>>271 より続き

もしかしたらまた書けなくなるかもしれませんが、プラウザを変えて(しつこい)、

慶喜は、水戸藩が幕府に父の罰を許してから亡くなったことにして欲しいと訴えて了承されたことに対して、「父
は罰を許して欲しい」等と言う人間ではないと主張。それで大老も亡くなったことでもあるし、勅定は朝廷に返し
てはどうかと兄に言って欲しいと、中根を使者に立てる。

永原もそうだが、この時代兄慶篤との連絡の手段が他にないのでこういう「使者」の役目って大きいのだと思わせ
る。中根は初期はあまり優秀でない所も見せていたが(>>180 参照。他にも慶喜の用事より絵を優先しそうに
なったこともあったと思う)、このところ慶喜の片腕を十分に果たしている様である。

続きます(書けるか?)