【謎の歴史観】おんな城主 直虎【どこが史実なんだよ】スレ 其の五 [無断転載禁止]©2ch.net [無断転載禁止]©2ch.net
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2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の史実検証などについて語り合うスレです。
どうせマターリスレなのでドラマの出来不出来、演技論、視聴率の高低の話、NHKへの批判など、
何でもあり適当に書き込みましょう。荒らしは無視で。
■公式サイト
http://www.nhk.or.jp/naotora/index.html
※前スレ
【謎の歴史観】おんな城主 直虎【どこが史実なんだよ】スレ 其の五
http://itest.2ch.net/nhk2/test/read.cgi/nhkdrama/1495638068
「あらゆる歴史は、それが当代の証拠によって支持されない限りロマンスである。」
サミュエル・ジョンソン 「著作集」 皇凶放送が受信料でハチャメチャドラマ造るな
スタッフ全員クビにしろ >>98
荏胡麻油をつかって燈明をつけてない歴史劇は全部だめなんですね、すごーい
TV見るの止めたら? ストレスたまるばかりでしょ? 悪いことは言わん、西郷どんは歴史再現ドキュメンタリードラマにしなさい。
小学生レベルの知識すらない君たちに創作は無理だ。
浜松市民すらよく知らない直虎はまだしも、全国西郷どん信者を怒らせちゃいかんよ 時代が違うのかもしれんが
江戸庶民の油は鰯から作ってたと聞いた事がある
猫が行灯の油を舐めるのは魚から作ってるからだって
そして結構臭いんだとか
菜種油は高級品だと
貧乏領主がどのランクのものを使うのが自然なのか知らんが 時代が違うね。
大山崎が朝廷や室町幕府から特権を得て、荏胡麻油の流通を握ってたのが、鎌倉〜戦国時代。
菜種油の栽培・生産が広まるのは江戸時代時代になってから。 >>108
その通りだ
だが菜種油が大量に生産されるようになったのが江戸時代以降であり、
それまでも全くなかったわけじゃない エゴマ油よりはずっと安いし
ん?待てよ?綿花栽培してたんだから綿実油なのかな? 無知無能に「しなさい。」と言われて誰が聞くかよ
野良猫でも無視するわwww >>109
今川家の勢力圏内は楽市楽座だから、大山崎の油座を無視して、綿実油が流通していた可能性はあるけど。
綿実油って戦国中期だと最先端技術だよ?
井伊家で作れるのか?
三河で綿実油作ってた記録とかあるのかな? とうとう たーらり とうたらりー
しかし山崎といえば今やサントリーの蒸留場です
電車と乗り継いでビール工場のほうも見学可なので大人気
もうすぐ対岸の八幡(男山八幡宮)の勅祭・石清水祭だよ >>105
米から油取れるのかよ 聞いたこともない
大豆からは油取れるけど普通食用だろ
松から油取るのかよ 第二次大戦中に松根油取ったけど普通そのまま燃やすだろ
椿 現代でも椿油は高価だから食用にすらしないのに
紅花 菜種油よりもっと高価だろ
こんな常識以前のことも知らない無知無能が皇凶放送やっててなんでクビにならないのかねえ >>113
はいはい、もう泣き止みなさい。
戦国時代の人間が日が沈んだら寝てたと思ってたのは間違いだとさっさと認めろよ それでは、井伊家で使ってるのは何の油なんだ?
まさかお米を灯明にしてないよね? >>115
ちゃんと史料も提示してるでしょ
「北条早雲遺訓集」によれば「朝は寅の刻におき、卯の刻には出仕し宵の口に寝なさい」とあるぞ。
もっとも「子丑の頃まで雑談してると夜盗に入られるぞ」とか「辰巳の頃まで朝寝してると仕事にならない」
といった意味のことも書いてあるから当時も夜遊びしてるやつがいたらしいことは想像に難くない。
それでも大部分の日本人は寅の刻におき、宵の口には寝てた。
ちなみに百姓が夜なべする場合はいろり端で薪を燃やした。
江戸時代に菜種の生産が増えたのは江戸を始め城下町が整備され都市住民が増えたからだ。
どうだ、勉強になっただろ。 >>116
常識的に考えれば、荏胡麻油。
油座の統制が及んでいない可能性を考えると、綿実油の可能性もある。
菜種油は時代的に無い。 >>117
ちなみにそもそもその寅の刻や卯の刻自体も正確に図るすべはないから一般民衆には曖昧な基準でしかなかった。 >>115
戦国時代の人間 といっても
経済事情で照明のための油なんて買えない庶民層のほうが多いのだから
>戦国時代の人間が日が沈んだらみんな寝てたと思ってたのは間違いだと認めろよ
は、言い過ぎ
武士階級といっても灯のための油は高級品で節制しながら使ってた層も多かろうしな 別に国衆で城主なら油使って夜に碁を打っていても良いと思うが。
多分このドラマの狂いっぷりファンタジーっぷりはそういう所ではないと思うよ。 >>119
作中の1568年にはまだ無い<菜種油
http://yoil.co.jp/a6.htm
菜種油の生産が始まるのが戦国時代と言っても1570年以降、一般に普及するのは江戸時代に入って数十年たってから。 >>121
>>87読んで言ってる?
電灯が普及するまで「日本人は日の出とともに起き日没とともに寝てた」って断言してるんだが。
これを読んだら、例外なく日本人は明かりなんか使ってない、って読むだろ、普通。
一万石程度はあったといわれてる井伊谷の領主が油代も出せないとか、じゃあ誰が油買ってたんだよ?
江戸時代で言えば、1万石あれば大名だぜ。 >>125
国語力0点
124のどこに1568年には菜種油がない、なんて書いてあるんだ? >>126
『菜種油のはじまりと搾り機の変遷』
菜種油が我国で搾油された年代は明確でなく『清油録(大蔵永常著)』の記述をみると
『攝津国住吉の辺り遠里小野村の若野氏某がはじめて囁ロ子(今いふ菜種子なり)を製し
清油をとりて従来の果子の油にかえて住吉明神に献じ奉れり、皇国菜種子油の原始なり』
(原文)とあります。
それまでは山城国大山崎八幡宮の荏胡麻を搾る「長木(ながき)」が一般に使用されて
いましたが、遠里小野の若野氏某が考案した「檮押木(おしき)」により菜種が搾油され、
明暦年間(1656年頃)には改良が加えられて、矢と称する楔(くさび)を打ち込む
「立木(たちき)」が開発されました。
また菜種油は従来の荏胡麻油に比べてはるかに優れた燈明油であったため一層
普及するようになりました。前述したように大山崎の荏胡麻油は衰退し、また元和
年間(1615年頃)には綿実の「黒油」が搾られ、更に「白油(白油濫觴)」の技術が
開発されたときには既に菜種油が燈明油の
大座を占めていましたから、結局、菜種油の搾油は1570年頃の自由貿易盛んな頃
から大坂築城の1583年頃の間に始まり急速に広まったと推測されます。 しかし食事中に人に会うの好きだねえ
北条氏康が食べてたの朝食?夕食?
この時代はまだ昼食はとらないし(とっても三の膳まで出さない)
夕食にしちゃえらく明るいな 朝から客人に会ってるのか? 信玄だってこの次の年に死ぬのになに「死におった」なんて喜んでるんだよ 竜雲丸の告白も最低 安物の学園ドラマかよ
三十路女にいうことじゃないだろ 次週は武田の寺社焼き討ち、僧侶殺しまくりのターンか
信長ですら敵対した寺社に対してのみなのに、武田は敵対すらしてない寺社を焼き討ちし僧侶皆殺しだからな >>127
やっぱり0点
そのサイトには古代から菜種が日本に伝来し「1570年頃から・・・急速に広まったと推測されます」とあるのに、
何がなんでも自分の都合のいいように解釈するんだな >>132
家康だってこの前え、協力を申し出た住民を皆殺しにしたでしょ >>128
>夕食
は16時だから明るいし、食べても一番太らない時間帯 >>135
ウソつけ 夕食は一般に18時前後だ
この時代は武士の食事は一般に一汁一菜が基本。
江戸時代になるとさすがに夕食には二の膳もつくようになるがいくら北条家でも豪華過ぎる
しかも家族や家来と談笑しながらの夕食が多かったらしいから、
明るいうちから一人であんなに食べるのはおかしい >>133
油菜自体はあっても油を搾る技術が無かったんだよ。よく読め。
最終的に効率的な方法が開発されるのが江戸時代で、荏胡麻油を駆逐した。
逆に言うと、効率的に油を搾る方法が古代からあれば、荏胡麻が主流の時代にならなかった。 浜松で綿花栽培したり鰻食べに行く世界で菜種油は存在しないのか
つか「エゴマ油よりは安い菜種油なら徹夜で囲碁や五目並べもあったかもしれない」と言えるんだが。
目先のことしかわからないくせに自分の間違いは絶対に認めない。
なぜクビにならないんだろ
五目並べも3歳児徹夜させたら翌日は眠りこんで不戦敗になりそうなもんだ >>136
せっかく去年の大河で北条氏政が何度も、ご飯に汁かける汁かけ飯食べてるシーンを流したんだから、氏康もそうしてほしかったw >>139
氏康は汁を二回もかける氏政をみて呆れたんだよ
バカ殿役は氏政にしてほしかった
史実でも氏真を追放したの氏政のはずだが? まさか架空キャラと夫婦になるとは思わなかった
やりすぎだろ 史実に決まってるだろ。逆に史実じゃ無かったら大河として終わってるよ あの元気な松平信玄だと、三河野田城攻めで毎夜城内からの笛の音に誘き出されて鉄砲で撃たれて瀕死の状態になるってストーリーかな? 中井信玄だと甲府で既にゲホゲホして病をおしての西上だったな いや、史実では次郎法師は最後まで直親への操をたて生涯処女だったはずだ
現に墓は直親の墓の隣にある、といって観光客集めたのは詐欺だったのか? >>144
架空キャラと夫婦になっては直親も政次も浮かばれまい >>148
杉良太郎さんの氏康は今なお大河のレジェンドなのにねえ 未だ井伊家伝記でのみしか伝わっていない、
「女にこそあれ」を信じてる人がいるという不思議さ
>>145
女の「次郎法師」なんてもともと居なかったから
もう今年大河はヒロイン設定の全てが 「創作」 ってことlだ >>153
ではそんなやつをヒロインにした関係者は全員腹かっさばいて責任をとれ 謎の歴史観って歴史に無知なだけじゃなくて、現状認識も覚束ないガイジのスレなんだな やっぱりお前らに「西郷どん」は無理だよ
つか無理に創作するよりそのまま再現する方がむしろ楽なんだけどな >>149
龍潭寺ってそもそも「井伊家伝記」もそうだけど
やたらあとになって色々と作ってる感じじゃん
だいたい祐圓尼の墓って妙雲寺であって
龍潭寺のものは改葬の記録もない供養墓や回向の碑みたいなもんで
しかもその建立年も不明? みたいな怪しいもののはず >>159
まあ豊臣秀吉と同じで直政一代でのし上がった成り上がりものだから、徳川の威光で歴史なんて幾らでも書き直せるんだよ。 >徳川の威光
ってか、
お寺さんが井伊家の保護欲しさに江戸中期に好きに書きまくったということだな
彦根では井伊ナオトラの足跡なんて見事に何も無いもん
とりあえず大河便乗します! で彦根城博物館で関連展示はするけど
そもそも井伊家伝記の次郎法師の内容に疑問を呈してる研究者が
彦根城博物館の学芸員 直虎はまだそういう言い訳もできるけど、
西郷どんはしっかりした史料いっぱいあるからな 実際のところ直政の生育や仕官等について
「井伊直盛の娘」はあまり関係してなかったんだろうね もしも徳川家康が絶頂の時に本能寺の変みたいに家康が突然死してたら直政が天下を取っただろうな。 毎朝毎朝、目が覚めたら7時のニュースでは金正恩の顔ばかり流して
うんざりしてたら今朝はIPHONの宣伝かよ
皇凶放送が完全に外国の広報担当になってるな ひこにゃん所縁の二代目伊井直孝は焼津の日本坂の生まれなんだって、浜松じゃないみたい 直政は得側全盛期は井伊谷の事なんか頭に無かっただろうな。豊臣秀吉が出自と支配地域を完全に分離させる政策をとったからな。井伊に限らず徳川も上杉も所領替で元々の土地を追われている。 あさイチで急に愛媛県特集やってるけど、これはもしや
加計学園で話題の今治市へのフォローか? >>171
もはや語るべき史実もなく語るべき人もいないからな 大河って史実じゃなくドラマなのに何故そこまでカリカリするのか解らん
今回の大河はスロースターターだけど地味に戦国価値観盛り込んできてるし
オリキャラの配置と運用も絶妙だしドラマとして面白いと思うんだけど
なにより真田丸からの流れで見ると最高に笑える >>174
ドラマがつまらなかったりすると、えてしてこうなる。 この際史実はあきらめるとしても、なぜ美和やきりや次郎のような、
現実的にとてもあり得ない人間になるのか全く理解できん。
オンエアしてしまうからにはあれが絶妙だと本気で思っているようだが。 >大河って史実じゃなくドラマなのに
当たり前じゃん
創世記から大河ドラマは「歴史を題材に創作した虚実ないまぜの創作」だが
今年はそもそもその題材となる人物の歴史が無いので
とんでもな虚ばかりの炎上商法 >>174
お前しか面白いと思わないドラマじゃなく、
視聴者のせめて20%が面白いと思うドラマを創ってくれ どっちかってーと
これ見てる高齢層が面白いと思ってくれるかどうか
まずそれは絶対的に外せない要素で
その上でどこまで中年以下を取り込めるかどうかなんじゃね?
党員票を捨ててまで浮動票だけを取りにはいかんだろ ドラマ的な演出の批判がやりたいなら本スレ行けよ。
ここは、戦国時代は大名も夜になったら寝てた、って主張する子を慰めてあげるスレなんだから。 >>184
うん、「戦国時代は大名も夜更かししてた」という史料があるならぜひ出して。
それも歴史学会で堂々と発表してくれたまえ。 自分のお腹を切ったら「戦国大名は夜更かししてた」という一次史料が出てくるのか
もうk 10月1日(39)「虎松の野望」
龍潭寺で直親の十三回忌法要が執り行われ、直虎(柴咲コウ)は虎松(菅田将暉)と6年ぶりの再会を果たす。
しの(貫地谷しほり)は虎松を松下の嫡男として徳川家に仕官させたいとの意向を伝える。
しかし虎松は亥之助(井之脇海)とともに井伊の豊かな里を見てまわり、
直虎の領主としての手腕に感嘆するとともに、ひそかに井伊家の再興を決心する。
そしてついに虎松が家康(阿部サダヲ)にお目見えする日がやって来る。
10月8日(40)「天正の草履番」
虎松(菅田将暉)は家康(阿部サダヲ)から万千代という名を与えられるが、
井伊の家名を再び立てる代わりに草履番の役目を申し付けられる。
虎松が松下の名を捨てたことに驚いたしの(貫地谷しほり)は、裏で根回しをした南渓(小林薫)のもとを訪れ怒りをぶつける。
直虎(柴咲コウ)も井伊家の再興は望んでおらず、虎松を説得するため浜松へ向かう。
一方、虎松は慣れない草履番の仕事に悪戦苦闘していたが…。
10月15日(41)「この玄関の片隅で」
小姓になるための条件として草履番の後釜を育てることになった万千代(菅田将暉)と万福(井之脇海)。
そこにやってきたのはノブ(六角精児)という謎の中年男だった。
一方、直虎(柴咲コウ)は松下家から帰還した六左衛門(田中美央)を近藤(橋本じゅん)の家臣とするため尽力していた。
そんな中、武田軍の遠江侵攻が始まる。
家康(阿部サダヲ)が戦支度のため大量の材木を必要としているという情報を聞きつけた万千代は…。
10月22日(42)「長篠に立てる柵」
徳川家康(阿部サダヲ)はついに武田との決戦地・長篠へと出陣する。
井伊から材木を調達して初手柄をつかもうとした万千代(菅田将暉)だったが、
直虎(柴咲コウ)がその動きを阻んだため無念の留守居を命じられることになる。
長篠では家康と合流した信長(市川海老蔵)が、鉄砲を用いた奇策を披露していた。
この戦に徳川勢として参戦していた直之(矢本悠馬)と六左衛門(田中美央)は
不足していた材木を調達した功が認められ、信長と対面することになるが…。
10月29日(43)「恩賞の彼方(かなた)に」
万千代(菅田将暉)は戦場に送る武具の手入れを完璧にこなしたことを
家康(阿部サダヲ)に認められ、ついに小姓にあがることになる。
長篠の合戦の論功行賞に手を焼いていた家康に、万千代は武功を表にして整理することを提案する。
一方、井伊谷では材木の乱伐により山崩れが起こっていた。
甚兵衛(山本學)から山の異変について報告を受けた直虎(柴咲コウ)は、
荒れた地に植林をすることを近藤(橋本じゅん)に進言するが…。 ふつーに虎松出世物語だな
ネタバレ見せられた!って感じもしない
つか直虎の立場はどういう位置づけなんだ
てっきり虎松にくっついて徳川の所に行くもんだと思ってたけど
井伊谷に残って、龍雲丸とは恐らく別れて農民も辞めて、
でも領主でもなくそれは近藤のままで、尼でもなく、何やってんの? 史実では直虎は井伊に残ったままで没するけど、
井伊家や家臣の人々は、ゆくゆくは虎松によって得られた彦根の領地に引っ越すんだよね
浜名湖と同じように琵琶湖のほとりだから、環境は似てて過ごしやすかっただろうな >>190
近藤もう出なくていいのにな
あらすじ見る限り毎回登場するのかよ、、
あと信長が久々に出てきてユキロックに会うことに何の意味があるんだ? >>191
>史実では直虎は井伊に残ったままで没するけど
ってか、井伊直盛の娘の祐圓尼の没年は天正10年だけど
井伊直虎の没年なんて不詳だし
残ったままも何も天正10年なんだから皆も井伊にいるわけなんだが
同じ湖でも山に囲まれた琵琶湖では雰囲気違うぞ
湖東(琵琶湖の湖東)地域の冬は積雪あるし寒い 環境が似ているとは言えまい ちなみに現代の最新の科学では、山の保水力と森林有無は全く関係ない
江戸時代は日本中はげ山だらけだったという説もある >>195
平成29年に日本の公共放送が放送した大河ドラマのあらすじは後世、大河ドラマについて知るための一級史料になる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています