表格であった秋月を難癖付けて追い落としたのも事実
だから殿は、次回で故郷に戻る横山に秋月の身柄を引き受けてくれるよう
直々に頼んでいたんだよ 俳優さんあまり馴染みがないんだけど、あんな殺伐とした短いシーンで総司やへーすけと認識できるって無駄のない演出だわ
組!での前知識もあるけど 容保がいよいよ京都守護職として歴史の大舞台に立つにあたり
「よろしくお引きまわしのほどを」と指導をお願いした相手が
翔ぶが如くの容保の人だったりする >>579
若松武史ね
武田信玄の時は弟の典厩信繁役だった 象山暗殺は政治的な思惑もさることながら神聖な京の都を
馬で闊歩する姿に河上彦斎が激怒したためともいわれるから
「そのいでたちはいささか目立ちすぎる」と覚馬が危惧した
とおりになってしまった。
女子力をアピールするもお針の稽古が調練みたいと
言われてしまう八重さんに草w 殿、帝の思し召しで御所内に宿舎を賜ったとかお匙医師付けてもろたとかさらっと言ってんけどすごいな 護身用拳銃はどうしたんだろう。
多人数に襲われても、一発撃つだけでも牽制になるのに。 >>583
そりゃ史実じゃドラマ以上に帝は殿がお気に入りだったしね
奥田象山も神がかってたよなあ
キャスティング全員どはまりなのも今見てもすごい 屈強な男が3人で神社スタンプラリー
これほどあやしい者どもが他にあったら教えてくなんしょ >>586
思わず祇園遊びを白状してしまった平馬、二葉さまにしばかれろ 今日から尚之助様が朝ドラ出てるのに誰も話題にせんなw 会津っ子宣言改め会津プロパガンダ宣言
人を貶めます
ありがとう、ごめんなさいは言いません
我慢しません
卑怯なふるまいをします
会津プロパガンダを推進し山口を貶めます
会津プロパガンダが史実になるよう頑張ります会津プロパガンダのためなら何でもやっていい
会津プロパガンダのためにやらねばならぬ
会津プロパガンダのためならならぬ事などない 尚之助さまっていつもどこでごはん食べてるの
まさか居候だからごはんなしなのか 一会桑の3人イケメン過ぎ黒い装束もよくお似合いだった >>590
当時は外で食べる人多かったらしいよ
あと江戸だとテイクアウトも充実していたらしい >>592
三人とも血縁関係だから(慶喜と高須兄弟は又従兄弟)
顔付や雰囲気が似ているのもリアルな感じでいいキャスティング ご家訓に 外でものを食べてはなりませぬ の一言はないのか?会津に遊廓の類いがないというのは嘘になってしまうのだぞっ!?(机バンッ 今日は西田敏行に代わって松方弘樹がトメ。
改めていい役者だったと確認した。
禁門の変では西郷の登場シーンは格好いいし
あとを仲間に託して戦死する久坂や
戦災孤児を抱きしめ涙する桂や
会津と新選組の追討をうけ天王山で切腹する
真木和泉など敵方にもそれぞれの矜持が感じられる。 >>595
147: [sage] 2018/10/02(火) 18:13:20.88 ID:rSn1JeKw
>>131
子御所って…
もしかして小御所を「こごしょ」って読んできたのかな?
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1538371066/147 あんつぁま
マトリックスごっこなんかしてるから弾にあたるんだよ やはり京都政局の場面は面白い
残念なのはペースが早すぎることだ
脚本演出キャストすべて申し分ないのだからもっと色んなシーンを見たかったし勿体ない
例えば参与会議での慶喜の泥酔破壊工作などは容保もいるわけだから是非やって欲しかった 単独でライフリングを施した銃を開発するとは
尚之助めっちゃ優秀。
共和政治を説いて西郷をたきつけるも
目覚めた西郷にちょっとビビっちゃう海舟に草w
平馬から人形を贈られ控えめに喜ぶ二葉さまに
ニヤニヤ。 >>603
尚之助が何年もの工夫と失敗を経てついに自力で後装式銃を作り、次の課題として
「どうにかして射程距離を伸ばせるといいんだが」と言っていたのが守護職を討ての回の1864年7月
1864年9月には後装式ライフル完成
ライフリングについては取り組んだ期間が短すぎるので
蛤御門の戦いのあとに覚馬が薩摩からミニエー銃を借りて図面にして尚之助に送ったんだと思う >>602
八重が主人公だから、どうしても明治編を入れなければならないので
幕末編は飛ばし気味になってしまうんだよな…
これが容保が主役か、高須4兄弟が主役だったら幕末をもっとじっくり
描けたんだが…キャスとも脚本も演出も全てが高水準で揃っているので
勿体ないとしか言いようのない大河だった このハイペースでも今やってるのに比べたら断然わかりやすいんだが いっそ容保あたりが主役だったらなあと、録画で30話まで一気見した 話がちゃんとつながっていくから分かりやすい。
>>604のような尚之助の銃開発も順を追って描かれてるし
今日覚馬と平馬のあいだで笑い話になってた八重には銃を贈った方が
喜ばれるっていうのものちに紅とスペンサー銃の形で実現する。 八重さんは長生きしたから主役でいいと思うけど、欲を言えば2年大河の群像劇だったらよかったな
1年目は鶴ヶ城開城まで
2年目は山川と八重を中心にした流れで八重の晩年までの話で
もちろん脚本は山本むつみさん一本で!
見たかったなー >>605
高須の兄は金子賢で跳ぶや西郷どんに比べて随分若返ったな
高須四兄弟はいつかやるんじゃないだろうか
八重の結婚は良いシーンだが第一次長州征伐が駆け足でやはり尺が足りないと感じた
薩摩の思惑や容保や慶喜の描写など、言い出したらきりが無いが… 初めて京に入った時のお行列
雨の馬揃え
雪化粧した山本家の庭
夕闇に火の粉が舞い人々が逃げ惑う京の町
どれも制作者の心意気が感じられる素晴らしい演出 登勢さんがでてたけど、この人は夫婦でいる時間がまったくなくて可哀想だ
雪さんは修理と一緒の場面があったけど >>613
彼岸獅子入城で大蔵を出迎えるときくらいかな。
そのあと大蔵の様子を八重から聞き出そうとして
義妹たちから冷やかされて恥ずかしがる場面は可愛かった。 人物一人一人に愛情を感じる丁寧な作りは山本さんの力量だろうね。
桂がなぜ東北攻めに固執するかもきちんと伏線があって、長州や
薩摩の人々もきちんと描かれていた。久坂・西郷もかっこよかったよな。 やはり山川家大河
大蔵と覚馬、健次郎と尚之助、捨松と譲の師弟関係
大蔵と八重のスイーツ
明治編で斗南藩や京都守護職始末で会津、山川無双の西南戦争も東大、同志社、津田塾の明治の教育、捨松視点の明治政府もがっつり描ける 「薩摩人みよや東の丈夫が 提げ佩く太刀の利きか鈍きか」
山川浩が西南戦争で読んだ歌には薩人に対する恨み憎しみが感じられる。
また、西南戦争で熊本城に一番乗りした際にも諸隊への遠慮から
城外で宿営したにも関わらず、山田顕義から軍令違反を面罵され
戦後の論功行賞も最下位だった。
こうしたことを考えると明治政府に出仕した山川浩は決して幸せでは
なかったように思われる。
下野して教育や産業の分野で活躍した八重、覚馬、秋月、広沢らの
生き方に明るさと清々しさを感じる。 内蔵助観月。激動の京都パートの中でのひとときの憩いの場面も
単なる一挿話でなく後の会津での観月さらには終戦の際の八重の歌へと
繋がっていく。
殿から横山へ、横山から頼母へと託された秋月に蝦夷地出向の命が下る。
左遷にも関わらず良い機会だと前を向く秋月を虹が見送る。 しかし、会津への仕送り打ち切りとは幕閣も酷い。
一方薩摩は、攘夷の命令を出したのは幕府だと言って生麦事件の賠償を幕府に押し付けた。 長州がやらかした攘夷決行の賠償金も幕府が払った
幕府は無能だが一会桑も外様雄藩の台頭を良しとせず薩摩は離れていってしまった
お互い足を引っ張り合って、鳥羽伏見の開戦は強硬派が慶喜を道連れにし、大坂城退去は慶喜が会津を道連れにした 所詮フィクションだから一段低くみられるが、このドラマの川崎尚之介は凄い人
独力で実用的な元込め銃を作り上げると、明らかに山本家の見る目が変わった
尚之助はとってもハイレベルの人材で、こんな会津に仕官などしなくても他で活躍できる
伏して頼み込んででも留めたいが、残念ながら会津でその価値が分かるのは山本家だけ
三郎があえて無茶して血まみれになったのも、会津にいてほしい尚之助への誠意アピール
覚馬や権八が尚之助と八重と結婚させたがるのも、なんとしても尚之助を引き留めたいため
八重が本心では願ったりの縁談を断るのも尚之助の才能がもったいないから
ついには覚馬まで、会津みたいな糞藩は去った方がいいと勧める
そんな山本家のひとたちの厚意に応え、尚之助は会津に骨を埋める覚悟を決めた
とても哀しい、ドラマ上の肉付話とはいえ馬鹿にはできないほんとに優しい男の物語 秋月さま花嫁衣装見て目をこすってたけど
それって普段がいかにひどかったかってことだよね… 普段の八重って、化粧もせず着物も道着みたいな
男っぽい格好してるからだろうね
もっとも綾瀬自体は美人だから花嫁衣装を着ても
普段とそんなに変りなく見えたw 川崎尚之助が斗南の買い付けで裁判になった話も八重の桜製作の少し前に資料が出てきたから
ドラマで描く事ができたんだよね
それまでは逃げたとか言われてた みねかわいいな
しかもかしこそう
ごちそうさんの子役とは思えん >>625
そんなのわからんだろ!
写真がない娘少女時代は綾瀬はるか並みにめちゃくちゃ美人だったかもしれん 会津・庄内は売国奴
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/images/2016/09/21/M16092112178/efc636fa3839ddca1fa39fdeffab7c06.jpg
戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。
これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。
今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。
とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。
書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。
それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。
幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。
当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)
09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html これまでは 土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後 宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。 襄がボストン到着。東海岸ってことは太平洋渡ったわけじゃないのか。
本放送の時みねかわいいよって連呼してる人いたなぁw
幕府歩兵の服装がジャージみたい。
龍馬登場、背中の桔梗紋とナレでそれと分かる。 >>630
李鴻章がイギリスに香港を99年間租借したことが
現在の香港の繁栄の礎となったことを思うと
蝦夷地の貸与を単純に売国行為と罵るのはどうだろう。 みねは会津の守護職就任の年に生まれていたから会津戦争の時点で満6歳くらい
年齢的には現行の子役(6歳)のまま戦争を迎えるのがぴったりだが、慶応四年春までに次の子役(12歳)に交代する
覚馬死亡の報に接したうらが、みねの成長記録である柱の傷を見せられなかった無念さに涙する場面のためだ
そのため籠城戦で一緒に弾拾いをしている山川咲8歳よりも2つ下のみねの方が格段にでかいということになった
しかし咲も負けてはおらず、みねがそのままの明治四年に11歳にして見た目が水原希子(23歳)になる >>631
40年近く前にボストンに留学してたが、ドラマのシーンは港の雰囲気や景色を良く表していたよ
家はほとんどが木造レンガ作りでまるでイギリスのようだった
人々は頑固で質素、どこかしら会津と似ていた しかし覚馬と三郎が共に死んだと聞いた権八の心情、跡継ぎが居なくなった衝撃と
子が死んだ悲しみ、どちらも計り知れないな
一人静かにかまどの前で震える権八の背中に涙が止まらなかった >>625
前に太る前の八重を映した写真を見た事があるが
(確か女性3人で、椅子に座って映っていた)
小さすぎて顔の美醜は分からなかったが
少なくとも洋式に慣れ親しむまでは痩せていたようだったぞ 今日の薩長同盟のシークエンスがちょいショボかったな
こんなもんだったかと 長州再征勅許から慶喜の出陣撤回まで一年を一気に進んだな ださいライン入りズボン 青ジャージ隊と呼んであげよう
当時はかっこよかったのか 実は自分だけ実戦歴ゼロなのでバカにされないよう必死の官兵衛 >>645
官兵衛が斎藤一とバチバチ火花散らしてるけど
将来、こいつの仲人やることになろうとは思ってもいまい >>642
お前は知らんだろうけど
ホテルマンはだいたいあんなズボンだぞ 強ければあっさり認める佐川さま
新撰組がまだ苦手な兄つぁま 実家の離れで夫と暮らし趣味三昧
うら、雪、登勢と比較しての八重の恵まれっぷり 毎日見てて思うんだけどOPが殺伐としててドラマに暗さが増すんだよな
出演者を表記した字体も冷たくて好きじゃない
すごくこだわって作ってるんだろうけど綾瀬が現代人なのも謎だし何を伝えたいのか分からない
劇中曲は使い回ししすぎてマンネリ気味ではあるが感動的で美しいね OPの八重百変化は映画ひみつのアッコちゃんの一場面そのまんま >>650
あのOPは会津の悲劇を意識して作られていると思う
あと現代版綾瀬は1月しか出てこないから2月以降は違和感ないよ >>649
その上猪苗代の謹慎所でまでついて行ったら夫婦一緒にい過ぎという批判を受けるな >>654
でも史実なんだよな
城内じゃなく猪苗代に連行の途中でばれて戻されるとか
八重さん漢すぎw 今日は帝と容保今生の別れ回ですね(涙)
殿と照姫は敏姫が生まれる前婚約してたんだね
夫婦養子の予定だったとこに容敬に実子敏姫が生まれたので容保は敏姫と結婚 史実とドラマが寄り添うように時間が進んでいくこのドラマ。
動乱の中でも矜持を失わず懸命に生きる人々をきちんと描いて
いる。対立する側も丁寧に描かれている。でも、なぜ東征が必要
だったのかはいまいちはっきりしないんだよな。 諏方神社は会津の氏神様
偶然だが建御名方神は維新の会津とイメージが被る
ドラマで幟を奉納してた女たちも半分くらい死ぬんだよな 春嶽公の眉毛が男前。
春嶽公が慶喜に見切りをつけて福井に戻ったあたりが
潮時だったんだろうけど、会津は慶喜に頼りにされたことと
孝明天皇の急な崩御でさらなる深みにはまってしまう。
大蔵が勝に「世界に目を向けてみろ」と一喝され
これを契機にロシア渡航。話がきちんと繋がっていくのが
気持ちいい。
今日の二葉さまは男児出産。
産気づいた二葉にオロオロする男どもが可笑しいw 会津の運命が暗転するきっかけになった「遠ざかる背中」回か
ラストの帝崩御のところでかかるBGMが「覚馬の正義」なのがどうもミスチョイス
あの曲は何かをやり遂げたところでかかる賞賛のテーマだからね 竹子に鉄砲を否定されてその場で言い返せなかった八重
鉄砲撃ちとしての矜持を照姫の御前で歌にしてやり返す 銀河での八重再放送が終わるくらいの時間にBSテレ東で壬生義士伝(ドラマ版)
が始まる。斎藤一は竹中直人w
主人公ナベケンの妻役はトロガイw しかし、あんつあま外交官兼砲兵将校て優秀すぎんべ!
普通はどっちかだけでも熟せたらOKなのに。 今から会津での攻防を予想し白河に視察に出かける尚之助もかなり優秀。
南天の刺繍を握って旅立つ三郎で泣きそう。
修理の言うとおりにここで一度会津に戻ってたらなぁ、覚馬。
慶喜の弟が容保の養子で容保の兄が慶喜の養子。
慶喜としてはよほど容保を頼みにしてたんだろうな。 西郷どんのひーさまは、「いくらなんでもあんまりな描き方だ!ひーさま悪者すぎひどい!」ってしか思わないけど、八重のケーキは「ふざけんなコラお前が言うんじゃねーよ!(いいぞもっとやれ)」って心の底から思えるの自分でも草 尚之助「遅れたら置いていきますからねっ」( ・`ω・´)キリッ
尚之助「八重さん、ちょっと待ってくださいよ」(´・ω・`)ショボーン
長崎から覚馬、蝦夷から秋月、ロシアから大蔵。
それぞれに新たな知見を得た三人が京に帰ってくる。
八重の結婚の様子を聞いた大蔵がちょっと寂しげ‥‥
高性能の銃にこだわった覚馬と二束三文でとにかく数を集め
直して使うという弥助。覚馬も自身の買い付けが正しかったのかと
悩んでいたが戦に向けて主導権を握る薩摩と受けに回った会津と
では方針が違ってくるのも仕方ない。
土佐が大政奉還へ向けての準備を進める中での木戸と大久保の会話。
大久保「大義のため邪魔者は除かねばなりもはん」
邪魔者とは容堂公に大政奉還をさせようと裏で画策する坂本龍馬で
大久保は龍馬を排除しようとしているとの考えを
これまで幾度か披露したんだけどいまいち共感してもらえない。
今回見直すと普通に考えて邪魔者というのは慶喜公を指してると
考えた方が自然な気もする。
大政奉還へのストレスから過食、嘔吐する慶喜公。
自ら望んで将軍となったわけではないのに
混沌の幕末情勢で難しい舵取りを迫られて気の毒になる。 【八重の桜】総集編を放送します。
2018年11月4日・11日・18日・25日、毎週日曜午前6時から連続4回、BSプレミアムです。
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